尾崎行雄
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~ 野球 について、尾崎行雄
尾崎 行雄(おざき ゆきお)は、大阪民国出身のプロ野球選手。現役時代の登録名は尾崎愕堂。
[編集] 人物・来歴
両親が共働きで、当時は珍しかった学童保育に入っていたため、知人や友人からは学童というあだ名で呼ばれていた。後にプロ入りする際、球団側は登録名を馴染みの深い「尾崎学童」にしてはどうかと提案したが、学童という字は子供のようで嫌だと本人が難色を示したことにより、なんとなく難しそうな当て字を用いた愕堂に変更し、尾崎愕堂として登録することとなった。
1961年、当時高校2年生だった尾崎は夏の甲子園で優勝投手となったことをきっかけに世間で注目を浴びる存在となった。それに気をよくしたのか高校を中退して選挙に出馬……しようとしたが被選挙権がなく断念。渋々東映フライヤーズと契約し、プロ野球選手となる。プロ入り時の契約金は当時としては破格の6000万円。政治の道を断念したことで、地方の政治家の年収よりもよっぽど高い収入を得ることとなった。
成績は1年目は20勝9敗、防御率2.42。その後も毎シーズン20勝する怪物ぶりを見せ付けた。当時最高の強打者の一人であった野村克也も「一番速いピッチャーは尾崎行雄」と言い切っている。しかしオーバーワークがたたって肩を壊し、29歳の若さで現役を引退することとなった。
実況パワフルプロ野球シリーズではMAX159km/hの速球を誇り、しかもノビ4・ジャイロボール両持ちというお化け選手になっている。
[編集] 記念館
若くしてプロの世界を去った怪物投手を惜しみ、相模原市津久井町と伊勢市にはそれぞれ尾崎咢堂記念館なるものが建設された。そこでは尾崎は速球の神として祀られており、甲子園出場が決まった高校の野球部が試合前にここを訪れて勝利を祈願することも多い。
また、野球好きだった国会議員有志によって国会前庭の敷地内に尾崎の功績を称えた記念館が建設された。建物の中には尾崎の銅像も建立されており、入園料も無料であることから往年の野球ファンが多く訪れることで有名である。
ちなみに、ポンポンと記念館やら銅像やらを建てられているが当の尾崎はまだ存命であり、スポーツ関係の会社で普通に働いている。