日常
日常(にちじょう)とは、毎日がサンデーのことである。
概要[編集]
日常とは、毎日が日曜日な状態を指す言葉である。つまり、毎日学校にも企業にも行かず、平日も祝日もないメリハリのない日々のことを指す。日常を送っているものとしては、定年退職した老人や長期休暇中の学生、NEETや無職などが挙げられる。近年では、永田町というエセ企業で政治という名の小田原評定を行い、足の引っ張り合いに終始して何ら成果を出せていない政治家共も、国民の強い意思に反映されて、これらに含まれている。しかし、あまりに長く永く日常を続けて朝もずっと寝て過ごし、夜は墓場で運動会(注、ここで言う運動会は学校や町の行事ではなく、愉快な仲間と楽しく過ごすお遊びを運動会という働いている負け組の行事を揶揄して読んでいる)に興じるなどしていると人間社会とは離れあっちの世界に行ってしまうので注意が必要。
働いている人間は、野望溢れる同僚に足を掬われそうになったり、寝る時間以外全て職場な生活で気が狂いそうになったり、出資者に土下座回りをしたり、女子トークに話を合わせるためやたらと空気を読む必要があったりと常に波乱に富んでいるため、日常と縁があるはずがない。
語源[編集]
元々日常は、日の出から日の入りまでを指す言葉であった。つまり、太陽が出ている時間を指す言葉であったのだ。つまり、雨雲に太陽がかくれれば日常は終焉に向かうのである。そのため、雨雲に覆われることの多い裏日本、山陰地方では末法思想が流行し、未来が見えずに鬱になって自殺する人間も多い。
やがて、常に日が出ているというのを常に日曜日と解釈するものが現れ、さらには常に祝日のような状態を日常と言うように意味が変遷していった。
日常系[編集]
こうした毎日がホリデーな生活な物語をつづった漫画やライトノベルを日常系と呼ぶことがある。NHKにようこそ!やサトラレなどはその代表例である。一部文献では涼宮ハルヒの憂鬱やらき☆すた、あずまんが大王や生徒会の一存なども日常系と呼ばれることがあるが、彼らは学校に通っており、毎日が日曜日とは認められない。よって空気のように当たり前の日々を送るという意味で空気系と呼ばれる。
日常系には日常系独特の楽しみがあるが、一部ではそれを受け付けない人物も相当数存在する。日常系と空気系が融合していうことはわずかであり、相対すると考えている人すらいる。なので日常系を空気系と誤解し、のほほんとした物語を求めると痛い目に遭うとここを読んで覚えていただきたい。