幸せ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
幸せ(しあわせ 英:Happy)とは誰もが一度はほしいある種のブランド品である。
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[編集] 概要
「幸せ」は持っていると周りの人たちから尊敬と羨望、そして嫉妬や憎悪と様々な感情が一気にどっと「幸せ」な人たちに注ぎ込まれる[1] 。幸せの価値は世界共通で普遍的であることからISOのような何らかの国際共通基準があると思われる。
週刊誌などでその「幸せ」を見せびらかす人々、いわゆる世間では「セレブ」及び「勝ち組」などと呼ばれている人たちが手にしている。彼らにとっては「幸せ」はベンツ、高級マンションやブランドバッグと同じようにステータスだと目されており、「幸せ」を身に付けていないセレブはただの金持ちである。このように、「幸せ」はセレブになるための最低条件であり、必ず持っておきたいブランドである。
「幸せ」をググれば分かるように(2009年2月現在)約50,700,000件ものヒットが出ることから、いかに人類が「幸せ」を求めているかがわかる。
「幸せ」には以下の特徴がある。
- 形がない
- どこにも売っていない
- プライスレス
誰もがほしがるものであり、誰もがつかみたいものであることは確かである。ただし、「幸せ」は人によってそれぞれには違っており、それが見つけられない人は場合によっては人生の強制終了を選んでしまう。
[編集] 幸せの形
「幸せをつかむ」と言う表現があることから、幸せは握りこぶし大か、少なくともかばんのように取っ手が付いているものだと考えられる。[2]
一般に女性は「結婚=幸せ」、男性は「出世=幸せ」と一般世間でも理解されやすく分かりやすい公式が存在する。婚活や就活が人生の大きな岐路となるのも理解しやすい。しかし、世間ではこのような単純な「幸せの公式」が広まっているにもかかわらず例外が多数見受けられる。例えば、玉の輿に乗ったつもりが昨今の金融危機で底抜けになってしまったり[要出典]、マネーゲームの王者がたちまちサブプライムローン問題で路頭に迷ったり[要出典]と必ずしもこの公式が通用しないことに留意する必要がある。
オタクは世間ではマイナスイメージが付きまとい、「幸せ」だと思われにくい。だが、彼らがガンダムやエロゲを語るときの目の輝きは確かに「幸せ」に満ちており、ストレス社会と呼ばれる今の時代の中で一番「幸せ」な人種かもしれない。
[編集] 幸せの構成要素
今も昔も変わらない幸せの基準として「金」があげられる。これは単純に年収が高ければ高いほど幸せもたくさんもらっているとする考え方である。しかし、今の高度に発達した資本主義社会においては年収と幸せは比例しないが、大まかな目安として「年収」は幸せの基準となる。例えば、「愛がなくても金がある旦那」と「愛があって金のない旦那」どっちがいい?と女性に質問したら年齢が上がるごとに「愛がなくても金がある旦那」を選ぶ比率が増える。特に30代から回答結果が劇的に逆転する現象が報告されている。
もう一つの基準として「愛」がある。ラブラブなカップルなどはまさに「幸せ」の象徴だろう。[3]特に、「愛」が幸せの基準であると考える人はまだ人生の荒波を知らない中学生や高校生や大学生にみられる。特にDQNと呼ばれる人種はコレの信者である[4]。とはいえ、確かに「愛」されていれば幸せであることは間違いない。ただし、「愛」をいっぱいもらっているのにもかかわらず、それに気付かない鈍感な人は自分を不幸だと感じる。特に、自殺願望の強い高校生などに顕著にみられる。
幸せでいるもう一つの特徴として「自分らしく」居る事があげられる。ただし、「自分らしく=自分勝手でいる」と勘違いしている輩が居るので注意が必要である。その点、アンサイクロペディアは自分を表現する場として最適である。創作活動は人々の精神を豊かにすることが報告されている。ただし、アンサイクロペディアで自由に投稿できるようになるには玄人ユーザーの眼鏡にかなう記事を作らなければならいのだが。
その人が「幸せ」かどうかは単純に「笑い」の数で決まると言っても過言ではない。「笑う門には福来たる」ということわざがあるとおり、笑っている人は幸せな場合が多い。つまり、面白い事に常に接しているアンサイクロペディアンは単純に幸せだといえるだろう。もっとも、面白い記事に接しすぎて「幸せ」を感じられなくなった哀れな人たちもいることを常に意識してもらいたい。
- 結論
- アンサイクロペディアンが一番の幸せ者だ。ただし管理者を除く
[編集] 幸せが生まれる場所
このように、幸せはこの世のどこかで存在するが、どこで生産されているか意外と知る人は少ない。我々は様々な考察のもと、幸せの生産地を推定する。
- 人生万事塞翁が馬
- この故事があるように、幸せはどこから降ってくるのかは分からない。ただ、この故事は全て馬にまつわる話であることから、幸せは馬から生まれると推測される。事実、馬を使い慣れているモンゴル人と文明社会にどっぷりつかった日本人、それぞれに「あなたは幸せか。」と質問すればモンゴル人の方が「幸せ」と答えた人が日本人より多い事が分かっている。
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[編集] 幸せと幸福の違い
「幸せ」は「幸福」とも言われるが両者には大きな違いがある[5]。「幸福」は一生あるいは長期にわたって続く幸福感だとしたら、「幸せ」とはある刹那に、ふっとした瞬間でしか感じられない。つまり、「幸福」は誰から見ても幸せだと認知できるが、「幸せ」はある個人がまたは特定の集団にしか認知できない場合が多い。ある研究者は「幸福度」が高ければ人々は「幸福」という表現を使い、越えられない壁を超えなかった「幸福度」を「幸せ」と呼ぶ。好例として「ささやかな幸せ」という表現はあるが、「ささやかな幸福」は言わないか、もしくは表現上違和感を覚える。
「幸福」だと思っている人を探すのは難しいが、「幸せ」だと感じる人は多いはずだ。このように、「幸せ」は至る所にあるのに対して「幸福」は少量でなかなか姿を見せないという特徴がある。
[編集] 脚注
- ↑ 人から注目されるのが好きな人はえてして「幸せ」をつかむか「幸せ」をつかんだように装う。
- ↑ または野球のバットのように幸せは棒状の形をしていると考えられる。
- ↑ たまにそれを見せびらかすカップルが居る。適度にスルーするのが望ましい
- ↑ 彼らは本当の愛を信じているらしい。すぐに真理がわかるよ。
- ↑ 言っておきたいが、私は「幸福」という名の項目名を見つけたからこんな事を書いているのではない。もちろん、記事統合を避ける口実でもない。だから、本当だってば!