後桜町天皇

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後桜町天皇
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基本資料
本名 智子(としこ) 
通り名 さくらたん 
職業 天皇 
出身地 日本 
出没場所 ヤマト王朝 
所属 朝廷
親戚等

桜町天皇(父親)桃園天皇(異母弟)

後桜町天皇(ごさくらまちてんのう)は江戸時代天皇。2019年現在最後の女帝であり、皇室典範が改正されない限り歴史上最後の女帝であり続けると思われる。

天皇として[編集]

宝暦12年(1762年)8月、異母弟である桃園天皇が21歳で崩御した際、後継の天皇について一悶着あった。桃園天皇には5歳になる皇子(後の後桃園天皇)がいたため、普通に考えればその皇子が践祚するのが順当だったが、若くして即位した桃園天皇が自分の側近を重用して摂関家をないがしろにしたため、「あまり若い天皇は困る」という意見があり、中継ぎ的に桃園天皇の異母姉である後桜町天皇が即位した。……と歴史書には書かれている。

しかし、そもそも、当時の日本で皇族の女性が22歳まで独身かつ俗世の人だったというのが不自然である。伊勢神宮斎宮になるならともかく、皇女は宮家五摂家のどこかにとっとと降嫁するか、とっとと尼寺に入って出家して尼さんになるのが通常だったわけで、智子タソが22歳まで独身かつ俗世の人のまま皇族の身分に留め置かれていたこと、弟である桃園天皇が21歳で急死したこと、その桃園天皇と五摂家は不仲であったこと、これらの間に1本の太い関係性の糸を見いだすのは筆者だけではあるまい(←誰だお前は)。

さらに、当時、女帝の即位は世界的な流行であった。奇しくも、ロシアエカチェリーナ2世が2ヶ月前の1762年6月に即位している。「今の天皇気に入らなくね?」「そういや、ロシアではおにゃのこが皇帝になったってよ」「それいいな。萌えー」という密談が五摂家幹部の間にあったことは想像に難くない。

こうして即位した智子タソであったが、五摂家の思惑には流されず、天皇家の権威確立に砕身した。ある意味で日本史上最も階位の高いツンデレである。デレがあったかどうか知らんが。マジメな話、日本の女帝は既婚(ただし天皇か皇太子の未亡人である皇女限定)未婚の区別なく即位後は一生独身を義務付けられているので、智子タソとしても天皇に即位した時点で結婚できないことは覚悟したはずである。タイムマシンができたら、ぜひともどこかのTV局で特攻インタビューしてほしい。

智子アフター ~It's a wonderful life~[編集]

甥である後桃園天皇に譲位し、さらにはその後桃園天皇が崩御して姦淫宮家から光格天皇を迎えた後も、上皇として智子タソは更に懸命にがんがった。どうがんがったか、書くのがめんどくさくなってきたので光格天皇の項目を見てほしい。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「後桜町天皇」の項目を執筆しています。
先代
桃園天皇
天皇
後桜町天皇
次代
後桃園天皇
CCSakura under moonlight.jpg はにゃーん。この記事 「 後桜町天皇 」は書きかけだよぅ。
でも頑張って書けばなんとかなるよ、絶対、大丈夫だよ。 (Portal:スタブ)