張栩

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張栩(ちょう-読み方不明。たぶん張ク、あるいは張コウ)は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士台湾台北市出身。林海峰九段門下。井山裕太の宿命のライバル(詳細は井山裕太を参照)。

目次

[編集] 棋風

地に辛いとして知られるが、最近は手厚い棋風もこなす。コウに強い。早見えで読みが深く、攻め合いや死活にも強い。目算も得意でヨセにも強い。まあぶっちゃけ全部強い。

[編集] 盤上の死刑執行人

近年は囲碁棋士が対局に臨む際はスーツ姿であるのが普通だが、張栩は常に黒または灰色のシャツとネクタイを着用し、全身を黒系統の色に統一する。これは、囲碁で相手を精神的に殺し、対局の場を葬儀の場とするという張栩の意思が込められている。その鋭い手筋で一方的に攻められ盤上に打ち伏さがれた対局相手から、張栩はいつしか「盤上の死刑執行人」と呼ばれるようになった。張栩が去ったあとの対局室は、まるで鎮魂歌が聞こえるような雰囲気であると言われている。

[編集] 本因坊カップル

2004年に、かねてから交際をしていた女流棋士の小林泉美と結婚した。結婚時には張が本因坊を、小林が女流本因坊を保持していたことから「本因坊カップル」と称された。結婚前、デートの際に張栩は小林に自作の詰碁問題を出しては解かせてばかりだったという。おそらく妻としての女性が欲しかったのではなく、単に趣味の自作詰碁を解いてくれる人が欲しかっただけだと思われる。婚約を小林泉美の父である小林光一名誉碁聖に承諾してもらう際、小林光一は「娘を奪うなら囲碁でワシを倒してからにしろ」と啖呵を切ったが、張栩に2子にこてんぱんに打ち込まれたとされる(将棋でいえば角落ちぐらい)。

[編集] 最強名人

張栩は2007年に名人位に返りざくと、2008年に井山裕太を相手に防衛してから立て続けにタイトルを奪取し、2009年には前人未到の七大タイトル中の五冠同時保持を達成した。「史上最強の名人」との呼び声も高かった。そして2009年秋、井山裕太との運命の名人戦を戦ったが、一勝四敗で敗れた。その後の張栩については下記の語録を参照のこと。

[編集] 語録

「10代の名人などありえない!」
~ 井山裕太 について、張栩
「私は運命を…切り開く…! 70年…100歳まで私は… いや101歳…102歳…生きている限り…私は名人…!!
~ 名人位 について、張栩
「井山君…またこの季節がやってきた…。キミとの名人戦も今年でもう10回目。私は名人…君はいつも挑戦者…! わかってる…わかってる…。きみはまた、右上隅星を打つんだね…!」
~ 名人戦 について、張栩、井山に敗戦のショックから10年、病院のベッドの上で

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク