山下大輔

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山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は、元プロ野球選手。2003年には、プロ野球監督の名目で、特定の人たちだけを恐怖のドン底に陥れた「ピッカリ大魔王」でもあった。現在は野球界を影から照らす太陽である。「大ちゃん」の愛称で親しまれる。

目次

[編集] 人物

野球界で屈指の名将と謳われる人物、どんでん中村負広顔芸100連発の若大将と並んでプロ野球名将四天王とも。

選手時代はフサフサとしていた頭髪も、その頃には無くなっていたが、その禿上がった頭をギャグにするなど明るい人物だった。 しかし、それは大魔王の仮の姿でしかなかった。本当は性格粗暴、髪もフサフサ、選手も震え上がる鬼軍曹だったのだ!

[編集] 概要

[編集] 監督時代

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03年のシーズン、よそ様の阪神タイガースは強かった。しかし就任1年目の大ちゃん率いるベイスターズは対象的に、特等席へ、まっしぐら。そんな大ちゃんの

という采配ぶりは、今日においても語り草(デニーは度々炎上、ライトとレフトの交代虚しくチームは敗北、代走のマムウェイなんて牽制死)。 ここまで来れば、もう何がしたいのか解からない[1]。←正常な思考の出来た、一塁側スタンドの横浜ファンは怒ってました![2]

就任2年目、周囲の期待をよそに横浜は思わぬ低迷を続けた……が、その勢いも雲散霧消。終わってみれば、2年連続で特等席を確保。誰もが横浜の黄金時代の到来を予感した。
しかし、ここで我らが大ちゃんは契約期間を終え、横浜を去ってしまった。うーん、残念。

因みに、後任監督に就いた牛島組長は、2年連続の特等席から脱出。大ちゃんが構築したレールを踏み外している。

[編集] 編成本部長時代

横浜を出奔した大ちゃん、次に狙いを定めたのは楽天だった。球団創設1年目、大ちゃんは楽天にスキンヘッドコーチとして招聘された。 しかし、楽天も横浜ばりの強さで特等席をキープ、でも大ちゃんは何故か二軍監督になっちゃった。 その後、球団編成本部長に転任。「この役職が天職」という声も多かったが、監督が大ちゃんとは性格が真逆のツンデレ爺だったため、2007年限りで退任。

[編集] 現在

「野球評論家」という肩書きを名乗っている為、声は聴けてもその輝かしい頭には、なかなかお目に掛かれない。おまけに2008年にはやる大矢という、大ちゃんを上回る超絶監督(打率最低打者とホームランがリーグ1少ない4番を揃え、ぶっちぎりの特等席確保)の出現により、益々そのハゲ影が薄くなってしまっている。このまま故郷の静岡県で名だたる有名企業の実家に里帰りしちゃうんじゃないか、という心配もある。

でもファンは明るく楽しい大ちゃんの野球を忘れていない。だから、早く現場に復帰して…何、復帰する?。えーっ、アメリカだってーっ!?余計見られなくなるじゃん…。

[編集] 脚注

  1. あの伝説のプレー『古木あーっと!!』は、この2003年に生まれた。監督の采配に選手も応えたという、結束の表れである。
  2. でも、モンチッチに1軍体験昇格させた事だけは、評価してました。

[編集] 外部リンク

  • 大ちゃんマジック、との賛辞を浴びた采配ぶりの一端・Youtube版[1]

[編集] 関連項目


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