富嶽

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富嶽(ふがく)とは、第二次世界大戦において大日本帝国陸軍が開発した超巨大爆撃機のこと。名前は富士山の古名から来ており、陸軍の百式重爆撃機(呑龍)や海軍九九式艦上爆撃機一式陸上攻撃機に並ぶ日本製の爆撃機の中では傑作の部類に入る。ただし完成はせず、設計図のみで終わった。なぜ「○○式」と通し番号が続くのにこの機体だけないのかは以下略。現在は潜水艦の名前で有名である。

概要[編集]

迫る日米開戦に向けてアメリカ本土を空襲するために大日本帝国陸軍が昭和17年に開発を始めた大型の爆撃機である。山本五十六が酔っ払ったときに歌った唄を真に受けた人たちが作り始めた。

史上最大の航空機であることは疑いが無いが、設計図は何種類かあり、どれを使うかで大きさは変化する。B1より小さくみえるだあ!?根性を鍛えなおせ!!

その脅威によりアメリカを筆頭とする主要都市は何度も空襲され焼け野原になった、はず。しかし、紙飛行機(紙のように装甲の薄い飛行機のこと)に開発の重点を置いていた大日本帝国海軍と対立し大量生産が出来ず、アメリカのB17B29などと比べると生産数がほんの少しだけ低いのが欠点(生産数0機)。しかし、防弾に優れた巨体から投下される延べ数千トンの爆弾はサンフランシスコテキサスなどの退廃都市を徹底的に爆撃。あまりの戦果に同盟国だったドイツイタリアがわざわざ購入するなど傑作機の一つに数えられた、はず。戦後にはその航続距離の膨大振りから民間用に使用された、はず。開発に携わった某技師曰く、「作って作れないことはないが量産はとてもできないので、戦局には寄与しない」。別の者曰く、「当時の技術では、遥かにオーバースペックでとても不可能、ただエンジンだけはどうにか目処がついていた」なお、日本陸軍は海軍と共同で富嶽を企画しながら、一方では同コンセプトのキ91も開発していた。富嶽だけでも難し過ぎて完成しなかったのに、一体どういうつもりであろうか、とは言わない約束である。

諸元[編集]

形状[編集]

モックアップを見ると、意外とずんぐり図太い機体であり、これは日本機の特徴であろうか、しかし翼はとにかく広い。そして当時の機としては破格の大きさであることは請け合いである。上部には対空迎撃用の機関砲付きドームが印象的。下部には大きな爆弾投下専用の扉が据え付けられ、操縦席は防弾ガラスを採用しておりコルセアの機銃掃射でもヒビ一つはいらないようになってる。

装甲[編集]

従来の日本の爆撃機とは比較にならない防御力を誇っており拳銃の弾も軽々と跳ね返す。また、ラジコン模型のコルセアやワイルドキャットの機銃掃射にも耐えられる構造である。

爆弾の搭載力[編集]

爆弾層には四次元ポケットを採用しており、総計20トンの爆弾を軽々と搭載できる。そのうえ、20mm機銃を機体各所に多量に搭載している。

速度[編集]

最高速度780km。第二次大戦中のあらゆるレシプロ戦闘機より早いのだが・・・。というか、レシプロエンジンの限界に限りなく近いか超過。当時、世界最大の巨人爆撃機にして、世界最速のレシプロ機という怪物じみた飛行機である。

航続距離[編集]

20000km。日本から米国に行って、帰ってこれる距離。そのままドイツまで行くことも検討された。実現すれば、凄いね、という本当に夢の飛行機。しかし、米国は平和の作り手という形で、本当に戦後すぐに作ってしまった。

エンジン[編集]

富嶽のような巨人機を実際に稼働させるためドクター中松大槻義彦オーム真理教技術開発部が凡そ半日をかけて専用のエンジンを開発しなければならない。名前は「ハ五拾型九百五拾六気筒」。永久機関の売り文句で投入された。戦後にGHQがこのエンジンを見たところあまりの大きさと複雑な構造に唖然としており「失礼、これはなんのオブジェだ?」と関係者に質問したことは有名な話。この大きさのため調整するための人員が不足しそうだったという。

生活空間[編集]

玄関・爆弾投下室(厠と兼用)・仏壇・銭湯・寝室・密輸用貨物庫に分けられており、爆弾の搭載数の都合上廊下が無く、前から後ろに移動を試みた乗組員は爆弾代わりに投下される、はず。爆弾を搭載するスペースは火気厳禁になっており念には念を押して防御力を強化しており最大で156mmもある。厠やシャワーと言った水回りには仕切りがついておりプライバシーに概ね配慮していたことが分かる。休憩室にいる英国紳士はダージリンティーやを振舞ってくれる。寝室には回転ベッドを用いる。

戦後[編集]

殆ど生産されなかった富嶽だが(生産数0機)、富嶽の構想は戦後、ソ連のツポレフ技師によって実現した。Tu-95ペアこそがそれである。時速900km、航続距離15000km、爆弾搭載量15tとまさに富嶽の実現である。しかし、このソ連版「富嶽」によって戦後の日本は毎年のように領空を侵犯されているのであった。最近でも、2011年に領空侵犯され、自衛隊機がスクランブルした。

関連項目[編集]

Wikipedia
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