一つ目ヘルン

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一つ目ヘルン(ひとつめへるん)は、19世紀後半から20世紀初めにかけて日本に出没した妖怪である。

概要[編集]

頭髪はふさふさとして赤く、右に寄った一つ目を持つ異形の妖怪。弱点は顔の左側にあり、写真に撮られることを激しく恐れた。1890年の春に横浜の港に突如現れ、「私の霊が千年以上ここにいた」と謎の宣言をしたというのが日本における最古の記録である。この時から14年にわたり日本に住み着き、東京松江熊本神戸に出没し、東京に再び現れた8年後の1904年、霊力が尽きて消滅したとされる。後年の研究により、ヘルンは零落した神「ケトージン」の一種であり、ギリシャからイギリスアメリカを経て日本に来たことが分かった。

行動パターン[編集]

ヘルンはよく移動したが、好んでやっていた様子はなく、彼に与えられた「罰」の一つであるとする説が有力である。移った先で気に入った家に短期間とどまり、そこに住む人に危害を加えたが、他の多くの妖怪と異なり、本人にさほど悪気はなかったというのが特徴である。 手段としては、ペンを用いてエゲレス語呪いの手紙を書くことを得意とした。

異国での行動[編集]

何らかの罰により単眼となり下界に落とされてから、孤独な女性の家に憑く妖怪となった。本人は家を守っているつもりだったようだが、憑かれた女性たちはいっそう孤独になり、その上困窮した。

記録に残っている限りでは、3人の女性が取り憑かれている。一人目のギリシャ人女性との離婚により財産を失った。離婚の理由はヘルンが妻につらくあたる夫を更生させようとしてかけた呪いだった。二人目は彼女の親戚であり、ヘルンにエゲレス語を教えてやるなど温情を示したが、それにもかかわらず彼の能力により破産している。三人目は混血の黒人女性で、世間から白眼視されていた彼女はヘルンを自ら家に迎え入れ、愛し、心のよりどころにした。ヘルンはその気持ちにこたえようと、彼女を虐げるどもに片っ端から呪いをかけたが、そのしわ寄せはいつも彼女に回ってきた。しかし彼女は、どれほど生活が苦しくなろうとヘルンを手放そうとしなかった。ある日ヘルンはこの連鎖を断ち切らんと家を去った。しかし、これは事実上彼女を捨てたということであり、結果的に不幸にしてしまっている。

日本へ[編集]

ヘルンが欧米を離れた理由には諸説あるが、現在最も有力なのは、オカルト・ブームに沸くアメリカでマスコミに散々追い回され、安住の地を欲したからというものである。この時、エリザベス・ビスランドというやり手の女性記者が、彼がエゲレス語で書いた呪いの手紙と引き換えに、移住先として日本を紹介したのである。成功のために妖怪を手玉に取った彼女は、その報いを受けるどころか、その後もビジネスチャンスに恵まれて大富豪となっている。そして、彼女に引けを取らぬ肝っ玉女が、日本にいた。小泉セツである。のちに彼女に翻弄されるとは知る由もなく、ヘルンはのうのうと日本にやってきた。

この星の片隅の小さな島国で、青い瞳が素敵なことを探していた。そして、ヘルンの一つ目から放たれる視線のレーザービームが横浜の美しい景観をとらえたとき、彼は生命のときめきを感じた。エキゾチック・ジャパァンであった。

それまでの体験で疲れ切っていたヘルンには、日本が「お伽の国」に見えた。自分を追放した憎むべきキリスト教の神々はおらず、人々は別の神を信じてつつましく生きていた。おまけに、自分が初めて愛したあの黒人女性と同じ髪の色をした女が山ほどいるのだ。ヘルンは元いた国に向けて呪いを送り、このお伽の国への永住を決めた。勝手に。こうして「ケトージン」から「キカジン」に変化したヘルンはなぜか神罰から解放され、喜んでお祭りを見に出かけた。それからしばらくのあいだ彼なりに精いっぱい暴れているが、日本人はヘルンを見てもくすくす笑うばかりであった。

♫ちんちん小袴 夜も更け候 お静まれ姫君 やあとんとん♫

その年のトンボの背に乗って行った先の島根県松江市で、ヘルンは彼のファム・ファタールである小泉セツに会った。出会いは億千万の胸騒ぎだった。ヘルンは早速彼女の住む武家屋敷に憑き、化け物屋敷にしてしまった。肝のすわった彼女にとってヘルンはペットのようなもので、呪いは軽くあしらわれ、妖怪としての面子は丸つぶれであったが、ヘルンは気にしなかった。何故なら、彼女によって自分の仲間が多く存在することを教えられたからだ。居場所が定まらず孤独だった彼にとってこれは大きな喜びだった。茶碗の中を覗きこめば若武者の顔が映り、布団からは子供の声がし、ちんちん小袴は踊り、果心居士は絵の中にいて、ろくろ首は空を飛び、むじなは人を化かし、芳一の耳はびりびりと裂け、茂作は何も悪いことをしていないのに雪女にとり殺された。まぶしいくらいにエキゾチック・ジャパァンであった。

日本の妖怪の存在を知ったヘルンは呪いの手紙を書くことを忘れ、自分の仲間たちの記録に没頭した。彼に付き合ってやっているうちに彼の文才とエゲレス語の能力に気付いたセツは、これを金もうけに利用しない手はないと思った。彼女はヘルンを昼は英語教師として働かせ、夜は妖怪の記録をとらせた。この気の毒な妖怪は自分がこき使われていることに気づかず、セツに心から感謝し「ママさん」と呼んだ。生徒からおだてられると調子に乗って、英語の本をただでくれてやるなどした。生徒からも搾取されていたのだ。彼を怖がる日本人はひとりもいなかった。

ヘルンの呪い[編集]

松江や熊本で周りからおだてられ、英語教師としての手腕に自信を持ったヘルンは、やがて東大の教壇の上にも現れるようになっていたが、学長にうとまれ追い払われてしまう。その前にも、近所の神社にあるお気に入りのが伐られたり、京都観光で見た万博が気に食わなかったりとストレス要因が続いていたヘルンはこの時ついにブチぎれ、猛烈な勢いで呪いの手紙を書き始める。日本はもはやお伽の国ではなく俗悪な西洋趣味がはびこっているなど部分的に恐ろしいくらい的を射た批評からただの悪口まで、彼は知人や友人、出版社にあてて猛烈に書き殴った。

しかしここでもセツが上手だった。ヘルンに頼まれた手紙を出さずにとっておいて、彼がその内容について後悔し始めた時を見計らって渡し、毒を中和するよう促した。もはやヘルンは無害な、馬鹿にされるだけの存在に思われた。力を失ったヘルンは日に日に衰弱していき、ついに今日消えてなくなるという日にセツに言った。「ひとが苦しがるの見るの不愉快でしょう、あっち行っててください」女は答えた。「いいえ、ぜんぜん」

セツは後にこの妖怪をネタに笑い話を書いてさらに儲けた。

巡り巡ってヘルンの呪いを受けたのは昭和生まれの中学生である。彼らは“MUJINA”を恐れ、その内容を暗誦するように命じられるのをさらに恐れた。今でも“Kii-no-kuni-zaka”の名前を聞くだけで、英語が本当に嫌いになったころのことを思い出して戦慄せずにはいられないのである。

亜種[編集]

  • チェンバレン…ヘルンよりはるかに世渡り上手だった。
  • モラエス…徳島で、もしかするとヘルンよりもみじめな生涯を送った。

関連項目[編集]

Wikipedia
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