大東急

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大東急(だいとうきゅう)とは、とある伝説の強盗が提唱した、「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」計画によって誕生した巨大帝国の通称である。

概要[編集]

戦前、現在の東急目黒線東急多摩川線をなす「目黒蒲田電鉄」を創業し、その後現在の東急東横線を建設した伝説の強盗こと強盗慶太…もとい、五島慶太は、昭和恐慌のあおりを受けて経営不振に陥り、苦境に立たされていた。

五島は「鉄道会社による不動産開発の祖」である、阪急電鉄小林一三を参考に、沿線に娯楽施設やデパート、百貨店の建設、大学の誘致といった沿線の価値を向上させる方策をとり、安定的な利用客を獲得することに成功し、多額の利益を得た。

この利益を元手に、五島は競合する鉄道会社だけでなく、東京・神奈川を中心とした関東南部の鉄道会社を見境なくことごとく買収、あるいは経営権を獲得して、意のままに操ることに成功した。これが巨大帝国「大東急」の始まりである。

最も、大東急が成立した時期は第二次世界大戦真っ只中であり、国も日中戦争が始まったころより鉄道会社の整理統合を公式に推進し、鉄道省主導で公然と私鉄の乗っ取りが行われていた時代であるため、五島はそれに乗っかりつつ国に対抗しただけなのであるが、やり方が汚いものが少なからずあり、また五島自身も自らが「強盗」であると半ば開き直っているため、事情を知る大きなお友達からは西武鉄道堤康次郎と並んで「鉄道界の二大ヤクザ」として恐れられている。

その後戦争の終結に伴って、帝国内の植民地がこぞって独立を主張し始め、また五島自身も「独立して復興が早まるなら」と主張を肯定的に見ていたため、大東急は分裂し、現在の東急電鉄とその他各社に分かれることとなった。

植民地の主な一覧[編集]

京浜電気鉄道
現在の京急電鉄を経営していた会社である。大東急成立前、五島が経営に参加していた「東京地下鉄道」が東京市と結んでいた約束を反故にされたことに怒り、その後東京市とともに「京浜地下鉄道」という会社を作った京浜電気鉄道に対し株式買収を仕掛けて成功したものである。
五島はその後、東京市に対し逆襲するために、京浜地下鉄道に対しても株式買収を仕掛けたが、戦時統合によって帝都高速度交通営団(現東京メトロ)になってしまったため、果たされることは無かった。
小田急電鉄
京急とは違い、こちらは経営難を理由に五島に対し経営再建を託すため自発的に植民地化したものである。しかしながら、大東急からの独立論が浮上し始めた際は最も強くこれを主張したため恩知らずであったとも言える。
京王電気軌道
現在の京王電鉄の井の頭線以外を経営する会社であったが、大株主である「大日本電力」という会社が大東急に買収されてしまい、その巻き添えを食う形で植民地化された。
旧東京横浜電鉄が渋谷駅をターミナルとして開発する際に支障となるとして、後述の玉川電気鉄道を買収する折には、京王と結託したこともあったのであるが、京王とは主にバス事業において実質的には敵対関係にあり、一触即発の状況であった。「昨日の敵は今日の友」ならぬ、「昨日の友は今日の敵」である。
帝都電鉄
現在の京王井の頭線を経営する会社である。こちらは大東急成立前に、同じ系列の別会社であった小田急と合併していたため、小田急の合併と同時に植民地化された。
大東急分裂時は小田急の元に戻ることなく、京王電鉄の植民地として復帰したため、本線である京王線とは車両や線路の様々な仕様が異なる不思議な状態となった。
相模鉄道
こちらも小田急同様に、経営難による自発的な植民地化であった。大株主の死去により、大量の株式が放出されていたところに目を付けた五島が、一挙に買収を行ったものである。しかし他の会社とは異なり、合併ではなく、相模鉄道という会社の体は残されたまま、大東急へ事業の委託という形での植民地化であった。
相鉄は大東急が崩壊する前に完全独立を果たし、東急で使い物にならなかったボロ電車を有効活用しながら発展していった。東急はその後相鉄を手放したことを悔しがり、小田急を通じて再度相鉄を買収しようと企んだが、失敗した。
玉川電気鉄道
現在の東急田園都市線の元祖及び東急世田谷線を経営していた会社である。渋谷を拠点に持つことから、同じく渋谷を拠点とし、同地の開発を目論んでいた五島にとっては目の上のたんこぶであった。大東急成立前に京王と結託し買収に成功。植民地の一つとなった。
その後は独立することなく、東急の植民地として存続している。一つは全国でも稀有な超混雑が見られる路線として生まれ変わり、悪い意味で有名になってしまった。

その他、江ノ島電気鉄道箱根登山鉄道、さらには静岡県静岡鉄道、草津と軽井沢を結んでいた草軽電気鉄道など関東にとどまらず様々な鉄道会社を傘下に収め、バス会社や物流会社を含めると、植民地化された会社は枚挙にいとまがなく、その範囲は非常に広範囲に亘る。

帝国崩壊[編集]

「種々様々の鉄道会社を合併し、一つの会社として企業力を高め、戦争に(というか鉄道省の国家的な買収に)備えよう」という目的で誕生した大東急帝国であったが、あまりにも多くの会社を合併・傘下に入れた結果、あまりにもまとまりのない帝国となってしまうことになった。

大東急は自前の路線では使えないボロ電車を買収した路線へ譲渡したり、使いきれない資材を買収した路線で利用し輸送力の増強を図るなど様々な策を用いて買収した元会社を懐柔したが、結局ボロ電車の押しつけと取られてしまいあまり効果は出なかった。もっとも、戦後各社が独立する段になってこのボロ電車は戦後復興のシンボルとして有効に活用されることになる。

強引に乗っ取られ買収された会社は五島慶太のやり口に反目はしていたが、こういった点ではさすが敏腕鉄道経営者といったところであり、各社は五島のやることに何も言うことが出来なかったのである。

しかし戦争が終結し、GHQによる実質的な統治が始まると、五島慶太は公職を追放され、それに伴って大東急帝国の経営も行き詰まりを見せ始めるようになった。あまりにも肥大化した帝国の組織はまとまりを欠き、同じ会社で全路線を運営するのは現実的ではないという見方が強かった。

こういった中、旧小田急が帝国解体を提案。五島もこれに応じ、1942年から始まった大東急帝国の歴史は、わずか6年後の1948年に幕を閉じたのであった。

後世に残した影響[編集]

大東急帝国は非常に広範囲に植民地を有していたため、後世に残した影響は非常に大きなものであった。

先述のように、大東急は自前の路線では使えないボロ電車を買収路線に譲渡したり、余っていた資材で買収路線の電化や複線化を行い、輸送力の増強に努めた。戦後独立した鉄道各社にとってはありがたい話であり、その車両は戦後復興のシンボルとして、様々な改造を受けながらも酷使積極的に利用され、もっとも遅くでは2004年までこの流れを汲む車両が活躍していたほどである。

また、現在の京王井の頭線は、帝国崩壊の際に企業体力の弱かった京王を援助するために、もともと小田急資本だったものを京王に組み込んだものである。そのため、いわゆる京王線と京王井の頭線とではレールの幅が異なっており、走っている車両も雰囲気を異にする。

こうして小田急は井の頭線を失うことになったが、代わりに帝国傘下であったバス会社、神奈川中央交通を手に入れ、日本最大の専業バス会社に育て上げることとなる。

関連項目[編集]