参院本線

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参院本線(さんいんほんせん)とは、参議院選挙に出馬する議員、及びその関係者が行脚する長く険しい道のりである。略称は参院線(さんいんせん)。

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概要[編集]

3年に一度定期的に開催されるイベント、参議院議員通常選挙。このイベントを勝ち抜くことが日本屈指の特権階級・参議院議員になるための唯一の手段である事は周知の事実である。参議院議員、つまり国会議員(センセイ)になれば、さまざまなおいしい事が得られるのだがそれを得るために立ちはだかるのが、この参院本線である。
参院本線は京都兵庫鳥取島根山口の一府四県を貫く全長673.8kmという日本最長の路線でその長さから必然的に有権者の人数も多い。この沿線を行脚する事が、多数の得票を得てすなわち選挙戦の勝利に繋がる事から、毎回の参議院選挙の際、各党の偉い人が自分の党に投票するよう沿線住民に呼びかけるため訪れる。なお、全国的にはこの路線を山陰本線と呼ぶことが多いが、これは強大な影響力を持つ参院線沿線に対して、その他の地方が嫉妬してつけた蔑称である事に注意してもらいたい。
通常は西日本旅客鉄道(JR西日本)が運行管理を行うが、参院選の際は選挙管理委員会が代わって行う。

参院本線行脚[編集]

一般的に参院本線行脚は京都側を出発点に行われる。反対側の下関側から行脚する事は邪道とされている。その理由は検閲により削除
当然の事ながら参院本線の列車に乗っての行脚となる。

京都~園部~福知山[編集]

ここは沿線有数の大都市、京都近郊という事もあり有権者数も多い。ここでの激しい選挙戦は通称嵯峨野戦と呼ばれ、初めて立候補する議員の卵という候補者は大方ここで破れ、落選していく。そのため参院本線第一の難所呼ばれる。 二条駅にある映画館では選挙管理委員会から依頼され、沿線である島根県の蛙男商会が作ったCMで有権者に呼びかけを行い、沿線には東映太秦映画村があり、候補者は水戸黄門から強力な応援をもらうことが出来る。 園部を過ぎると選挙戦も多少落ち着きを見せるが、福知山でもう一度小さな山場を迎える。ここを乗り越えれば第一の難所を突破したと言ってよい。だが、まだ1/7程度を突破したにすぎない…。

福知山~豊岡・城崎温泉~餘部~浜坂~鳥取[編集]

沿線人口も落ち着き、ある程度楽が出来る区間である。だが、全長約150kmと長い区間でもあり、油断すれば得票を得られない可能性もある。気を抜かずに選挙活動を続けたい所。城崎温泉は、選挙戦での疲れを癒す為の温泉・レジャー施設が充実している。ここを過ぎると電車から気動車となり、この区間最大のポイントである餘部に差し掛かる。鉄分豊富な有権者が多く居る余部橋りょう周辺では、鉄道関連の政策を訴えるには格好の場である。以前この区間には、参議院議員が資金提供した観光列車が走っていたが、JR側が管理を怠り車両老朽化が進行したため廃止された(この区間には、新しい車輌は走っておらず、国鉄の頃の車輌をリニューアルしたもの(福知山に古い電車が、豊岡に古い気動車がいっぱいストックされている)が多く走り、ベテランの候補者は、若い頃を思い出して気張る、逆に若い候補者にとっては苦痛の種・鉄オタの候補者にとってはよだれが出るほど愛おしい)。

鳥取~倉吉~伯耆大山~米子[編集]

参院本線第二の難所。沿線人口も多く、高速化事業によって快速列車も運転される交通の要所で京都以来の激しい選挙戦が見られる。特に鳥取は参院本線最大の都市である事から、各政党の代表者が集い激しい攻防を繰り広げる。
以前の参院選で、小泉純一郎ゆかいな仲間たちが大敗した時も、この区間で小泉が凄まじさを発揮できなかった(一説には、水銀党の党首・水銀燈と激しいアリスゲームを繰り広げた後で、疲弊していたらしい)事が原因である。ベテランの立候補者でも、少しの油断が落選へと直結するため、心して掛かる必要があるだろう。
智頭急行から乗り入れてくる特急・スーパーはくとは、参院本線での数少ない華となっている。

米子~松江~出雲市~益田[編集]

