大月市
大月市(おおつきし、Ohtsuki-city)とは、甲斐国にあるオオツキ族居留地である。
オオツキ族[編集]
古来より甲斐国東部に割拠していた狩猟民族の一つで、同郷のツル族やフェフキ族と共に暴れ回ったり争ったり手を組んだりしていた。戦国時代には武田信虎の国内平定により渋々臣従を誓わされたものの自治権は認められ、甲斐東部の防衛を担うこととなった。相模国や武蔵国から北条勢の裏切りを警戒したり、駿河国から今川勢の裏切りを警戒するなど仰せつかったものの、それらが結局のところ杞憂であったのは言うまでもない。その後江戸幕府による重税をのらりくらりとやり過ごしながら山中で細々と狩猟生活を続けていたが、深刻な嫁不足によって血統の存続が危ぶまれたために山での生活を諦め、人里へと下りて来たのが大月市の由来であると言われている。しかし里へ下りてもなおオオツキ族の誇りだけは忘れず、自分たちが蒼き狼と白き月(狼の「オオ」と月「ツキ」を合わせてオオツキ族と名乗ったのが始まりである)の子孫であるとする民族伝承が今も一部市民によって語り継がれているとかいないとか。そのため、満月の夜になると民族の聖地とされる岩殿山に登ってみんなで遠吠えの大合唱を行なっているとかいないとか。
概要[編集]

山梨県東部に位置する市で、かつてオオツキ族が最大版図としていた地域そのままであるため、地図上では広大であるが実質はそのほとんどが急峻な山と入り組んだ川ばかりで、実際に利用できる面積はほとんどないのが実情である。また、20世紀に入って甲州街道から流入(都落ち)して来た元東京都民が多く住み着いたために「多摩梨県」とか「東京都山梨市大月区」と呼ばれるようになっていささか憤慨しつつも、経済および産業の活性化にまんざらでもない当局であったが、その後バブル崩壊によって住民の都心回帰(避難)が始まったために今度は過疎化が進み、何とか戻ってきて欲しいと願いつつも後の祭りなのであった。
一応大月市には大月駅という中央本線と富士急行の大きな乗換駅があり、関東の人は大月駅の規模を見ると人口の多い市と錯覚しているらしいが実際は山梨県内で2番目に少ない。
象徴[編集]
市の木であるヤエザクラには「八重まで咲くら(八度までも生まれ変わって戦い続ける)」という意味でオオツキ族が伝統的に崇拝していた神木であり、市の花であるヤマユリには「米を百合(要するに百合=十升=一斗)、山のように食べたい」という農業的に恵まれない大月市民の願いが込められていると言われている。
方言[編集]
語族的には西関東方言に属し、A音とE音の距離を曖昧3センチまで詰めたような非常に微妙な発音が特徴的である。例えば「泣いている」は「ねゃぁてぃるぁ」となり、語尾に「の?」のつもりがどういう訳か「るぁ?」あるいは「ぬぁ?」と変形した何かがくっつくことでいわゆる甲州弁大月訛りの完成である。これらの応用として「てゃべるぁ?(食べる?)」「えぃくぬぁ?(行くの?)」などの日常会話基本フレーズを使いこなせれば、ネイティブ大月市民もビックリである。