明石元二郎

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偉大なる台湾総督、明石元二郎将軍(1864~1919)とは、日露戦争における特務工作ではかのレーニンと同盟を結び、韓国合邦戦争においては伊藤博文統監に歴史に残る秘策を授けた日本史上最強、諸葛孔明に匹敵する名軍師にあらせられる。

生い立ち[編集]

将軍は1864年、福岡県の武士の家に生まれた。一族には大坂の陣で豊臣方に立った明石全登がいる。母は隠れキリシタンの血を引くお人らしく、殴ることもなくとても優しい人柄だったが、将軍は母から四書五経を教えてもらう時、以下のように頼み込んだ。

「母上、どうか僕が四書五経の文句を暗唱し間違えたら、どうかこの物差しで僕の足をひっぱたいて下さい」

「私はそんなことはやりたくありません。なぜそのようなことを言うのです」

「僕は史記に登場するような栄えある英雄になりたいのです。そのためには時として、小社会に横行する儒学的な表面的儀礼では済まされない行為をせざるをえない場面にも遭遇するでしょう。ですので、罰を受けることへの耐性を今からつけておかねばならないのです」

母はその言葉を受け入れた。しかし、息子が天下をとるためには民に寛大さを示すことも必要だと判断して、四書五経の暗唱時以外には息子の望む罰を与えなかったという。なんと感動的な教育物語であろうか。

将軍は成長すると明治の軍隊に入隊した。将軍は常に、昭和の軍人がみたら即打ち首にすること間違いなしの行為を繰り返し、罰を受けざるをえない状況にも直面した。しかし、その時は四書五経の中から民衆の儒教では考えられない文句を唱えて、自己の行為を正当化し、上官たちを唸らせた。ドイツ留学がかなったのもその御蔭である。

日清戦争[編集]

将軍が30歳の時、清の北洋軍閥が朝鮮半島の利権を要求して宣戦布告してきた。戦争は将軍の出る幕もなく日本軍の圧勝に終わり、下関で軍閥の領袖李鴻章との和平交渉が始まった。交渉はうまくまとまったが、李鴻章は悩んでいた。

「本国の女妖怪様にどう言い訳しよう。領土を大量に失い、わが手勢も失った。このままどうか私を殺して下さいといったら、間違いなくその場で斬首されるだろう」

その悩みを聞きつけた将軍は以下のように助言した。

「気にすることはありません、全権大使。このように報告して下さい。この戦いは愚かなる小臣の率いる北洋軍閥の敗北であって、決して大清帝国の敗北ではありませぬ。和平交渉で台湾を小日本にくれてやることになりましたが、これは大海より深き大清帝国の慈悲なのです。遼東半島も一応は渡すことになりましたが、やがて西欧諸国の干渉によりなかったことになるでしょう。まこと太后陛下は西欧諸国をも朝貢させ、ビクトリア女王をも羨ませる偉大なる女傑にございます。とこのように進言すれば、大使様は首が飛ぶどころか更に出世できることでしょう」

敵将にまで助言する慈悲深き将軍に、李鴻章はいたく感激し、早速実践した。将軍の言葉通り、彼は昇進してその後の外交交渉でも代表を務めた。彼は義和団事変の時にもこれと同趣旨の発言を行い、列強に多くの土地を恵んであげたのだった。

日露戦争[編集]

日露戦争こそ将軍の才能が最も開花した戦いだった。将軍は少年期以来神童と称された語学の才能を認められ、欧州大陸で諜報活動を行うことになったのだ。将軍はまずスウェーデンに向かい、当時ロシアの保護領だったフィンランドの独立を目指す革命党のシリアクス党首と面会した。シリアクスは語った。

「貴国が憎きロマノフ集団と開戦する日は近いと聞いております。このシリアクス、アジアの血を引くスオミの末裔として、死力を尽くし貴国と協力する所存ですが、円滑な作戦のためにはロマノフ集団の中の抵抗勢力とも手を組むことが得策かと思います。協力候補が二つおります。一つはロシア正教のガボン司祭、もう一つはウラジーミル・イリイチ・レーニン率いる社会主義勢力です。実のところ私があまり好ましく思っておらぬ後者は現在我らと同じく亡命中です。将軍、どちらと手を組むのがより良いと考えますか?」

