幡随院長兵衛
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
幡髄院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)とは、江戸時代初期に活躍した侠客であり、RIKISHIである。古代から連綿と伝わる秘技「SUMOU」の概念を広く世に普及させた人物で、義侠に篤く、剛勇にして奢侈を好み、決して権力に膝を屈しなかった磊落にして快濶な人柄から多くの大衆に慕われ、後世に多くの英雄譚を生んだ。
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[編集] 前半生
英雄としてその名を歴史に残した長兵衛も、若い頃は一介のゴロツキに過ぎなかった。戦国の余燼が燻り、旗本の次男三男や浪人達が暴漢と化して街の治安を脅かしていた寛永の頃、長兵衛もまたゆすり、カツアゲ、喧嘩に明け暮れ、悪徳商人達と結託して不正取引を幇助し、他のゴロツキとの縄張り争いに拘泥していたどうしようもないならず者に過ぎなかった。しかし、一人の男に金品目的で襲いかかったことが、人生の転機となる。
[編集] SUMOUとの邂逅
その男は、恐ろしく強かった。恰幅のよい、巌のような男であったが、ガタイの良さでは長兵衛も負けてはいない。必殺のメガトンパンチで多くのゴロツキを殺してきた戦績のある長兵衛である。逡巡せず、男に襲いかかった。
だが男の強さは人間離れしていると言っても過言ではなかった。繰り出す掌底は鉄砲水の如く殴りつけ、長兵衛の巨体を容易く吹き飛ばす。掌から虹色に光るオーラを発散し、足踏みをすれば泰山が鳴動するほどの地鳴りが響く。BUCHI-KAMASHIの一撃を浴び、意識を失う寸前、長兵衛は太鼓の昔から伝わる伝説の格闘技「SUMOU」と、SUMOUの妙技を使いこなす「RIKISHI」と呼ばれる人々の存在を想起したが時既に遅し、鎧袖一触で蹴散らされてしまった。
[編集] RIKISHIへの飛躍
長兵衛を蹴散らした男は、「更生」と称して長兵衛を我が家に連行し、堕落した自身を叩きなおすべく修行に励ませ、「SUMOU」の要諦を叩きこんだ。最初の内は渋々打ちこんでいた長兵衛だが、研鑚を積む過程で精神が練磨され、ゴロツキの卑しい心が浄化されて行き、 積極的に鍛錬に励行するようになった。約二年に渡る修行の末、ついに長兵衛は「RIKISHI」として生まれ変わり、それまでの卑しいゴロツキからの脱却を果たした。修行を積む中で高邁な精神を涵養した長兵衛は、崇高な理念を抱くようになっていた。
不正と暴力、理不尽が横行するこの江戸を、SUMOUによって変革する。人々がNINKYOを重んじる、そんな江戸を作って見せる、と。
[編集] 江戸での活躍
江戸に戻ってきた長兵衛はそれから八面六臂の活躍を見せる。私服を肥やす商人あれば、行ってTSUPPARIで成敗し、庶民を虐げる旗本あれば、直ちにKETAGURIで懲らしめる。飢えに苦しむ子供があれば、笑顔でJUICEをおごってやった。また、かつてSUMOUの師が長兵衛にそうしたように、長兵衛もまた、腕っ節だけは強いがそれを生かせる場がなく、燻ってゴロツキ、犯罪者と化しているならず者達にSUMOUを奨励し、共にSUMOUの鍛錬に精励して彼らを更生させた。その中には唯一無二の親友であり、後に長兵衛の命を奪うこととなる水野十郎左衛門の姿もあった。
長兵衛はその有り余る力を私利私欲や自己顕示に使わず、弱気を助け強気を挫くためにつかった。彼はそれを「任侠(NINKYO)」と形容し、NINKYOを重んじる長兵衛とその同士達は「侠客」と呼ばれるようになった。長兵衛の人気は鰻登りに上がり、その活躍劇は日本中に伝播して、多くの人々が長兵衛に会うべく江戸を訪れ、江戸は大いに殷賑した。弟子達を引き連れ、派手な衣装を纏い、江戸の街を闊歩する長兵衛の姿が良く見られた。
