岩瀬仁紀

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
「岩瀬はわしが育てた」
岩瀬仁紀 について、星野仙一
「川上さんのマネージャーさんですか?」
岩瀬仁紀 について、タクシー運転手
「岩瀬の時に「レフトふりゃあ」はあかんよ!」
岩瀬仁紀 について、落合英二

岩瀬 仁紀 (いわせ ひとき、1974年11月10日-) は、中日ドラゴンズに所属する元プロ野球選手であり、死神。ポジションは投手。背番号はタロットカードで死神を表す13である。出身は愛知県西尾市。入団以来、リリーフという過酷なポジションの中で常に活躍し続けてきた、中日投手陣の大黒柱。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「岩瀬仁紀」の項目を執筆しています。

概要[編集]

彼の登板は即相手チームの敗北を意味する

試合が最終回を迎えると、試合に終止符を打つべくナゴヤドームのマウンドに降臨する。愛用の切れ味鋭い鎌を使い、相手打者を次々とジェノサイド(虐殺)していく。その冷徹で、完璧な仕事ぶりはまさに死神であり、相手チームから恐れられている。年々、元幕張の防波堤ばりの劇場を演出することも増えてきたが、これは「お戯れ」と呼ばれるもので、相手に希望を持たせつつも、じっくりといたぶって最後には地獄へ突き落とすという快感を覚えたためである。だが、見ている中日ファンにとってヒヤヒヤする展開はたまったものではなく、名古屋地区における胃薬の売上増加に貢献していると言われている

なお、北京五輪については黒歴史となっている(悪いのはあいつなんだよ・・クソッ)。

経歴・実績[編集]

西尾東高校→愛知大学NTT東海→中日ドラゴンズ(98年ドラフト2位)
愛知県外に出て暮らした事の無い、生粋の愛知県民である。
メジャー志向が無いのは愛知から出たくないから、という説もある。

主な記録等[編集]

  • 15年連続50試合登板(プロ野球記録)
  • シーズン最多セーブ記録(46セーブ、藤川球児とタイ)
  • 最優秀中継ぎ投手3回、最多セーブ投手5回
  • 2004年アテネ五輪代表に選ばれ、銅メダルを獲得。
  • 2008年にも何かに出ていたような気がするけど、きっと気のせいだ。
  • 2010年6月16日、250セーブを達成。
  • 2011年6月16日、日本球界最多記録となる287セーブを達成。
  • 2011年9月3日、300セーブを達成。
  • 2013年4月18日、350セーブを達成
  • 2013年9月18日、382セーブを達成。日本記録更新。
  • 2014年7月26日、400セーブを達成。
  • 2017年8月6日、通算950試合登板。日本記録更新。
  • 2018年9月28日、通算1000試合登板。同時に1000試合出場。


※記録は2018年シーズン終了時点のもの。

エピソード[編集]

マウンド上では死神として恐れられているが、マウンドを降りるとまるでオーラの無い天然気味で酒が飲めないおっさんである。

  • 中学時代、茶摘みの体験学習中に何故か脱臼。また大学時代、ナゴヤドームで試合前に行われているスピードガンコンテストに参加した際、張り切りすぎて肩を痛め、その後数ヶ月を棒に振った。度重なる酷使にも耐えてきた鉄腕なのに、何故こういうお馬鹿で球界のスペランカー並みの怪我が多いのか・・。
  • 2004年シーズン開幕前、風呂場で転倒して左足の中指を骨折。なお、この風呂場とはもちろん自宅の風呂場であり、決して個室付き公衆浴場ではない・・はずである。
  • 大学時代は主に外野手として活躍していた、愛知六大学リーグを代表するバットマン。もし、外野手のままプロ入りしていたら歴史が変わっていた。
  • 愛車がナゴヤドームで水害により2度も水没した。また、タイヤを盗まれたことも・・。
  • 好物は巨乳。某ローカル番組で行われた、胸を隠した美女たちのおっぱいの大きさを当てるというクイズでは、誰よりも生き生きとした表情を見せていた。その時にした質問は、「ブラジャーは何歳からしていますか?」
  • ファッションには無頓着で、私服は親友である2323な元エースに選んでもらっていた。だがその親友のファッションセンスも・・お察しください
  • キャンプ地の沖縄にて、川上とともにタクシーに乗った際、運転手に川上のマネージャーと勘違いされた。しかし川上は訂正してくれなかった。
  • 大投手なのに人見知り。何かの代表合宿では川上以外に話し相手がおらず、川上と上原が楽しげに話しているときは、物陰から寂しげに見つめていた。
  • そんな彼に優しく声をかけたのが藤川球児であった。その人柄と心の温かさに胸打たれた岩瀬は、マウンドに向かう藤川の給水係や、受け取ったジャージを綺麗に畳む係など、彼のマネージャーを務めることとなった。
  • 日本人最高年俸投手(当時)なのに気が弱い。かなり後輩のセサ岡と食事に行った際に「投球フォームが年寄り臭い」と指摘されて凹む。川上も同席していたがやはりフォローしてくれなかった。
  • 川上は基本的に冷たいが、「俺らデキてるんスよ。」とテレビで公言するほど岩瀬を大事に思っている。顔を真っ赤にして全力で否定する岩瀬と、それを微笑みながら見つめる川上の姿が、二人の絆の深さを感じさせた。
  • なので決して友達が少ないもの同士だから一緒にいるとかそういうことではない。決して。
  • その親友・川上が2009年に渡米。そのためキャンプイン初日に「キャッチボールの、相手が、いない・・・・っっ!!」と過呼吸を引き起こしかける。
  • 選手生命の危機的状況であったが、後輩であり、今やブルペンのキングとなった浅尾拓也に「そんな隅っこで壁の方ばかり向いていないで、俺の隣でメシを食えよ。」と暖かい声をかけてもらい、彼のマネージャーとなる。
  • そんなこんなでいろいろアレとかあったが、7年連続30セーブ、250セーブ達成などどえりゃあことを淡々と成し遂げる。
  • そして2011年6月16日、ついに通算287セーブを達成、日本記録を更新した。が、大魔神が日米通算で381セーブを記録しているのでファン的には微妙な感じで喜びを噛みしめた。
  • その先の大記録達成も期待されるが、本人は親友と二人でアニメのDVDをゆったり鑑賞出来る春期キャンプを夢見ている・・・。
    • 2012年、その親友がドラゴンズに復帰することが決定した。名古屋市内のTSUTAYAにて、ニコニコ顔でDVDをカゴに放り入れる岩瀬の姿が多数目撃されたという。
  • 2013年9月18日、ついについに文句無しに新たな日本記録となる382セーブを達成。でも数日前にバレンティン王さん抜いちゃった上にこの日もホームラン打って記録伸ばしたのでそっちの方が盛り上がった。
  • 2018年10月13日、その岩瀬も既に43歳で衰えがはっきりと分かるようになってきたとは言え田島や又吉よりは全然マシなのだが。そして引退試合、通算1002試合目の登板。9回裏2アウトで代打福留に対し3球全てスライダーで三振を奪う。これから田島や又吉の炎上を見続けなければならない中日ファンは涙を流しながら岩瀬を見つめていた。

関連項目[編集]


ExSport.png この項目「岩瀬仁紀」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君もこの記事に胸が高まるような文付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)