将軍はこのように答えた。

「レーニンと組むべきだ。ガボンはしょせん正教知識主義の分身たるインテリゲンチャの申し子、戦闘を先頭で遂行するルンペンの心をつかむことはできぬだろう。それに対しレーニンは積極的に農村に拠点を置き、農工業すべてのプロレタリアのありのままの本音に基づいた活動を行っておる。今は弱小勢力だが、15年もせぬうちに労働者を熱狂させる最大勢力へと進化するだろう。ところで、レーニンと連絡はつくのか?」

大丈夫と聞き、将軍は早速レーニンと対面した。早速援助を出すことを申し出たが、レーニンは頑なだった。

「貴下の申し出には深く感謝いたしますが、敵国や保護領臣民の援助を受けてしまうと本国の農奴たちの民心を得られなくなってしまいます。どうかお引き取り下さい」

「そう申されますな。他勢力との思想上の隔たりの深さは伺っております。しかし、ともにロマノフ集団を憎む仲ではありませぬか。今は大同団結の時です。保護領の民とは、思想上の隔たりを越えて付き合いましょう。貴殿の著書にも、革命成就のためには一時的に資本主義勢力と組んでも構わないと記されているでしょう」

「・・・今はそのような時かもしれません。まさか極東の敵国の将軍にまで私の革命理論が知られているとは思いませんでした。しかし、公然と援助を受けるとなりますとやはり・・・」

「極秘ならどうでしょう。さすがに保護領のあなたに反対する勢力が集まる全体会議には出席できぬでしょうが、そのかわり極秘裏に彼らより援助を受けるのです。ただし、あなたの革命が成就した暁には、保護領のルンペンを見捨ててでも、保護領の活動家達に独立国をつくらせてあげて下さい。そうすればあなたは後世正義に光り輝く「礼人」(れいにん)となることができるでしょう」

「私を正義の味方ですか。いいですね。ところで、なんですか最後の漢字は。どうかこの用紙に揮毫して下さい。一生の宝物にします。貴下の条件を受けましょう」

翌年のとある日曜日、ガボンのデモ隊はロマノフ集団の巣食うサンクトペテルブルクを行進したが、ルンペンのはずのロシア兵に襲撃されて多数の犠牲者を出した。解放の対象としたはずの帝都のプロレタリアたちは、発砲されることが分かっていて無謀な行進を行ったとガボンを嘲笑した。ガボンの仲間はロマノフ集団を動かして立憲制を一時的に樹立したが、直後にそんなルンペンを残酷に弾圧し、レーニンによる社会主義革命の空気を醸成した。まこと将軍の工作は何年も先を見据えた遠大なる計画である。

韓国合邦戦争[編集]

日露戦争を終えた将軍は戦後伊藤博文統監から直々に呼ばれ、政策の相談を受けた。

「将軍よ、私はこのたびの戦でロシアから受け取った韓国を一刻も早く偉大なる大日本帝国の完全なる領地とし、幕末期攘夷の理念に殉じた長州の志士たちの御霊に捧げたい。しかし、韓国の土人は簡単には了承せぬだろう。何か秘策はないか」

ここで将軍は歴史に残る秘策を授けた。

「閣下、簡単にございます。まず韓国の内政制度を我が国官僚の命令なしでは動かないように改正致します。国王の退位、外交権収納、関税自主権剥奪、両班特権廃止、平和会議での民族運動抑圧など何でもお好きになさって下さい。しかし、閣下は“これは併合への道ではない。私は先頭に立って日韓合邦の動きに反対している。究極の目標は貴国への議会制導入だ”と民衆どもを諭して下さい。合邦の過程では武力の抵抗運動も起きるでしょう。ですが、奴らはしょせん両班主導の階級主義者、軍隊式平等の概念など知らぬ者ばかりです。恐れることはありません。5年も経てば向こうから合邦推進の声が巻き起きることでしょう」