参院本線最後の難所。200kmにも及ぶ行脚が待っている。この時点で立候補者の約1/3が脱落しているのだが、この区間で更に絞られる。
ここで候補者達は出雲市から一畑電車出雲大社に向かい、必勝を誓う。もちろんベテラン議員たちは手馴れたように多額の献金を行い、神のご機嫌伺いとする。当然の如く、この献金は庶民から巻き上げた税金である。多額の献金をした候補者にはご加護がつく反面、資金力に乏しい候補者は何も得られずこの後非常に苦戦を強いられる事となる。 益田に達したときには、米子出発時の半分近くまで行脚人数は減少している。だが、ここまで来れば残りは僅かだ。

益田~長門市~幡生(~下関)[編集]

200km弱の長距離行脚だが、沿線人口も少ないためかなり楽である。ただし、列車本数が悲しいまでに少ない。途中の長門市からは仙崎への短い支線があるものの、一般的には美祢線扱いとされ無視される。そして長い行脚の終着点、幡生(はたぶ)に着いた時、長く険しい参院本線も終わりを迎える。なお、本来山陽本線である幡生~下関の約4kmも参院本線に含めるべきだとの声もあり、多くの候補者達はこの区間も行脚して、参院本線を終わりとする。

参院本線行脚の近況[編集]

かつて参院本線行脚は出馬する候補者のほぼ全員が行っていた恒例行事だったが、近年この行脚するのは各党の偉い人か、一部の比例代表候補者に留まっている。これは参院本線全線を直通する列車が消滅し、行脚が難しくなったことが最大の原因である。通常、参院線を管理するJR西日本が細かく運転区間を分割することで意図的に行脚を難しくしているのではいかと言われているが、当の議員たちは「その方が楽でいいや」との見解である。

歴史[編集]

戦前[編集]

参院本線の多くは、明治大正にかけて私鉄が開業したものを、当時の帝国が半強制的に奪取したものである。1897年(明治30年)の京都~園部間が開通し、1933年(昭和8年)に全線開業に至る。なお当時は山陰本線の名称が用いられた。

戦後[編集]

  • 1947年(昭和22年)参議院開設・及び第一回参院選に伴い、山陰本線から参院本線に改称
この改称には新しい政治制度の意味も含まれていた。
  • 1950年(昭和25年)第二回参院選に先立ち、当時の首相が参院本線行脚を提唱。立候補者の行脚が本格的に始まる。
  • 1968年(昭和43年)10月 この時のダイヤ改正以後、参院本線の長距離普通列車は減少を始める。
ベテラン候補者などの金持ちは特急急行列車などの優等列車を利用しはじめ、利用列車の二極化が進む。
  • 1984年(昭和59年)2月 最後まで残った長距離普通列車が廃止
  • 1987年(昭和62年)4月 国鉄民営化により、西日本旅客鉄道が継承。
民営化以後、長距離普通列車の徹底的な運転区間分割、編成両数減・列車本数削減などによって、参院本線行脚は難しくなっていく。
  • 2004年(平成16年)7月 第20回参院選時の調査により、参院本線行脚が全盛期の半分以下の規模になっている事が判明。

中吊り広告[編集]

参院線中吊り広告の一例

参院本線では、選挙管理委員会の許可により特別に選挙ポスターの掲示が許可されており、選挙期間中列車内の中吊り広告は全て選挙関連のものとなる。各党はこぞってポスターを貼り争うのだが、利用者(有権者)が見ているかは定かではない。

西日本旅客鉄道の愚行[編集]

選挙管理委員会への抵抗と思われる。

  • 貴重だった寝台列車を廃止し、車両を粉々に砕いた。(偉い政治家御用達の1種別を除く)
  • 貴重すぎる鉄橋を破壊し、単なるコンクリート製の橋に置き換えた。
  • 普通列車の速度を、遅く設定している。

その他[編集]

  • 参院選でこれほどまでに注目される参院本線も、衆院選の時には見向きもされない。
  • 1984年2月まで運転されていた最長距離を走る普通列車こと824列車は18きっぱーからも人気の列車だった。これにより、18きっぱーは乗り継ぎをしなければならなくなった。

関連項目[編集]

東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「山陰本線」は、混雑がひどく、両数を増やす案が出ています。両数を増やして下さる協力者を求めています。  (Portal:スタブ)