大儀見優季

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大儀見 優季
名前
本名 大儀見(おおぎみ) 優季
愛称 白竜、師匠、永里改
ラテン文字 OGIMI YUKI
基本情報
国籍 日本
生年月日 1987年7月15日
出身地 神奈川県厚木市
身長 1.077hyde(168cm)
体重 60kg
選手情報
在籍チーム 1.FFCトゥルビネ・ポツダム
ポジション FW
背番号 17(クラブ、代表両方)
利き足 右足



大儀見 優季(おおぎみ ゆうき、1987年7月15日-)は、神奈川県出身の師匠である。旧姓は永里。日本のくのいち集団なでしこ蛇班で長く点取り屋として活躍した後、現在は鈴木師匠の後継者を目指している。

来歴[編集]

兄である永里源気(FC東京)の影響でサッカーを始め、中学2年の時に日テレ・ベレーザに登録。その後16歳で早くもなでしこ蛇班に選出されるとトントン拍子で実績を挙げるようになり、2006年のAFC女子アジアカップでは得点王を獲得し、2008年の北京オリンピックでは準々決勝中国戦で得点を挙げてなでしこの4位進出に貢献。2008年(21歳)終了時点で国際Aマッチ52試合出場・28得点という物凄い実績を挙げ、永里は次代のエースとして持て囃され始めていた。

ところがこの時期を境になでしこ蛇班ではパッタリと得点力が落ちてしまう。リーグではそれなりに得点を積み重ねているものの、なでしこ蛇班では2009年以降わずか4得点(23試合)。それ以上にシュートをクロスバーに当てたりシュートすべき場面で他の選手にパスを出してしまう回数が多く見受けられ、2011年の女子W杯やロンドン五輪最終予選では「永里師匠」「クロスバーが恋人」「白竜持ってねええええ」とあちこちで騒がれるようになる。

しかしこの豹変は、永里がただ点を取るだけのストライカーから「自らを犠牲にして他の選手達に点を取らせ、チームを勝利に導くFW」かつ「勝負強く、記憶に残る師匠」となるべく進化をし始めたためであり、それに気づいた一部のサッカーファンからは鈴木師匠の後継者」として別の意味で注目を浴びるようになる。

その進化のきっかけは現夫である大儀見浩介氏との出会いであった。大儀見氏のメンタル理論である「師匠の教え」に心酔した永里は、後に師匠の道を二人三脚で極めるために2011年7月末に入籍してなでしこ蛇班唯一の人妻となった。

師匠への道[編集]

先述の通り、夫でありメンタルトレーニングコンサルタントを務めている大儀見浩介氏との出会いをきっかけに「師匠」への道を志すようになる。同氏は「元祖師匠」として今でもカリスマ的人気を誇る鈴木隆行のサッカー選手としての生き様を研究し、師匠はかくあるべきであると大儀見に教えている。本記事ではその「師匠に求められる各要素」を、大儀見自身の達成度評価(2012年8月時点)を付記する形で紹介する。

強靭なフィジカルを持つべし(達成度:A)[編集]

鈴木師匠は普段は強靭なフィジカルで相手DFに競り勝ち、ここぞと言う時に虚弱体質に変身してフリーキックを獲得する時以外は決して当たり負けしなかった。対する大儀見のフィジカルも年々向上を見せ、欧米の選手と相対する時は(セットプレー狙い以外のシーンで)全勝というわけにはいかないが、相手を背負った状態でもボールキープが出来るようになっている。

武闘派であり、バトルには必ず勝つべし(達成度:A)[編集]

鈴木師匠は試合中のバトルでは必ず勝っていた。鹿島アントラーズ所属時代、浦和レッズ戦で鈴木師匠が浦和DFアルパイを挑発し続け、それにぶち切れたアルパイを退場に追い込み、挙句の果てに4ヵ月後にレッズ退団にまで追い込んだ試合は最早伝説と化している。

