山田パンダ

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山田パンダは、日本初のパンダである[1]

来歴[編集]

1945年5月13日、山田パンダは佐賀県の竹林で出生した。しかし、生まれたばかりのパンダには模様がないことから、しばらくはパンダだとは認識されていなかった。そのため吉田拓郎には、拓郎と同じ1946年生まれだと長らく誤解されていた。

1971年南こうせつに誘われ、伊勢正三とともにフォークグループに参加する。当初パンダは誘いを断っていたが、グループ名が「かぐや姫」だと聞いて、おいしい笹にありつけるかもしれないと思い参加を決意した。

1972年、上野でコンサートを開き一躍脚光を浴びる。一時期は3時間待って30秒しか見られないほどの大行列ができ、1973年には行列が神田川まで達したという。

1975年、かぐや姫を解散。以後、南こうせつと山田パンダはソロ活動をすることとなる。なお、伊勢正三はになった。

おじいちゃんパンダとなった現在も、フォークのコンサートに出没したり、ときどきテレビに出たりして、愛らしい姿を見せてくれている。

主な楽曲[編集]

落陽
吉田拓郎のカバー。北国での男同士の別れと旅立ちを歌う哀しい歌だったが、どうしてもパンダならではののほほんとした雰囲気が出てしまい、「苫小牧発仙台行きフェリー」が「伊豆大島発熱海行きフェリー」としか聞こえなかった。
風の街
山田パンダが表参道で喫茶店のマスターをしていたときの楽曲。なお、パンダがいるとは珍しいと話題になり、店には郷ひろみ西城秀樹桜田淳子なども訪れていたという。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
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脚注[編集]

  1. ^ 山田パンダが1945年生まれなのに対し、ジャイアントパンダが日本に来たのは1972年、レッサーパンダも正確な来日時期は不明だが早くても1960年代ころである。

関連項目[編集]