日野富子

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「と、と、富子、銀閣建てるから、ちょっと金貸して!」
日野富子 について、足利義政
「ばぶー、ちゃーん、はーい」
日野富子 について、足利義尚
「この女、嫌い・・・・大嫌い・・・・」
日野富子 について、足利義視
「はいはい、御台所さま、はいはい、お金ですよ」
日野富子 について、山名宗全
「このおばはんを敵に回すと恐いぞぉ~」
日野富子 について、細川勝元
「お前が日野富子か? さあ、我に挑め!」
日野富子 について、遠呂智

日野 富子(ひの とみこ)は室町幕府第8代将軍足利義政の御台所すなわち正室である。CV風音こと櫻井浩美

影の薄い将軍たちが多い室町時代にあって、強烈なお金パワーで燦然と煌くその存在感は、他の多くを圧倒している。その名の通り「金満富子」であり、日本を代表する「金の亡者」「守銭奴」として名高い。日本における『消費者金融の母』である。

英語圏では女性投資家「トミー・日野」の愛称でも知られている。ちなみに「♪死んだはずだよ~お富さん」の「お富さん」とは多分別人である。

生涯[編集]

富子誕生[編集]

日野家は中流公家の家柄で、三代将軍義満のころから、将軍家との婚姻関係を取り結ぶようになった。しかし室町将軍の正室ともなると、嫁入り道具の調達もなかなか難儀なことであり、多くの出費を強いられた。富子の父はこうした出費に頭を悩ませた挙句、生まれてきた娘がゼニ金に不自由しないようにとつけた名前が「富子」だったのである。その父の期待に違わず、生まれてきたばかりの富子は、お金のチャリーンと落ちる音を聞きつければ、キャッキャッ笑い出し、なんかの拍子で手の平にお金が入ってくると、ぎゅっと握り締めて大人が何人がかりで開かせようとしても全く開かなかったと伝えられている。早くも3歳になったころには、侍女や乳母にお金を貸し付けて、それなりの財産を築いていたようである

富子と義政の腐れ縁[編集]

女性であってもある程度は読み書きがこなせなくてはならない、との教育方針から富子は、当時のたしなみである和歌や連歌を幼少時から学ばされたが、とんな歌を詠んでも、「ゼニ」とか「丸儲け」とか「安さ爆発」の句を所々にちりばめ、最後の句は「~それにつけても金の欲しさよ 富子」でまとめようとするので、風流人たちからは「ゼニゲバ女」と呼ばれていた。特に若いころの足利義政は、その日記の中で歌会で出合った富子を次のように記録している。「絶対結婚したくない女は富子。風流のふの字もわかってない。もう絶対やだ、花沢さんそっくりだし・・・・」と書き残している。運命は残酷である。こんなにも趣味がズレまくっている二人が、何の因果かソリのあわない夫婦として生まれてしまうのだから、世の中ってわからぬものですね。

借金返せない花婿[編集]

富子はすでに結婚前の10代半ばには、現在の金額にすると1億円相当のお金を貯めていた。そこへ義政が足しげく通うようになったのは、骨董名画を買い集めるのが趣味だったぼんくら義政が、コレクションのために鬼のように富子(この時点で「富子金融」という店を営んでいたらしい)から金を借りまくっていたからである。富子は金を貸すこと以外、義政に興味がなかったが、そのうち見境のない義政が大借金こしらえて、首が回らなくなり、義政自身は借金のために「富子の下僕」として差し押さえられていた。他の人間と結婚すると余計な実費がかかると思った富子は、持ち前の現金さで、「love is cash(愛は金)」であり「cash is love(金は愛)」だと、このさいキッパリふんぎりをつけ、借金のカタに義政を結婚相手とする算段をしたのである。なるほどこれなら富子と実家の日野家の懐は痛まない。それに「将軍夫人」のハクがつく。富子には足利将軍家は実入りのいい財布にしか見えなかったようである。ただし借金棒引きで結婚というのでは聞こえが悪いので、裏で回ったゼニ金のことは一切公表されていない。

寛正の大飢饉での富子[編集]