「なるほど。さすがはロシアで神策上将の名をとった名将だな。できれば現地で指揮をとってくれぬか」

「ありがたき言葉にございます、閣下。喜んでお受けいたしましょう」

併合への道は、正に将軍の描いたとおりに進んだ。正教徒の国ロシアの労働者に比べれば、儒教の教えを厳格に守る朝鮮人は敵ではなかった。しかし、クリスチャン安重根は儒教の想定通りには動かず、伊藤の真意を見抜いてついにハルビンで伊藤を射殺した。詳細を聞いた将軍は安に煉獄で面会することにした。

「汝は朝鮮王朝に弾圧されたキリスト教の信者ではないか。伊藤はそんな国を滅ぼし、君達を解放するための政策をとったのだぞ。なぜ殺したのか」

「確かに私は被抑圧階級のクリスチャンだ。しかし、国家の命運に殉じることは階級の属性を越えた愛国者の普遍なる義務である。よって私は貴国で初代総理大臣を務めた者を射殺し、我が身を万国公法に委ねることを決意した。見よ、この指を。私は小指を斬って,敢えて我が階級を蔑んだ国家と民族に殉じる道を選んだのだ」

これに対し、将軍はこのように答えた。

「謀略の真意を見抜く洞察力、とくと見た。しかし、日韓合邦へと向かう歴史の流れは変えられぬ。汝の生涯もこのままではあの頑迷なる両班によって、ただの反逆クリスチャンとしてのみ記述されるだろう。私は汝が後の世で民族の義士と崇められるよう、汝を弾圧した両班の誤った儒教的理念を徹底的に洗浄する決意だ。汝も近代法に基づき、裁判を受けるが良い」

安はしばらく考えた後、こう答えた。

「我が母国に外国の力を借りる以外の能力があれば、将軍様のお答えを受け入れることはなかったでしょう。私は東洋平和を破壊する侵略の元凶たる伊藤を射殺しましたが、レーニンとも対面なさった将軍様の思慮深き策略には兼ねてより心酔しておりました。母国の策略家が自分の家を守ることしか頭になく、将軍様のごとく国際政治で生き抜くだけの策を持つ者がいなかったことが何よりの心残りでございます」

安はやがて処刑された。しかし、明石将軍への畏敬の念は最後まで揺らぐことがなかったという。

第一次世界大戦[編集]

 その4年後には欧州で第一次世界大戦が始まった。時の大隈重信首相は伝わってくる欧州人の大量殺人のニュースを聞いて「欧州大戦は天からの恵み」と本当に歓喜し、早速中国に点在する欧州人の拠点を「お前のものは俺のもの」にすることを決意、相談相手として将軍を呼び出した。

「将軍や、どこを切り取ろう。おっとその前に中華民国新政府にも挨拶しておかないといかんな。あの袁世凱とかいうシナの元帥にも認知させておこう。まずは都の西北山東半島に広がるドイツ領だな」

 「首相、ドイツ以外の領地をとると、米国が黙っていないでしょう。むしろ狙うべきは中国本土です。袁世凱との交渉は私にお任せください。秘策を準備してあります」

 山東半島はあっさり日本の手に落ちた。これに対して袁世凱が主権返還を求めてくると、早速将軍は袁世凱と対談した。

「元帥、あなたは清国皇帝になり代わり、自分が皇帝になるために力を尽くしているのでしたね。我が国はあなたが皇帝陛下になることを全力で支援する所存です。ただし、これら21個の要求を聞き入れていただければの話ですが…」

「ふーんどれどれ…、なんなんだこの条件は!貴様らは私が狙っていた朝鮮半島だけでは足らず、この国まで狙おうというのか!駄目だ駄目だ、帰ってくれ。これでは陛下でなく殿下になってしまうではないか」

