安閑天皇

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安閑天皇
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基本資料
本名 勾皇子 
通り名 チョナンカン<全暗槓> 
身体情報 雀士 
好物 麻雀 
嫌物 チョンボ、阿部高和(あへのたかやまと)皇子の性欲 
出身地 日本 
出没場所 ヤマト王朝 
所属 朝廷
親戚等

継体天皇(義理の父親)阿部高和皇子(義理の弟)欽明天皇(義理の弟)春日山田后(妻)

安閑天皇(あんかんてんのう)は大和時代の大王で日本最古四槓子和了者。自称・朝鮮半島出身者だったことからチョナンカン(チョン・アンカン<全暗槓>のなまり)とも呼ばれる。

また、転じて槓子系役での和了者を指す麻雀用語。

略歴[編集]

安閑天皇がいつごろ朝鮮から日本へやって来たのかは定かでない。531年にケータイ天皇が主催した麻雀大会で幻の役満と評される四槓子を出し、一躍時の人となる。安閑天皇に最上の徳ありとされたことから、ケータイ天皇は王位を剥奪されてしまった。

即位した安閑天皇は麻雀の普及を積極的に進め、得た利益で各地に屯倉を作った。安閑天皇は槓子系の役を得意とし、嶺上開花ドラによる数え満貫四暗刻三槓子を連発した。しかし即位後8回目の天皇タイトル防衛戦で積み込みが発覚。その後、続々と不正が発覚したため、また、そのとき泥酔していたため、あろうことか着ている服を全部脱いだ姿で宮殿から外出してしまった。それが靫負(ゆげい)に見つかり、退位を余儀なくされる。

ちなみに、次代の宣化天皇の追号は何度も麻雀せんかと発言したことによると、日本書紀改訂版にて著述されているが、知る人ぞ知り、なおかつ、時の朝廷の命によってもはや黒歴史とさせられてしまったいわゆる日本書紀初稿では、安閑天皇が行ったそれらの積み込みなどの不正を気にかけた箭羅奈胆加(やらないか)大王(日本書紀改訂稿では宣化天皇と諡を変更させられたと)が、彼と肉体関係を持ちたかったことを告白したため、安閑天皇は恐怖で退位した、という顛末が書かれていた、と言われている。安閑天皇は言うまでもなくノン気である。

なお、安閑天皇より後、麻雀によって天皇が決まることはおろか、天皇によって麻雀大会が開かれることもなくなった。

関連項目[編集]

Wikipedia
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先代
ケータイ天皇
天皇
安閑天皇
次代
箭羅奈胆加大王 (宣化天皇)