富子のビジネス感覚の鋭さを示すものとして「寛正の大飢饉」での富子の活躍がある。1459年から始まったこの大飢饉では、京都中の人々が飢えで苦しみ、餓死したものは数万を数え、鴨川の河原に詰まれた死体が多すぎて、鴨川の流れが堰き止められたというあの大飢饉である。富子は幕閣で救済措置の決定が下される前に、大量の米を手に入れて、米の炊き出しを行い、おにぎりを飢えた人々に振舞ったのである。この時は誰もそれが善意であること、そしてタダであることを信じて疑わなかったのであるが、実はこの炊き出しはタダではなかったのである。おにぎりの裏側には「有料 富子」の文字がそれとなく書かれており、一個残らず詳細な帳簿がつけられ、その後何年にもわたってこの時炊き出したおにぎりの代金を払えと、ひっきりなしに督促状が送りつけられたと言われている。また沢山の死者が出たので、それに乗じて近辺の京都の土地を買い集め、高い値をつけて墓地として売って大もうけしたのもこの時期の話である。また足利銀行を設立し、例の飢饉で将来に不安を覚えた人々に、ここぞとばかりあることないこと吹き込んで、まさかの時のための生命保険を契約させ、またしても巨利を得たのである。「生きてる人から金を取り、死んだ人からも金を取る」と悪名高かったが、この時期富子の人生は、向かうところ敵なしだったのである。

義視と義尚[編集]

応仁の乱の原因を富子の性格に求める意見があるが、それは正確に言うと正しくない。富子の人生哲学は「ゼニ金ためてなんぼのもんじゃい」であって、むやみに戦争を起こすことではない。むしろゼニ金を失うようであれば、戦争を絶対阻止したであろう。しかしこうした彼女のゼニ金哲学が知らず知らず戦争の遠因になったという皮肉な面があったのであり、富子の金儲けはあろうことか「死の商人」のそれに近づいていく。

骨董将軍義政は政治に疲れて将軍リタイアを表明していた。それと同時に弟の義視を僧侶から還俗して九代将軍に迎えると発表してた。おのずと義視の株は上がり、先物買いするように守護大名やらなんやらが次期将軍を持ち上げ始めたのである。しかし富子はそんなことでは動じない。秘密裏に義視関係の株をつり上げるように仕向けて、自分の妹を義視と結婚させたうえで、そして誰もが予想しなかったことだが、義政との子義尚が生まれたことをいきなり大々的に発表したのである。

この知らせは、義視のオッズに賭けていた京都の土倉や酒屋などの金貸し業界を大パニックに落としいれ、義視銘柄の株は全面ストップ安になり、「鬱だ氏のう」といって命を絶った者は数しれず、ただ一人義尚の誕生を知っていた富子だけが大儲けすることになったのである。世に言う「室町恐慌」である。このあまりにもえげつない儲けにより、幕府の経済政策に対する不信感は募り、結果的には徳政令を何度となく出す必要に迫られるが、富子は世情の喧(かまびす)しさにもめげず、京都に出入りする七つの街道に関所を設け、これまた濡れ手に粟で大儲けしたのである。

やがて幕府内の権力闘争と大名家の跡継ぎ争いが絡まって応仁の乱が起きると、義視を支持する細川軍が富子や義尚が住んでいる将軍御所を占領し、事実上の軟禁状態に置かれた。次期将軍は義視で決まり、いよいよ富子も失脚かと思われたが、それでも応仁の乱の両陣営にお金を貸し付けるなどして富子は金儲けに努めていた。やがて細川軍の大名たちは「債権者」である富子に頭が上がらなくなり、ついに富子の言いなりになって、義尚を支持する方針に切り替えてしまい、義視は将軍御所から出奔してしまった。こうして義尚が義政から将軍職を譲られて9代将軍となり、富子は将軍の生母となった。しかし応仁の乱の結果、日本全国では「足利将軍?誰でもいいし興味もない」という状態で、将軍の命令を無視した戦国時代へ突入していた。成長した義尚は将軍の権威向上を目指していたが、父義政と妾を取り合って争ったり、母富子と喧嘩して義尚が家臣の屋敷に家出してしまったり、義政が人生最後の道楽として銀閣寺を建立しようとしたが、富子が一銭も工事費用を出さないなど家庭内不和を引き起こしていた。結局、義尚は近江遠征の陣中で発病し、富子も息子の見舞いに駆け付けたが病死してしまった。

