安国寺恵瓊

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安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい、?~1600年)は、戦国時代生臭坊主で、トト神の幽波紋使いと言われている

暗黒 JK(あんこく じぇいけい)の異名をとるガングロ女子高生との説もあるが、そちらは別人である(後述)。

生涯[編集]

出自[編集]

恵瓊は元々武田氏の人間であるという。

「え、武田氏ってあの武田信玄の?」と、思う人は残念……武田氏と一口に言っても色々あってだね、その”すんげぇ有名な武田氏”じゃなく、”あまり有名じゃないけど実は先祖にめっちゃ強いのが一人いた西の方の武田氏”で、ある。

ちなみに、”今の福井県とかなんかそこらへんにいて、史実じゃ朝倉義景とか織田信長に絡んでるにもかかわらず大河ドラマとかでは超どマイナー過ぎるために全く以って取り上げられた事がない武田氏”も存在するので気を付けよう。

ちなみに上記の”暗黒 JK”とは、万引きで捕まった年齢詐称の読者モデルのことで、自らを「武田家の末裔」と称していたが、実は全くの無関係である。但し、今度は「実はマイナーな方の武田の末裔だったし~」とか言い出しかねないから、こちらも注意が必要だ。

……とまぁ、思いっきり脱線した訳だが、まぁ恵瓊はその武田の子だったんだけど、色々と悪どい事をやっておきながら中興の祖という理由でそれすら賛美され、事蹟の捏造もされまくってる男が当主である毛利氏により家が滅ぼされ、家臣に連れられ逃げ込んだ安国寺で僧侶になった人物なのである。

またこれを機に、怪しい占い師の元で修業を重ね、予言者五島勉のペンネームで数々のうさんくさい著作を出版し大儲けした。

昨日の敵は[編集]

ところが、悪どい中興の祖のその息子である隆元は、意外にもいいヤツだった。恵瓊は共通の友人を通じて隆元と知り合うと意気投合、それ以降は、毛利氏の外交官としてソマリアジンバブエベネズエラなどを飛び回った。「いいヤツほど早く死ぬ」の例え通り隆元が早死にし、「憎まれっ子、世にはばかる」の例え通りに隆元の父親が長生きしても、恵瓊は外交官を務め続けた。

また、その憎まれっ子が老衰(建前)で死に、ちょっとオツムが足りない孫の輝元の代になっても変わらずであった。

魔王と猿[編集]

毛利氏は「残念な輝元じゃ色々難しいから毛利家は領地を拡大するな」という憎まれっ子の遺言をしっかりと守っていたのであるが、尾張織田信長味噌カツういろうの販路を拡大すべく、類人猿羽柴秀吉を大将に毛利領へと侵攻を開始するのだった。

秀吉は海に於いては戦艦巡洋艦を用いて、毛利方の笹船を撃破、陸に於いては土地を買収してため池を造り、その中にピラニアを放って、中央の発砲スチロールの浮島に毛利方の武将を置き去りにするという悪質なイジメ行為を繰り返した。

だが、ここで転機が訪れる。信長がキンカンと間違えて明智光秀の頭にかじりつき、それに自分で驚いた挙句、京都タワーの展望台からスっ転んで、落ちて死んでしまったのである。この情報をいち早く入手した秀吉は野心を抱き、急いで京都に帰り信長の持ち株全部を奪い取って自らが当主になろうと謀る。

この計画は毛利方にはバレバレだったのだが、恵瓊の予言書にあった項目――

第777章:「魔王、高転びに転びし後、人に似し人外の者、肉桂風味の漂う三角にて栄えし地へ馳せ戻り、なんやらかんやらで天下を制す也

という項目に毛利氏は着目、これは秀吉を指すものと考え、敢えてその野心に乗っかったのである。恵瓊の予言は的中し、秀吉はなんやらかんやらで天下人へと君臨、毛利氏はその功労者として厚遇され、恵瓊に至っては、僧侶なのに大名にまで伸し上がったのであった。

関ヶ原[編集]

ところが秀吉の所業はどんどん荒んでいく。ほら、パン君の例もあっただろう、チンパンジーは子供の頃は言う事きくけど、大人になると凶暴になるんだ。持って生まれた野生の性質だから仕方ないね。

やがてその秀吉が死ぬと、信楽焼で出来た焼味噌大名こと徳川家康が天下を狙い始める。家康は石田三成五奉行に怨みを抱く武断派連中を取り込んでいく。

家康のバレバレの野心に気付かない武断派に腹を立てた三成は、上杉景勝や毛利輝元に働きかけ、家康討伐のために挙兵した。それは恵瓊の予言書にあった項目――

第800章:「滅び、驕れると生真面目の、軟水と硬水の分かれし地にて、ばかし合いの末に焼味噌の漏れる也

という予言を信じての行為であった。印刷に出た予言は絶対なのである。

恵瓊も三成方として参戦し、両勢は関ヶ原の戦いにて雌雄を決した。が、結果、三成が島津義弘の夜襲の提言を一蹴するという予言書とは異なる行動をとったために、石田方は敗戦することとなった。三成は所詮、No.2の男ということだね……。

敗戦後[編集]

恵瓊は捕えられ、三成やコニー・フランシス(♂)と共に京都三条河原の刑場へ引っ張られるのだが、そこで予言が半ば当たっていたと知る。実はこのとき、三成は焼味噌を漏らし掛けていたのである。

恵瓊はいい加減な予言が又も当たっていたとして感激、歓びの表情を浮かべながらに首をうたれた。

その後、恵瓊最大の予言である「1999年 7の月に人類は滅亡する」が大外れし、恵瓊の予言書はブックオフでも買い取ってもらえず、古書店でもお荷物扱いとなった。

関連項目[編集]