新垂井線

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
鉄分過剰
このページには鉄分が過剰なので栄養のバランスが崩れています。
DHMOの摂取やバランスの良い食事をすることを心がけ、鉄分が偏らないように注意してください。

新垂井線(しんたるいせん)とは、JR東海と日本貨物鉄道のローカル線である。本線よりも長い短絡線として下り線だけが整備され、途中駅も蒸気機関車も消えて存在意義がなくなってからも30年以上なぜか存続している。

概要[編集]

大垣駅から垂井駅を経由しないで関ヶ原へ向かう下り列車だけが通る路線である。知名度は極めて低く、大垣駅から東海道本線が穂積、垂井、美濃赤坂、近鉄あらため養老鉄道が揖斐と西大垣、樽見鉄道が東大垣へ分岐していることを呪文のように唱える鉄道オタクの9割がリストアップを忘れてしまうほどである。優等列車に決して乗らない18きっぷ好きの彼らの盲点になっているほどの知られざる路線だ。

経緯[編集]

垂井駅経由の現東海道本線が下り部分で上り坂になって減速するのが不快だった富裕層が、この部分だけ減速するのが不快だったので、国民が困窮する戦時下の1944年に本線より距離の長い短絡線として垂井駅を経由しない新線を開通させた。終戦後に鉄道オタクの集結スポットとなるのを見越し、新垂井駅を開業して、旧線の垂井駅に停車する下り列車をすべてこの新線を通るようにした。目論見どおり新垂井駅と垂井駅の間3kmは、通行する鉄道オタクたちで常時にぎわうようになった。

しかし、鉄道ファンには面白くとも不便な垂井町民が一揆を起こしたため、旧線の垂井駅にも一部の下り列車を停めることを余儀なくなれた。その後、列車の機能も改善し、蒸気機関車の付け替えも不要となり、垂井駅がそれなりに乗客の集まる拠点となり、鉄道ファン以外の誰もが無駄に思っていた新垂井駅も1986年に廃止された。路線の存在意義がなくなったが、全国のスイッチバックがどれほど廃止されても、下り線しかないこの欠陥路線はなぜか高速運行の名目で存続している。

だが、この区間を高速運転するのは各所で他の列車の高速運転を邪魔する低速な貨物列車と急ぐなら米原から名古屋まで新幹線に乗ればいいしらさぎ号と廃止目前のスーパーひだ号しかなく、額面通りに受け取ることはできない。そのため、様々な理由が飛び交っている。

存続の理由[編集]

  • 大垣駅から米原方面へ向かう優等列車の垂井駅の通過記号が「レ」でなく縦二本線になっているミステリーをつくりだすため
  • JR東海のしらさぎ号をご利用ください運動のため
  • 垂井町が新垂井駅と分離していた頃の謝罪と固定資産税の支払いを通した賠償を求めているため
  • 廃線のための手続きがタルいため。
  • 関ヶ原東軍の一族が威信護持のためにゆかりの地での廃線を許さないため
  • 新垂井線を抜かして大垣駅からの分岐路線自慢をする大垣駅のアスリートたちの無知を駅員が笑うため

臨時列車になってもムーンライトながらが米原や大阪まで走らず大垣止まりなのを根拠に、最後の説が最も有力視されている。

関連項目[編集]