義尚の後任の10代将軍は、よりにもよって応仁の乱で争った相手である義視の子の足利義稙であった。翌年に夫義政が病死すると、義視・義稙親子から報復を受け、富子は領地を差し押さえられ、屋敷も壊されてしまい、ついに富子失脚かと思われた。義視がほどなく病死し、義稙が河内国へ遠征すると、細川政元と富子は結託して京都でクーデターを起こし、義稙を将軍職から引きずりおろし、足利義澄を11代将軍に据え、義稙を幽閉した。富子の人脈で、幕臣や諸大名の多くはクーデターに賛意を示した。細川政元は前将軍義稙を小豆島へ流罪にするつもりだったが、富子は義稙毒殺を企てており、義稙への富子の憎悪が窺える。やがて義稙は幽閉先から脱出して越中国へ逃れ、そこで越中公方と称して仮の幕府を立てて全国に号令することとなった。京都では富子が新将軍義澄のもとで勢力を盛り返していたが、それもつかの間で寿命が来て亡くなった。

富子にまつわる迷信・俗信[編集]

蓄財の才に長けた富子は、霊験あらたかな「商売繁盛」の神として祀られることもあり、「富子大明神」の号が贈られている。東京深川富岡八幡宮ももとは「富子八幡宮」であって「富子」を勧請し、祀っていたらしいが、「宵越しの金をためない」江戸っ子の沽券(こけん)にかかわるということで、その名は消されてしまったらしい。

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「三田佳子」の項目を執筆しています。

それはともかく、富子大明神の効験はすさまじいらしく、それが証拠に富子の生涯を扱った唯一のNHK大河ドラマ「花の乱」で、富子役を演じた三田佳子の金満ぶりは聞きしに勝るものがある。三田は富子役に扮して以来なぜだかCM出演が増えたり、賞をもらうことが重なったりして、芸能人長者番付首位をながらくキープし続けることになった。これも富子の霊が憑依したからだ、と言われるが実際のところはよくわからない。

金運には恵まれる「富子大明神」だが、家族運には恵まれぬようで、特に過保護・過干渉すぎて息子がダメ人間になる傾向があるらしく、富子-義尚の関係が悪化したのに似ている。三田佳子も月に50万円の小遣いをあげるように息子を甘やかしていたのだが、それが裏目に出て息子の放蕩ぶりにはさんざてこずらされたようである。

富子語録[編集]

お金大好き!!
生まれて初めてしゃべった言葉
おにいちゃんがせいじかになったら、あたしはいっしょにりけんかくとくしておかねもうけするの~
子供のころに将来の夢を聞かれて
いつもニコニコ現金払い!!
富子のスローガン
お金頂戴
口癖となっている言葉
それにつけても金の欲しさよ!!
独り言でよく言っている
「一円を笑うものは、一円に泣く」って言うけど、あたしは笑わないし泣かないわ!!
何かあったらしい
「金の切れ目は縁の切れ目」って言うけど、あたしは縁は切っても金は切らすようなヘマはしない!!
また何かあったらしい
もうかりまっか?ぼちぼちでんなあ!!
富子は京都人なのになぜか「大阪のおばちゃん」っぽいと言われている
わくわくする様なマネーゲームがしたいな
幼い頃に義政に言った台詞
やな子ね!
上記と同じ時期に義政に言った台詞
しょうがないからあたしの夫にしてあげる
プロポーズの言葉
幕府を救うのは、このあたし、日野富子様よ
結婚式のスピーチにて
はいはい、金のない大名はここから出てってね!!
守護大名の怒りに火をつけたセリフ
信用とはキャッシュだと言うことがまだわからないようね!!
お金の貸し借りについての持論
この最高に高貴で美しい御台所富子様がいれば、安心よ
貸し付ける際の決め台詞
ハイッ!朝から晩までお金勘定することです!
「趣味は何ですか?」と問われて
骨董を昼間から弄っている人間のクズ!!せめて男なら銭を弄びなさい!!
夫・足利義政について
修学旅行で京都に来たからって、銀閣なんか見せるのやめなさいよ
銀閣が嫌いらしく、宣伝する義政に対して
金を返さないなら、お前をバラしたあと葬式もやらずに二十日ほど放置してやるわ!ボケーッ!!
返済期限を超えた人に対して
跡目争いなんて心と財布に余裕の無い貧乏人どものやることよ。うちとは違ってほんと醜いわ
この直後に義尚が生まれて(以下略)
義銭、義金、義儲……。どれも捨てがたいわね
義尚の名を決めるに当たって
あ、思い切って全部くっつけて義銭金儲ってのはどうかしら!?
この名に決まらなくて心底よかったと思います(義尚・談)
義稙に将軍職を渡さないで
遺言

関連項目[編集]