成田新幹線/その後

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2010年の7月17日、成田空港アクセスのための新しい交通ルートが完成した。標準軌で青い車体で颯爽と駆け抜けてゆく新幹線のような車体・・・

ヴオォオォン!!

しかし、それは成田スカイアクセス経由のスカイライナーといった全く違う乗り物だった。 まあどちらも標準軌だもんね。一緒一緒。ってスカイライナー関係ねー!

真実[編集]

成田新幹線の工事は、結局の所バブル崩壊のあおりを受けて破算状態となった揚句に工事の永久凍結となってしまったのだ。

東京駅の地下ホームは現在は京葉線が引っ切りなしに発着し、成田空港へ向かう高架線や駅のホームも、単線でこそあるが、成田線の列車(主に成田エクスプレスや快速エアポート成田。)が走るルートとして活用されており、廃物利用はうまくいっているようだ。

しかし、当時買収した土地は今も多くの所で残っており、今なお有効活用されずに空き地のまま残っている。特に、車輌基地の予定地は広大な空き地と化し、千葉ニュータウン鉄道が有効活用しきれていない所を見るに、この永久凍結の多大な影響度が窺える。

だが、JRにとって一番の屈辱は8km弱の高架線の半分の用地を京成電鉄グループに奪われた事だろう。高架線は複線化に対応できる広さがあり、需要はともかくとして、線路を増やせば大幅に増発できるはずであった。それを利用して再起を賭けようかどうかを本社側と千葉支社側が揉めていた所、京成電鉄が成田スカイアクセスを開通させる形で漁夫の利を得られてしまったのだ。利権は建設を請け負った成田高速鉄道株式会社にあるからといっても、元はJR路線の建設の為のものだった故に、JRはさぞ屈辱を味わったに違いない。成田エクスプレスや新型車の導入で躍起になって遅れを取り戻そうという姿勢もその現れであろう。

最も重要な事を忘れてはいけない。これが北総鉄道の運賃と言うお布施から成り立っている。それ故に、成田スカイアクセスが直通で成り立っている事も。このぼったくりによって、この新幹線(?)は成り立っているのだ。もはや、通勤・通学でも新幹線特急料金に近い運賃と言える。それ故に千葉ニュータウンは空中都市と呼ばれ、この空中都市を経由して成田空港へ飛び立つ資格を得られると言っても良い。

結局の所[編集]

全ては整備新幹線をむやみに増やした国鉄、そして発足当初のJR東日本若気の至りだったのだ。

関連項目[編集]


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