後白河天皇

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後白河天皇(ごしらかわてんのう、崇徳天皇4年(1127年)9月11日-後鳥羽天皇9年(1192年)4月26日)または法皇とは、ハゲ。じゃなくて平安時代末期のハゲ。でもなくて源平合戦期に法皇としての実権を握ったハゲである。 しかし、イケメンでモデルをやっていて、男女問わず遊んでいたという異説もある。諱は雅仁(まさひと)。

平清盛との関係[編集]

後白河法皇は、同じくハゲキャラとして人気の高かった平清盛を、キャラがかぶることを理由に、熱病に感染させて暗殺した。 これにより、平安時代のハゲといえば後白河法皇という評判が確立した。 しかし、平清盛も後白河法皇に匹敵するなかなかのイケメンで、モデル仲間としてライバルだったという異説もある。

源頼朝との対立[編集]

後白河法皇はエクストリーム・かくれんぼのファンであり、中でも源義経のファンであったために、源義経にMVP賞を与えようとした。

しかし、頼朝がこれに嫉妬し、源頼朝との溝が深まった。

義経と頼朝の源氏同士でのエクストリーム・かくれんぼが始まると、後白河法皇は義経を応援していたが、頼朝は義経を発見するためのチートである守護・地頭の設置を後白河法皇に無理やり認めさせた。

このことによりエクストリーム・かくれんぼの選手としての頼朝の評判は義経にくらべかなり低いものとなり、チートを認めた後白河法皇もヒールとしての立場を確立した。

マイクを離さぬ法皇[編集]

歴代天皇の中でも傑出していたのが、後白河法皇の歌唱力である。旧来の宮廷雅楽に興味を持たなかった法皇は、この当時の流行歌である今様にのめりこみ、この当時の記録によるとノドから血を吐きながら絶叫しまくったと、伝えられている。また法皇が編んだ『梁塵秘抄』には、「舞へ舞へ」のセリフも見られるところから、歌うばかりでなく、スキンヘッドをシャウトさせ、華麗なダンスを披露していたことは間違いない。これに匹敵するソウルフルな日本人はジャイアンか、miyocoぐらいなものである。清盛が厳島神社の舞台で屋外ライブを敢行したことに怒り狂い、鹿ケ谷山荘で秘密ライブを行ったことはよく知られている。

関連項目[編集]

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後白河天皇が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/君主」へ収録されています。
先代
八条天皇
天皇
後白河法皇
次代
二条天皇
先代
鳥羽法皇
治天の君
後白河法皇
次代
後鳥羽上皇