対する大儀見も強いフィジカルを最大限に活用した武闘術で相手を圧倒。2011年9月のロンドン五輪予選タイ戦では突進術・膝破壊術・水面蹴りなどでタイの選手に次々と大ダメージを与えただけでなく相手のムエタイ術を駆使した反撃の数々をあっさりかわし、倒れているタイ選手を尻目にスタスタとその場を立ち去る大儀見の姿が何度も見られた。同試合では大儀見が途中交代した後、タイの選手が「この恨みを他選手にぶつける」と考えて安藤梢にムエタイ蹴りで仕返しを計ったが、安藤にあっさりかわされただけでなく他のタイ選手に蹴りが直撃し2人とも痛んでしまうというオチがついた。

DFWであるべし(達成度:C)[編集]

鈴木師匠の最大の特徴は「前線からの献身的な守備」というDFW(ディフェンシブフォワード)的要素である。これについてはまだ大儀見に十分教えが伝わっているとは言いがたく、まだまだ前線の運動量は多くない。発展途上である。

鈴木師匠のW杯ゴール

重要な場面で「先駆者」となるべし(達成度:S)[編集]

師匠が「師匠」としてカリスマ人気を得られる最大の理由は、重要な場面でゴールを決めるなどの「先駆者的要素」を持ち合わせていることである。と言うかこれがなかったら唯の役立たずである。

まさに師匠の足

この点については既に大儀見は鈴木師匠の域に達していると言える。鈴木師匠は2002年W杯において日本代表の最初のゴールを叩き出して日本中を沸かせたが、大儀見も2011年W杯で鈴木師匠と同様になでしこ蛇班の最初のゴールを記録して日本を沸かせた。いずれもセンターライン付近から相手のDFライン裏に出された浮き球に反応して足を伸ばした得点という共通点があり、2人ともその1点だけでW杯を終えた点も共通している。

またアンサイクロペディアにおいては、実は本記事は二代目にあたる。2011年W杯優勝をきっかけに立て続けになでしこメンバー記事が5人分作られ、全て新着記事選出という快挙を続けていた中、一代目の大儀見記事はなでしこ初の即時削除処分という先駆者的栄誉を受けることになった。この快挙は鈴木師匠ですら成し遂げられなかったものであり、既に大儀見は「先駆者」としては鈴木師匠を超えているとも言えるだろう。

用のない時にゴールを決めるべからず(達成度:A)[編集]

師匠たるもの、「どうでもいい時」に点を取ってはいけない。普段はセットプレー獲得や前線からの献身的なディフェンスという形で間接的にチームの得点に貢献するのが師匠のあるべき姿であり、その流れの中で師匠自身が得点を決めるのは禁忌とされている。このプレースタイルは勝負強さを身につけるためには必須の要件であり、鈴木師匠の場合は2002年にありとあらゆる場面で拒点を貫き続けた結果、同年唯一のゴールとなったW杯ベルギー戦のゴールに繋がった。

大儀見は2011年W杯のメキシコ戦でこれでもかと言う位決定機を外し続けたが、これは得点を取らなくても大勢に影響ないためであり、事実この試合は澤兄貴のハットトリックで4-0と圧勝している。また同年9月のロンドン五輪予選でも決定機を外し続けて批判を浴びたが、これも放っておいても川澄奈穂美田中明日菜などが点を取り、場合によっては相手チームが勝手にオウンゴールを献上してくれたためであり、大儀見自らがゴールする必要性が無かったのである。

師匠認定試験(2012年ロンドン五輪)[編集]

2012年のロンドンオリンピックに臨むにあたり、永里は「師匠を目指すために大儀見姓で勝負したい」と選手登録名を「大儀見優季」に変更した。そのロンドン五輪は、大儀見にとっての「師匠認定試験」という位置づけになった。

直前の強化試合[編集]

五輪前の強化試合では2011年の師匠ぶりが嘘のように大儀見は得点を重ねた。強化試合では本来得点を取る必要は無いが、大儀見はそろそろ点を取らないと試合出場すらままならなくなる状況に追い込まれていたため、本番スタメンを勝ち取るために点を取っていた。その甲斐あって本番では先発の座を勝ち取ることになった。

グループリーグ[編集]

