お戌の方

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お戌の方(-いぬ-かた、天文19(1550)年生-寛永5(1628)年4月29日没)とは、津軽藩のドッグブリーダーである。別名・阿保良(おうら)、福姫

人物[編集]

南部晴政の家臣で津軽城主・大浦為則(おおうら ためのり)の娘として生まれる。本名は福(ふく)であったが、戌年生まれのためか大の好きであり、領内の捨て犬を片っ端から拾ってきてしまうため、いつしか戌姫(お戌の方、お戌様)、と呼ばれるようになった。ある日、拾って来た大量の捨て犬の中に人間の男の子が混じっているのを見つけた戌姫は彼に人目惚れしたものの素直に好意を表すことができず、お世話してあげるにもついつい「べ、別にあんたの為にお世話してるんじゃないんだからねっ!ほ、ほかのわんちゃんと同じだけ可愛がってあげないとあんたが惨めだろうから、あくまで他のわんちゃん達と同じに可愛がってあげてるだけなんだからねっ!」とツンツンしてしまうのであった。その少年こそ久慈平蔵(くじ へいぞう)、のちに大浦為則の養子として戌姫の婿になる男であった。

内助の功[編集]

その後いろいろあったものの、数年越しの恋が実って戌姫は平蔵と結婚、平蔵は義父から「為」の字と主君・南部信直から「信」の字をお祝いにもらって大浦為信(おおうら ためのぶ)と改名。生来の才覚を発揮して知行の整備と軍備の増強に励み、家はますます栄えたのであった。そのかたわら、戌姫は広くなった屋敷で相変わらずあちこちから拾って来た捨て犬とはしゃぎ回るだけかと思ったらそうでもなく、したたかに領内の無頼漢を食客として広く迎え入れ、鶏鳴狗盗の人材を活用して陰に陽に夫を支えたのであったが、そんな事とは知らない当人はのほほんとしたものであった。

豪族との戦い[編集]

そうこうして大浦城と堀越城に確固たる勢力を築き上げた為信は、石川城襲撃を皮切りに他の津軽郡の豪族への攻撃を開始する、それを唆したのは戌姫である。かくて始まった津軽の国人達との戦いにおいて戌姫は配下のイヌ(わんちゃん達)や手下の走狗(食客であった無頼漢たち)を駆使して大光寺や朝日などに対する諜報活動や霍乱、破壊工作などを繰り返し、夫の率いる大浦軍を勝利に導き、豊臣秀吉と謁見して大名へと転身する(為信はこれ以降、姓を大浦から津軽に改めている)のであった。

晩年[編集]

その後、所領を安堵された為信は九条政実の乱や小田原征伐、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)や関が原の戦い(東軍として参戦)などに三面六臂の多忙さであったが、戌姫は津軽さえ平和ならもう何も言うことはなく、それまで養っていた食客は為信の家臣として正式に仕官させ、残ったわんちゃん達と死ぬまではしゃぎ回って暮らしたと言われている

関連項目[編集]