日本航空350便墜落事故

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日本航空350便墜落事故(にほんこうくう-びんついらくじこ)とは、ホテルニュージャパン火災から一夜明け、消防がようやく落ち着き出しマスコミはさあ叩くぞというところで、統合失調症(当時は精神分裂病)、いわゆるキチガイの機長が操縦する飛行機が羽田沖で墜落した飛行機事故のことである。運悪く冬、それも真冬だったこともあり海水温は低くその影響もあり24人が死亡した。

日航機事故といえば123便、羽田沖といえば全日空、82年2月といえばニュージャパンということで知名度はかなり低い。

概要[編集]

1982年2月9日、遠い東京の火災を一目でも見てやろうという野次馬根性で乗った客が一人いてもおかしくない状況で午前7時半頃福岡空港を離陸。8時40分頃羽田に着陸というところで突如として機長が狂い通常は着陸後に行う逆噴射を飛行中に行い急降下。直ちに副機長と航空機関士が操縦桿を引き上げたが滑走路寸前で墜落した。この時に副機長が発した「機長!やめてください!」は123便の機長3語録と並ぶほど有名で流行語となった。

墜落後は機長などパイロットは乗客らの救助を行わなくてはならないと法で決められているがそれを放棄し一人救助され病院にいくなどあり得ない行動を起こす。なお、この32年後に同じような光景を見ることになるとは誰も思っていなかった。機長は前日の操縦からおかしな点がちらほら目立っていたが、当時の機長は管理職という「通年ネクタイ」と同じほど古い発想のせいで黙殺されていた。機長はもともと精神分裂病により「ポストの色が赤いのはソ連の陰謀だ!」と中二病も真っ青な想像(という名の妄想)をしており、事故を起こした当時も「死ね」と指図されたと感じたと言っている。着陸寸前の時点の機長の脳内では「死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね、死んじまえ~♪」と死ね死ね団のテーマ曲の幻聴が鳴り響いていたそうである。「自殺するなら人様に迷惑かけるな」の最たる例である。当人が死んでおらずほかの乗客がとばっちりを食らっていることもある。ちなみに同じ羽田沖では1966年に全日空機が墜落している。この時は途中をショートカットするなど機長同士でスピードの競い合いなどがありそれが生んだ事故であった。

救助にはやはり東京消防庁が出動。連日死体を見るなど二日連続の激務となり、今ではブラック企業だと茶化されてもおかしくないほどの激務であった。

その後[編集]

機長は逮捕されたが、その後上記の精神分裂病などの影響もあり不起訴処分となった。今も昔もキチガイ無罪の例である。また、機長の名前が実名で報道されたため、同じ名字の人間がいじめられるということが相次いだ。

不起訴ではあるもののそのまま放置というわけにも行かないので、八幡山の病院へ入院という事になった。

副機長は当時日本テレビアナの巨人ヲタクと知り合いであり、日本テレビから取材を受けた。

60年・70年代は松山雫石などで全日空が危ない航空会社であったが、80年代はこの事故に加えやはり先述の123便、86年には海外で日航機長がUFOを見たなどと言い張ったこともあり日航が危ない航空会社という認識が広まった。90年代以降は、どっちも危ない航空会社となりつつある。

関連項目[編集]

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