斎藤一

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斎藤一(さいとう はじめ 1844年-1915年)とは、幕末に京都で恐れられた新撰組の3番隊隊長を務め幕府に貢献した人物である。 維新後は警視庁に入り1877年西南戦争で抜刀隊として活躍。一般と腐女子の間ではマイナーだったがるろうに剣心 -明治無職浪漫譚-で一気にメジャーになった。

斎藤一

生涯[編集]

会津藩の斎藤金鉄の三男として生まれる。 生まれながらにして口臭がきつく、その臭いは馬100頭分にも勝ると言われた。

そのため父親に口臭がきついと言われ、家族に毛嫌いされていたが弟の公達だけは一と仲がよく、 夜な夜な二人で阿部さんごっこをしていた。 一が15歳になった時の夜、一の下で喘いでいた金鉄に

「口臭がきつくて……うっ…お前とはもう……くっせ…一緒に暮らすのは…ゲホゲホッ……無理だ……クサッ」

と言われ家を追い出される。 しょうがなく一は江戸に行って売春婦を買い漁りながら、剣術修行を独学でする。 そのため自分に秘められた内なる龍を江戸の町に解き放ってしまい、江戸は人口爆発に悩むことになる。

その時に後の新撰組の局長、近藤勇に試衛館に誘われそこに居候する。 そこで土方歳三や沖田総司に会い、自慢の精力とスカトロプレイで二人を文字通り肉便器にした。 ちなみに一の得意とするプレイは、最大限にまで押し広げたアナルに己の顔面を入れて直腸の内側から舐めまわす、というもの。 なお、そのプレイ中に窒息しかけたことが4回ほどあったそうだ。


1863年に壬生浪士組に入隊する。 そこで芹沢鴨に口臭をからかわれたことに憤り、痰を吐いて芹沢鴨の着物を汚す。 芹沢鴨は昔から人の痰で興奮するという特異体質であり、一の痰で絶頂を迎える。 こうして二人が恋仲になるのは時間の問題だった。 それを見かねた一の弟、弘達がカモネギを淡の風呂につからせ、カモネギは歓喜のあまり発狂。 弘達はカモネギを路地裏に捨てたが、たまたま近くを通ったオーキド博士に拾われる。 当時、オーキドは性欲を持て余していた。

言うまでもなくカモネギはオーキド博士の嫁に、弘達は一の嫁になった。

新撰組内では[編集]

新撰組でも最強の剣客と言われていたが、元来無口な性分の一は誰ともなじめず、一人ハブられていた。 また、新鮮組でも一の口臭は忌み嫌われ、その口臭で隊員一人が中毒死したことも。 だが、当時も一の性欲は健在で4日に一人のペースで新撰組内の隊員を、町娘に関しては1日に17人を頂いたこともある。 そのころから一がバイだということもばれ、隊内でのいじめに加速をつけた。

時代は大政奉還して江戸幕府が滅んだその日のうちに、自暴自棄になったためか新撰組隊長の近藤勇を快楽漬けにする。 そして一は人知れず旅に出た。つまり、ヤリ逃げ。

明治[編集]

旅の末、一は警視庁に入り密偵として活躍した。 かなりの色男で弟の弘達と結婚していたが、毎日遊郭に通っていたという。 もちろん梅毒にかからないわけもなく、70歳を過ぎるころには精嚢が20Kgにまで肥大しており、男性器も3本に増えていた。 1915年に自宅で腹痛で死亡。死亡の際には大量の脱糞により、屋敷内の悪臭が2ヵ月間消えなかったそうだ。

名前[編集]

斎藤はその匂いから奉行所などから常に監視の目を向けられていた。

その為に「斎藤一」から「山口二郎」、「藤田五郎」などの変名を持った。

関連項目[編集]