「そうですか、でしたらこれではどうでしょう」

将軍が合図すると、半島から連行されてきた美女が21人入ってきた。21人の腕章にはそれぞれ1条ずつ日本の要求が書かれている。

「元帥、半島の美女と寝たいでしょう。1条受諾するたびに、その腕章をつけた美女を1人ずつ征服することができますよ。全文受け入れれば追加で毎年半島から美女を連れてきてあげますよ。これは日本国が新王陛下に捧げられる最上の貢ぎ物でございます」

「おおおおっ、要求する前から準備するとは実に素晴らしい。受け入れるぞ、みんな一緒に。今日はもう一晩中だな、うはははは」

しかし、袁世凱は条文を受け入れて間もなく梅毒を患って亡くなってしまった。さすがに過激すぎたのか、死去と共に条文はうやむやになっていった。将軍は後に、これはやりすぎだったと自省している。

シベリア戦争での左遷[編集]

将軍が中国でのドイツとの戦いを勝利に導いている頃、ロシアではレーニンが社会主義革命を成就させ、保護領ルンペンの革命への願いを打ち切ってまでも、15年前の義理を立ててフィンランドやバルト3国、ポーランドなど保護領の独立を進めようとしていた。そんな折、母国では寺内正毅総理がロシア革命の混乱の中、持ち前の厳しい規則でもってシベリアの大雪原をぶんどる計略を練っていた。早速寺内は将軍を呼び出した。

「どんな任務なのかはわかっておるな、将軍」

「総理、なりません。今回の敵はこれまでと異なり、民心をしっかり掌握しております。レーニンは今こそ全領土の相続を求めるロシア臣民の声を聞いておりますが、やがては巧妙に保護領のプロレタリア軍を見捨て、シリアクスなどブルジョワ独立運動家の恩に報いることでしょう。そんな仁義の世界に生きる彼が相手では、我らが大日本帝国は樺太北部を奪うのが精々かと存じます」

「俺様の定めた交戦命令に背くのか貴様。元をいえば貴様が安に変な情けをかけたから、初代半島総督となった俺は教師に軍刀を持たせる命令を発する羽目になった。貴様が民族運動を徹底的に弾圧しつくしておけば、こんなことをする必要はなかったんだぞ!今もベルサイユの建前に惑わされた半島の奴らが不穏な動きを見せている。そもそも貴様は今だって服を・・・」

「総理、いったい誰の戦略がこれから生まれようとする国際連盟で理事国を任されるほどの国力と名声を我が国にもたらしたとお考えなのですか?そもそも総理の半島統治はあまりに苛烈にして慈悲の心が足りず、両班の腐った儒学とも癒着して・・・」

「貴様、軍人のくせに手柄を独り占めしようというのか!今日という今日は絶対許さぬぞ!今すぐ台湾に行け!亜熱帯の島で朽ちてしまえ!」   こうして頑迷なる寺内によって将軍は台湾に追放された。しかし、将軍は台湾でも下村治民政長官と組んで赴任翌年に亡くなるまで数々の善政を行い、日本の台湾統治史上最善の総督と評されている。一方寺内が派遣したシベリア出兵軍は方々で敗北し、軍部は大恥をかいた。報復に軍部は将軍の活動記録を焼却し、将軍の活躍をすべて否定してしまった。一方ロシアでも、レーニンを暗殺した謀将スターリンがこの手の記録をすべて粛清してしまったため、将軍の活動記録は散逸した。

将軍の交渉記録を失った日本軍は満洲でこそ愛弟子石原莞爾の計略で一定の戦果を挙げたものの、「日本軍は謀略のたぐいなどまったく用いない清い軍隊だ」と本気で信じる青白い軍人(だけど体罰の酷さは世界一)が主導権を握った太平洋戦争ではルーズベルトスターリンの掌でもて遊ばれるだけの存在と化した。その後は冷戦思想と反戦思想が主流となったため、レーニンと軍事交渉した唯一の日本人たる将軍の功績はますます忘れ去られていった。しかし、グローバルな謀略が横行する21世紀、李鴻章、レーニン、安重根、袁世凱などアジアの巨人たちを唸らせた将軍の事跡は伝説となって蘇ろうとしている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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