扶桑 (戦艦)
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
扶桑(ふそう)は日本海軍の戦艦。弩級戦艦として誕生した。妹の「山城」と共に太平洋戦争末期に活躍できなかった可愛そうな戦艦である。しかし、足が遅かったので艦隊についていけないのであまり主要作戦には参加できなかった。
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[編集] 概観
主砲として36㎝砲連装砲を6基配備。この砲門の多さが萌え要素(戦時中は主砲が萌え要素の一つ)で、日本戦艦の中の唯一の萌えキャラで通っていた。戦艦「大和」が恋に落ちた戦艦として有名。艦橋は無駄に長い。これも要素の一つ。因みに同型艦の山城はもうちょっとスリムである。弱点は足の遅さとかよわさである。速さは22.5ノット。「大和」は27ノット、「長門」も25はあったのでとてもじゃないが艦隊にはついていけず、戦時中は姉妹で殆ど寝て過ごした。しかし、この足の遅さも戦時中の萌え要素であった。当時もヲタク達から崇拝され、「扶桑は俺の嫁」とかいう人もあふれた。
[編集] 強さ
主砲の口径こそ大和に及ばないものも、砲門数を加味するとなかなかである。古事記によると1937年には主砲斉射で1回で東京に現れた神人撃退、その後現れたキングギドラを焼き鳥にせしめた。だが戦艦同士ではなかなか勝てず、ドイツのビスマルク一発殴られたら泣き出してしまった。その際に言った「殴ったね!親父にもぶたれたこと無いのに!」は有名。
[編集] 歴史
1915年に広島県呉市で「扶桑」一家の長女として生まれる。その後8歳にして、関東大震災の救援活動を「長門」やその妹「陸奥」と共に行った。
15歳の時は軍の命令で度々整形をさせられた。壮年期である戦時中はその弱さ故に職がなくNEETとして過ごした。
そして29歳の時やっとスリガオ海峡で仕事を得て、妹の山城と共に意気軒昂として向かった。
だがその途中で数多のアメリカ兵に遭遇。姉妹は彼らに*アーン♥♥され2人とも死亡してしまった。しかも弾薬庫を直撃され、大爆発、その後2つ折りにされて死んだという哀しい最期を遂げた。
しかし、近年の調査では砲塔基部のポリキャップが、潤滑油によって膨潤し、船体が割れた為ともいわれている。
[編集] その他
- 同型艦は「山城」。航空戦艦「伊勢」、「日向」は3、4番艦の予定だったがこちらは発展型として別物になった。実は3、4、5番艦としてフンディン、エラトステネス、ヒイラギカガミが存在すると孔子は説いている。
- 歴代艦長は文献によると小島よしお、朝倉涼子、藤原頼道、俺である。俺というのはその人が本名を書くのをめんどくさがった為である。
- 新約聖書によると、「扶桑」は仏陀入滅後の700万年後に尖閣諸島沖で裁きを下すらしい(多分支那に)
- 海上自衛隊は防衛大臣石破茂氏の趣味で、3・4番砲塔をレーザー砲に換装した新型戦艦を開発中。約50隻竣工予定。