[編集] 罠に陥る
しかし、そんな長兵衛を快く思わない連中がいた。長兵衛によって懲らしめられ、あるいは牽制されて商業を壟断できなくなってしまった悪徳商人達や、力に物を言わせて江戸の街を支配していた、旗本奴と呼ばれるチンピラ、ギャング達である。また、長兵衛の人気が爆発的に上昇するに伴い、長兵衛が弟子や民草を率いて幕府を転覆させようとしている、という風説が流布し、幕府首脳陣から危険人物として見られるようになる。そしてついに、悪徳商人、旗本奴、幕府首脳陣が結託し、長兵衛を落としいれる策略を巡らせる。
ある日、長兵衛は友人のRIKISHI水野十郎左衛門から饗宴に誘われる。水野十郎左衛門は長兵衛と仲が良かったが、旗本の息子であり、長兵衛と敵対する所謂旗本奴に属していた。罠ではないか、弟子や家族は危惧したが、長兵衛は「水野は莫逆の友、あの男に限ってそのような愚劣な真似はするまい」と言い、独りで饗宴に向かった。
長兵衛を誘った水野は彼に風呂に入るよう促し、長兵衛が風呂桶に漬かっているところ、郎党を率いて襲いかかった。果たせるかな、水野は父が仕える幕臣から長兵衛を騙し討ちにするよう命じられていたのだ。旗本奴とは言え共にSUMOUの研鑚を積んだ水野のあまりに卑劣な愚行に長兵衛は憤慨し、郎党の繰り出す白刃をKARATE-CHOPで造作もなく叩き折ると、勢い良く啖呵を切った。
「嘆かわしい。このような愚策で俺が殺せると思ったか。本気で俺を殺したければ、SUMOUの技で殺しに来い!」
響き渡る怒声。喝破された水野は己の愚行を悔い、正々堂々とSUMOUで長兵衛を殺す事を決意。小袖を脱いで裸となり、HAKKEYOI-NOKOTTAの構えから長兵衛に襲いかかった。得物は練磨された己の肉体。一対一でぶつかり合う長兵衛と水野、やがて衝撃の余波で壁や屋根が崩れ、両者共にSUMOUの秘技の一つであるBUKU-JUTSUを使い大空へと雄飛、決闘の舞台は江戸の夜空へと移る。
[編集] RIKISHI死す
夜天を走る閃光、静謐な江戸の夜に響渡る轟音。決闘は完全に拮抗し、趨勢は定まらない。刹那の内に繰り出される無数のTSUPPARI、研磨された白刃の如く振り下ろされるHATAKI-OTOSHI、掌からは七色のオーラが迸り、夜空に七色の軌跡を描く。両者の眼下には大勢の見物客が訪れ、矜持を掛けて激突する二人を見守っている。激闘は二時間近く続いたが、長兵衛が体制を崩して一瞬の隙を見せたところ、水野のTSUPPARIが長兵衛の太鼓腹に炸裂した。
鋭利に研ぎ澄まされた手刀は長兵衛の腹を貫通。致命傷を負った長兵衛は落下し、隅田川に飛沫を上げて墜落した。川縁にいた人々が急いで長兵衛を担ぎ上げる。腹部には巨大な空洞が開いており、どう見ても助かりそうになかった。長兵衛を気遣う人々に、彼は虫の息で
「SUMOUで死ぬるはRIKISHIの本懐、我が生涯に一片の悔い無し」
と語り、絶息した。
[編集] 受け継がれるNINKYOの精神
長兵衛の死後、幕府は長兵衛一派が幕府を転覆させようと計画していたという罪をでっち上げ、長兵衛の弟子のRIKISHI達を次々拘束、その殆どが討ち首に処され露と消えた。また、水野十郎左衛門も間もなく罪を得て処刑され、治安の保全を名目に幕府による徹底した侠客の掃討が行われた。かくして、長兵衛初め江戸を闊歩したRIKISHI達は、完全にその姿を消してしまった。
しかし、長兵衛が奨励した「NINKYO」の精神は、江戸の人々、いや日本人の心の中に連綿と受け継がれ、後の世に国定忠治や新門辰五郎、清水次郎長など、侠客と謳われる人々を大量に輩出する土壌を形成した。