大江健三郎

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「大江健三郎」の項目を執筆しています。

大江健三郎(おおえけんざぶろう1935年1月30日ー)は日本の言語学者である。大江語という奇妙な日本語日本語がフランスナイズされた新しい日本語を開発し、山田悠介と並ぶ偉人とされている。大江健三郎も山田悠介同様、彼の研究成果は学術書ではなく小説で発表される。

概要[編集]

愛媛県生まれの作家。そして、昔はガリ勉大学だったけど今はDQNが死ぬ気で頑張れば入れるかもしれない学校生になり、そこの大学新聞に投稿した大江の奇妙な冒険で注目。そして1957年飼育芥川賞受賞。そして、その後は性的人間とか下ネタばかり書くヘンタイさん になったが障害を持って生まれた大江光を見、下ネタばかり書いて何のためになると思い、それ以降は「万延元年のフットボール」等のちに20世紀の最大の発明と言われる大江語を開発。その功績により、1994年、日本人としては二人目となるノーベル文学賞を受賞。そういえば山田悠介もリアル鬼ごっこで処女作にしてノーベル裏文学賞をとったという前人未到の快挙をしたけどあまり注目されていない。

大江の個人的な体験[編集]

少年時代[編集]

1935年、愛媛県の深い《森》の元武士の家に生まれる。そこで、のちの彼の研究書で数多く出てくる《ギー兄さん》という青年と関係を持ったり、本を読みふけったりと充実した日々を過ごす。 しかし、1945年裕仁帝国にかいめのおおきなドンパチで負け、今までネ申と教わった天皇陛下は単なるジジイじゃん、ということを学んだあれ?誰か来たようだ。こんな時間に誰だろう?

大江青年、《森を出る》[編集]

そして、一浪しながらも東京大学文学部フランス文学科に入学、顔面に際立った特徴があったため女の子と楽しいことができなかったため同じ童貞野郎の本を読みふけったりと恵まれない大学生活を送った。 なので、大江青年は考え小説書けばモテるかもと考え奇妙な仕事という短編を書いて大学新聞に投稿したらよく童貞の辛さが死ぬほどうまくかけてるとか言われて金になることしか考えない銭ゲバな文芸雑誌から書けかけいわれて作家デビューすることになってしまった。

ヘンタイさんになる[編集]

それでもやはり顔面的な問題の為目的が達成されなかった。なのでついにきれて変態になろうと思い立つ。一方作家としてもやってかなきゃいけないので彼の生来の危ない性格がにじみ出た本人曰く300ページすべてのページに下ネタをぶっこむという基地外な作品われらの時代を発表。うるさい人たちからはボロクソにけなされた。それにも大江青年はめげず、自らの体験を元に変態な小説を書いてゆく。例えば、オナニー癖のあった自分についてとか胡瓜をアナルにぶっこんだり地下鉄で痴漢したりとかという人としてどうかと思うことというクソな体験を赤裸々に書いてゆくというアホさ丸出し性的なものを通して人間の実存を探るという作品を書いて行ったのだが…

大江語を開発する[編集]

大江青年は言語表現の可能性を希求して、新たな文体の開発を試みるものの、悪しき過去の記憶の存在によって幾度も挫折を続けるが、ある真夜中に、ようやく長い迷路を抜け出して未知の表現である大江語を見出し、その研究成果を「万延元年のフットボール」などで発表したが、延々と読点で文面が続き、活火山のごとくあいまいな表現が噴出したものであるため、新時代の文章であると主として若人から喝采を受けるとともに、単なる読みにくい文章ではないかと批判も少なくなかった。

ノーベル賞を取るまで[編集]

万延元年のフットボールを書き大江青年はついに自分の研究者魂に火がつき、洪水は(以下略)(マルクスさんLOVE同好会がやらかした事件が題材)等万延元年のフットボールで見出した大江語を駆使し多くの小説を書いてゆく。そのせいか、肛門に胡瓜をぶっこんだりうふふなことを書かなくなってきた。 1979年、万延元年(以下略)からやっていた大江語研究の一到達点とも言うべき同時代ゲームを発表。700ページ超の大江語研究のせいかは一般人には全くわけのわからないため、ボロクソにけなされたりしたが、本人は0080136736.gif0080136736.gif0080136736.gifでもそんなの関係ねえ!0080136736.gif0080136736.gif0080136736.gifとさらに大江語研究に精を出そうと思っていたが、年のせいか、長編の研究書が書けなくなり、お金が欲しいので、短い研究論文を書きながら長編の研究書を書いて行こうとし、1980年小論文『頭のいい「雨の木」(レイン・ツリー)』を発表(のちに連作研究論文集『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』にまとめられる)。その後も連作研究論文集を発表し、1987年には自分のうふふな幼少期から今に至るまでの自伝的要素も交えた大江語研究の最高傑作の一つである懐かしい年への手紙を発表。その後も連作研究論文集と長編を年一回ずつというハードなスケジュールで研究を続け、1994年、こうした功績が評価されノーベル文学賞を受賞。糞JAP日本人としては二人目である。 これと前後して自分の研究に自信がもてなくなったのかもう研究すんのメンドイからや〜めたといい自身最長の長編研究書「燃えあがる緑の木」三部作を最後に引退…といい完結させついに研究生活に終止符を打ったのだが…

盟友・武満徹の死、そして現在[編集]

1996年、戦後日本現代音楽のゴットファーザーでおともだち武満徹おさらばしてしまう。そして大江のおっちゃんは武満の弔辞の時、俺はもううちでNEETはやめて研究生活に戻るよ、心の友よ!と言い出し、再び研究生活に戻る決意をし、1999年、宙返りで復活。 池田ファンクラブにやられた人の話を題材にした取り替え子(チェンジリング)等に始まるジジイの余暇後期の仕事(レイト・ワーク)に始まる作品を書いている。 最近、たかが電気を作っているとこを潰そうと教授とともに活動してたりしている。

関連項目[編集]