扶桑
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扶桑は、日本が手に入れた最初の自称戦艦である。
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[編集] 概要
ド貧乏だった明治政府が子供を青い目の外国人に売り飛ばして作った金で、やっとの思いでイギリスから購入した装甲コルベット鑑である。
[編集] 状態
どこをどう見ても戦艦とは呼べないような貧弱な船だったが、当時の日本海軍で唯一、装甲で囲われていた船だったため、外国人に笑われようと、兵隊さん達を洗脳して無理矢理に戦艦と呼ばせ続け、戦わせ続けた。
[編集] 艦歴
日清戦争で中国人から本物の戦艦をぶんどると、「ポンコツには用なし」と、二等戦艦へ格下げされた。
日露戦争に勝つといい気になって、さらに二等海防艦へ格下げされ、最後はくず鉄になった。
[編集] 二代目
二代目は念願かなって本物の戦艦になったが、構造計算偽造などが相次いだ欠陥戦艦になってしまった。アメリカ軍の格下の巡洋艦や駆逐艦にフルボッコにされ、爆発して木っ端微塵になり、兵隊さんと一緒に海の藻屑となった。
[編集] 外観
戦艦ふそうの舷側には、大量のタイヤがぶら下げられていた。これは強行接舷し、日本独自の最強兵器である竹槍とサムライソードやニンジャソードで直接敵兵の首をはねるためであった。実際、中国戦線では、「迎春剣」「斬鉄剣」「満鉄剣」「壊園剣」「野球剣」「自慰覚醒剤謎函数千百」などの魔剣が使われ、24時間で30万人の首をはね、10秒83という百人斬り世界記録を樹立したといわれる。
艦橋は、純和風の五重塔をモチーフに建造された。これは、小乗仏教の仏塔では、いくら神仏習合とはいえ夷荻に勝利するには縁起が悪いとされたためであった。
[編集] 兵装
主砲は黒くて太くてたくましい43サンチ砲であり、主に周囲の、覆いを付け忘れた銃座に多大なる損害を与えた。
艦首にある菊の禁則事項ですは、後年のヤマトと同様に最強の兵装であったが、当時のエネルギー不足を無視した設計から、ちゃんと120%までエネルギーを詰め込めないことがしばしばであった。
舷側のタイヤはしばしば敵艦に飛ばす武器として使われ、禁則事項ですなどを詰めて飛ばされた。