敏達天皇
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 敏達天皇 について、徳川家綱
| 画像募集中 | |
| 基本資料 | |
| 本名 | おさだ…何だったっけ? |
|---|---|
| 身体情報 | 天然ステルス体質 |
| 職業 | 天皇 |
| 好物 | 三輪逆 |
| 嫌物 | 仏教、自分より著しく存在感のある人 |
| 出身地 | 日本 |
| 出没場所 | 飛鳥 |
| 所属 | 朝廷 |
| 親戚等 | |
敏達天皇はチャゲ時代の大王。欽明天皇の皇子。后に異母姉妹の推古天皇、兄弟に女たらしとかタリシヒコとか何とか呼ばれちゃっている用明天皇、殺された崇峻天皇がいる。
敏達天皇は廃仏派よりの政策をとっており、それにより廃仏派が勢いづき崇仏派が対立すると言う構図になっていた、が、その廃仏派の中に三輪逆が含まれていたという記述が存在し、また、敏達天皇はこの逆に内外のことを任せきりだったとも史書には書かれているので、結局全ては三輪逆が仕切っていたのではないかと言うことになり、とにかく主体性に欠ける人物だったという、当人にとっては不名誉かつ残念なことが全員に印象づけられてしまうことになった。
目次 |
[編集] 主体性無き大王
その敏達天皇の皇后で、後の推古天皇が彼について残した、現在は廃棄されたと伝わる日本書紀初稿にその言葉がある。改ざんから運良く免れたその言葉を現代語訳して紹介しよう。
[編集] 言葉の内容
夫の大王が三輪逆に思うままにされていた。別れたい… 腹心が逆だと新嘗祭で並んだ時なんか貫禄がないww 下向いちゃっているしww 夫にはせめて逆を命令している様子だけは見せて欲しい… 三輪逆に擦り手で迎えにこられ、卑屈にヘコヘコしている様子だったら…もう最悪ww せめて普通に背筋のばしたりはやって欲しい。 常識的に考えて欲しいだけなんです! 三輪逆の方が派手な格好で迎えに来た時の恥ずかしさとか分かる? あのね?たとえば週末10~20人ぐらいで狩りとか行くでしょ? それぞれ、継体天皇とか欽明天皇とか後の用明天皇とか 腹心の部下にいろいろ命令して貫禄を見せているわけじゃない? みんな普通に大伴金村・物部麁鹿火や蘇我稲目や蘇我馬子・物部守屋を従えている様子で来るわけでしょ? 反対に、三輪逆にヘコヘコ頭下げていたら大恥かくでしょうがww
以上に記された、妻からの愚痴より推測されうるに、敏達天皇はリーダーシップが欠如した人物と各方面から見なされていた。即位してすぐの時は、庶兄とも言われる後の用明天皇とおぼしき皇子と蘇我馬子が政治を取り仕切っていた。
敏達天皇はそれが鬱陶しい様子だったのだが、念願がかない他田に遷都を成し遂げ、とりあえずうるさい小舅と側近から逃れることができて、「私の時代だ!!」と彼は、意気込んだものの、後日、それに付け入るかたちで三輪逆が主導権を得ることになり、結局、立場としては『庶兄・後の用明天皇とおぼしき皇子と蘇我馬子』が『三輪逆』に置き換わっただけという、『元の木阿弥』として知られる伝承のうち出世シーンを減らしただけというような失意たる結果に終わった。
[編集] 存在感の薄さ
敏達天皇は、その低い評価を覆すために父親である欽明天皇の導入した仏教を否定しようとしてみたり、三輪山で蝦夷を従わせて権威を強調する儀式を執り行ったり(やっぱり先述の三輪逆が彼以上の積極性および存在感を持っていたことはこの件でも否めないようだ)のような、あれやこれやの事どもをいろいろとしたが、存在感の薄さと言う評判を覆すどころかますます強めていったようだった。
在位中には日羅の殺害事件が発生したが、この事件も、敏達天皇の存在感が、0.5ミクロンほど存在したなら防げた、とも言われている。
585年、彼は当時の死にいたる流行病で崩御するが、その遺言も父・欽明天皇からの政策を庶兄・用明天皇がさらに引き継いでくれ、という余りにも主体性のない事務的かつ官僚的な内容だったと言われている。
[編集] 主体性のなさから来る書物への逃避
敏達天皇は当時は極めて希で高価であった書物を読むことにのめり込んだ。 当初は、リーダーシップを強めたり権威付けを図るためのガイドブック的・ライフハック的な目的で『論語』や『史記』などを読んでいたが、書を読んだだけでは当然のごとく指導力などが発揮されるわけもなく、彼はますます日陰の身となってしまうことになった。 そして、その悲哀を和らげるため書物を読みあさるということに目的が変化していったようだ。
[編集] 書物に逃避しすぎてさらに存在感を失う
普通の存在感のある指導者だったら、「やーい、やーい、引きこもり~」などと心ない罵声を浴びせられることがままだが、敏達天皇は、即位当時から存在感がなかったため、書物にのめり込んでこもりがちになっても、そのことについて噂話にさえもならなかった。三輪逆と后・妃以外は敏達天皇が存在している、という認識が非常に薄かった。
蘇我馬子や物部守屋らに至っては、敏達天皇がいると言うことをど忘れしてしまったことも複数回あったという。その感覚がモガリの時の太刀の長さをアピールするだけに来た蘇我馬子と取って付けたように体を震わせ嘘泣きをかました物部守屋の態度に表れていると言えるだろうか。
[編集] 彼とは裏腹に存在感のありすぎるひ孫達(史書による)
彼には、前述した、存在感の強すぎる推古天皇との間に出来た竹田皇子の他に、やはり父親としての存在感なさを遺伝したのか、単なる身内の妄想たる脳内皇太子だけであったのか、実は禁則事項ですと言う人物が、広姫(この人も皇后になって1年で薨去した、と史書には記されている、存在感の薄いお方)との間にできているという(妄想をして、それを取り繕っているという話もあるという)。
この実は禁則事項を父親とすると言われる舒明天皇の息子達2人が大幅に時代を変える、と言うものだから、これは歴史の神秘としかいいようがないであろう(とは言っても実は禁則事項ですが敏達天皇の息子で実在して、さらにその息子が舒明天皇である、という事が確認されないと、この今の話も意味無くなるが)。