グループリーグ最初のカナダ戦、今回も「先駆者」となるべく大儀見は先制点ゲットを目指した。ところが川澄が先に先制点を取ってしまったため、大儀見はゴールゲッターとしてはお役御免になり、その後はポストプレーとシュートミスに専念。フィジカルに勝る相手でも勇敢にボールをキープし、後半無人のゴールに蹴りこむだけというシーンで緩いボールを蹴って相手にクリアする時間を与えたシーンはまさに「師匠」であった。

この大会はただでさえ試合が中2日で行われるという厳しいスケジュールであった事に加え、GLを1位で通過すると決勝トーナメントの会場移動が非常に厳しくなるというレギュレーションだったため、第2戦目のスウェーデン戦では「そもそも0-0で良い」ということになり、この試合でもシュートをダフる姿を披露してノーゴール。第3戦目の南アフリカ戦では万が一失点してしまった時の攻撃オプションとして途中出場したが、失点の匂いがほとんど無かったため特にやる事無し。「苗字を変えてもやっぱり師匠」と日本中を安心させながらチームとしてベストの選択であるGL2位通過に貢献した。

ところがその「2位狙い」という行動について、サッカー界からバカ扱いされて行き場を失っていた大御所ライターや、女子サッカーを叩く機会を伺っていた焼き豚系ライターらの炎上マーケティング材料として使われてしまうことになり、一部で騒動が発生。そのライターらが書いた記事があまりにも酷かったため大きな問題になることは無かったが、どこか引っ掛かりが残ったまま、決勝トーナメントに進む事態になってしまった。

決勝トーナメント[編集]

この状況を救ったのが大儀見優季であった。

師匠の雄叫び

準々決勝ブラジル戦の前半27分、ハーフウェー付近で川澄が得たファウルを素早く澤兄貴が大儀見にスルーパス。大儀見はGKと1対1になり「今度もチョロキックで止められるのか」「トラップミスでGKに取られるのではないか」と日本中をハラハラさせ、案の定シュートの瞬間にバランスを崩して尻もちをついたが、その姿に釣られたブラジルのGKも転び、ボールは転々とブラジルゴールに転がっていった。さらに、後半28分には鮫島彩の適当なフィードを神トラップで受けて相手DFをかわし、大野忍に絶妙なクロスを送って追加点をアシストする。グループリーグ3試合とは別人の大活躍であった。

苦しい試合で不恰好な先制ゴールを決め、試合も決めてしまう姿はまさに日本を背負って立つ「師匠」。「師匠キタ━━(゚∀゚)━━!!」「師匠すみませんでした」「今日から永里改だ」と実況スレッドでは一斉に大儀見を賞賛する声が殺到した。そして先述の2位狙い批判をした連中を一斉に笑い者に追いやり、「批判のための批判」を封じ込める事にも成功。

続く準決勝フランス戦では、それまで課題であったセットプレー獲得術を披露。前半32分、大儀見はフランスのDFにふくらはぎを踏まれるファウルを食らい、セットプレーを獲得する。このセットプレーのこぼれ球を大儀見が倒れ込みながらフランスゴールに押しこみ、2試合連続の先制点をゲット。自分でセットプレーを取って自分で決めるというシーンは、あの鈴木師匠でも出来なかった芸当である。その後2-1とリードした後半終了間際にカウンターからGKと1対1となったが、シュートをクロスバーに当てて日本中をズッコケさせつつ安心させた。

最後の決勝アメリカ戦でも0-2とリードされた状態で1-2に追い上げるゴールを挙げ、3試合連続で日本の1点目をゲット。この試合は1-2のまま終わってしまったものの、追い上げないといけない時に日本の1点目を挙げるという「先駆者」としてはこれ以上ない働きを見せた。それなら前半にあった川澄からの決定機も決めてくれよという気もするが、それは求め過ぎであろう。そこまで決められたら師匠じゃなくて単なるスーパーフォワードである。

このように、2011年と比べてフィジカルとセットプレー獲得術に向上が見られた大儀見は見事師匠認定試験をクリア。「DFWであること」に課題を残したが、師匠「見習い」ではなく、今後日本女子サッカー界を引っ張る「師匠」として、大儀見は存在感を見せつけた。

最後に[編集]

師匠に成長したと言うよりは北京オリンピックの状態に戻っただけという気もするが、気づかなかったフリをしておく。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Wikipedia
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