宇和島市
宇和島市(うわじまし)は、四国の愛媛県南予地域に位置する田舎である。
概要[編集]
かつては宇和島藩10万石の城下町で、領主が伊達家の直系である事でも知られる。仙台藩は笹蒲鉾の本場であり、本家の仙台藩に地元の漁師を多数送り込み、自衛隊のレンジャー訓練顔負けの笹蒲鉾製造法を伝授した。
たまに牛鬼が出没する。牛鬼と市民がエンカウントした時が祭りの始まりである。人々は喜び勇んで左右いずれかの肩を牛鬼にめり込ませた姿で街中を練り歩くのは奇景という他ない。でも西条のだんじり、新居浜の太鼓祭りと比べて目立たないのが不可思議でならない。対外発信力のまずさが窺えようというものである。
地理[編集]
愛媛県の南部、宇和海に面した海と山が両立する街で、商店街は立派なもののゲームセンターの存在が無いため、宇和島のゲーマーはバイク等で高知県宿毛市にヒマがあれば通うと言う不便な場所である。また意外な事に近海カツオの漁獲高は、高知県よりも宇和島の方が全国1位で、高知県に一方的にライバルにされているものの、宇和島市民の多くがおめでたい性格故に全く気付いていない。
行政[編集]
南予地方の中核都市となっているが産業経済面で芳しくなく、人口も流出を続けるなど行政運営的には険しい環境にある。
経済[編集]
産業の現況[編集]
宇和島市は南予地方の中心都市であるが平地が乏しいため、産業面の力は小さい。
水産業[編集]
リアス式海岸を生かして、養殖水産業(真珠、ハマチ、マダイなどの魚類)が発達し、稚魚・餌料供給、資材供給などの関連産業も発達した。かつては、愛媛県の真珠養殖日本一の中心的存在となったほか、鯛類養殖では周辺地域も含めると日本一の産地となった。しかし過剰生産による魚価の低迷や、真珠貝(アコヤ貝)の大量死などにより、中小家業漁師のかつての繁栄は見られない。
製造業[編集]
製造業では、造船所が1社。自動車部品産業の進出もあり、地元から歓迎されたが、完成車組立工場から遠いため、輸送コストが不利であったため閉鎖した。園芸栽培や果樹栽培、水産業が盛んなことから食品工業も盛んである。
港湾[編集]
- 宇和島港(重要港湾)
- 沖合いの日振島や戸島、嘉島などの離島や、宇和島湾入口に位置する九島を結ぶ航路がある。
- 内港には、釣り客向けの船も多数繋留されている。
- 水産実習船えひめ丸の母港であり、愛媛県立宇和島水産高等学校も港の近くにある。
- フェリー航路があるため、カウント上同じ四国西部で国内貨物取扱量において宇和島港に勝る八幡浜港は貿易貨物が全くなかったため重要港湾から外されたが、宇和島港は稚魚の輸出入があることもあって、重要港湾に位置付けられている。
- 八幡浜 - 別府等のフェリーを運航している宇和島運輸は「宇和島」を冠しているが、これは宇和島が創業の地であるためで、現在は宇和島港からの航路は廃止しており存在しない。本社も八幡浜市に移している。
愛媛系宮崎県人[編集]
宮崎県には愛媛県出身者が多い。宮崎県は明治初期には北海道と並ぶ未開の地だった[本当]ために、宮崎の屯田兵として宇和島から多数の愛媛県人が宮崎に渡った。また虚塵のキャンプが1958年まで愛媛県で行われており、虚塵が1959年にキャンプ地を変えると多数の愛媛県人が宮崎に渡った。
闘牛[編集]
県内で宇和島のイメージ調査をすれば、1位になるであろう闘牛。毎年開催日は決まっており、相撲で言う同じ番付同士が闘い、負けた牛の方が多額のファイトマネーをもらえる、おかしなルールである。闘牛の持ち主は農家以外にもサラリーマンや商店主・漁師など様々で、また宇和島市に限らず、宇和島市の隣町や高知県幡多地方からも参戦してくる。引退した牛は牛肉にされる。闘牛用の牛は肉用の和牛である。