更新バイト数

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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更新バイト数(こうしんばいとすう)とは、アンサイクロペディアにおいて、面白い文章の投稿それ以外を判断するために、もっとも重要となる数値である。

なお、この数値自体が面白いかどうかの基準になるわけではない。ただ、この数値をもってして、各投稿者の文章力、集中力を推し量ることが可能になり、その記事が面白いかどうか、適切な更新がなされているかを判断することが可能になる。そして、そのことで記事の投稿者の情報もまた入手でき、そして最終的にアンサイクロペディアの現在の状況にまで踏み込んで判断することも可能になる。

わけではない

この記事では、更新バイトの裏に隠された様々な情報をピックアップすることで、よりの深いアンサイクロペディアの楽しみ方についてを記す。

概要[編集]

常日頃、いつまでもどこまでも愚にもつかぬアホな世界に身を浸すアンサイクロペディアン。しかし、そんな彼らも実は、多くの場合、記事を書き込むことではなく記事を読むことがその活動の本分である。そんな中、最近の更新で表示され続ける記事群と、その更新バイト数には多くの情報が隠されており、その傾向を掴むことで、記事の面白さ、書き手の質、書き手の精神的な疲労、さらには全体の雰囲気を読むことも可能になる。

もっとも、何の役にも立ちゃしないけれど

よく見たアンサイクロペディアンの消失[編集]

一般的に、数多くの文章を投稿するアンサイクロペディアンは、ある一定の期間において出没と消失を繰り返し、そしていつの間にかいなくなる場合が多い。

その人物が幅広いジャンルに出没し、多くの記事を手がける場合、記事の更新頻度と更新内容、そして更新バイト数からある程度の精神状況が判断できる。だいたい3,000バイトを越える長文を一気に書きこめるような精神状況の場合、その人の精神力はある程度充実している。そんな人がいきなりいなくなるのは、大抵は持ちネタが切れた場合であって、心底好きな作品や、心酔するアーティストの記事を完璧に仕上げた後、アンサイクロブレイクへ移行するのは、ある種一つの理想的なパターンである。

もっとも、こういった形でアンサイクロブレイクできる人間はほとんどいないってことも確かである。

トークトークどこまでもトーク[編集]

もう一つの消失、それは、常日頃、アンサイクロペディアンが晒されているプレッシャーに右往左往しはじめることで実現してしまう。実際、毎日毎日、最近の更新の上で流れる愚にもつかない文章の投稿を眺めて、眺め続け、ときに関わることで、全てが嫌になることは、人間であるならば誰でも陥る状況である。

そのため、ある朝、いきなり管理人とケンカしてネットのに逃げ込んでしまい、初めて泳ぐネットの底の底がとっても気持ちよく、頭の知識が重いけれどネットでつながった世界が広いことに心を弾ませる、桃色系の記事に興味をそそられ、毎日楽しいことばかりと思って、ほとんど人のいないサイトを棲家にして、時々、権力者にいじめられるときは逃げ出す。そんな話は大抵落とし穴である。罠である。なぜなら、活動すれば腹が減り、ネットのあまりの情報の多さに目がくらみ、たまに自分にとって最高の情報を得ようとしても、そんなときは大概、脳みそがふやけるような情報しか存在しない。最終的に、ネットの海にある名も無き浜辺で、才能を吊り上げられてそのまま食べられてしまう。

by子門真人

そういった話へつながる発端を、どういった情報から見抜くかと言うと、フォーラムや記事のトークなどで、とんでもないほどのバイト数をかけて議論する場合などが一番分かりやすい。にんげんかんけいというものは、たいへんにつかれるものですから、疲れた人から先に消えていくことは、いたし方の無いことである。

そんな中で長文耐性を持つ者、精神攻撃への耐性、そして逃げ道を持つ者が生き残る。正しいか正しくないか、ではなく、疲れるか、疲れないか、というただそれだけの話である。そのため、こういった話においては更新バイト数を見ることで、精神的な疲労度もまた丸分かりになる場合も多い。トークページの場合、最終的な書き込みから次の書き込みまでの時間とバイト数で、余りに多くの情報が見て取れるため、あえて深い部分に関しては情報を控えることにする。

正直なところ、文章力がある人間が消失するのは、大変な損失である。それ以上に、コミュニケーション能力を持つ人間がいなくなることは、痛い。

全てにおいて、痛い

記事を捨てよ、町へ出よう[編集]

なお、2008年から09年にかけて大変多く見られた事例として、最近の更新を見てると、これから死ぬ記事が分かる、という物騒な話がある。そういった記事を早々に捨てるか、それとも救うために努力するかは、個々人の判断による。

実際、「連続して行われる一つの記事への編集」に対して、年季の入ったアンサイクロペディアンほど身構えたくなる。もっとも、大抵は100バイト以下の編集で、なんら確認する必要もないものであり、その行為についてもなんら問題はない。実際、多くの人々が、「作品愛」の下で一つの記事を完成させていく行為は、Wikiにおける非常に素晴らしい行為である。大変素晴らしい話である。ただし、それが2週間たち、1ヶ月たっても編集され続けるとなると別。

すべからく別

なぜなら、多くの人々が編集することで、大抵、一つの記事は1週間程度で完成する。この段階を面白さのピークだとするなら、それ以降の加筆は、そのほとんどが蛇足に当たる。しかし、3ヶ月も4ヶ月も一つの記事に固執した結果、最後には、アンサイクロペディアのシステムに多大な負荷を掛けるぐらいにまで増長していった記事も存在するため、大ヒット作品になればなるほど、多くのアンサイクロペディアンがシステムへの負荷を心配する。

幸いなことに、2011年現在、こういった気になる記事へ常時張り付く人々の数は少なくなっている。大ヒット作品自体も少なくなっている。しかし、自分が面白いと思う記事へ常時張り付き続けた結果、足がつきすぎて某4コマ漫画某アニメのように、何が面白いのかすら分からなくなった記事も多い。

そういった記事をいかに救うかは、個々人に任せるとして、そういった作品愛で死んだ記事を楽しむ方法として、その記事の過去ログから「同一人物による連続編集が始まる直前の版を確認する」などという実にうがった楽しみ方も存在する。

差分読みの明けない夜明け[編集]

更新バイト数から判断できる大きな情報の一つとして、加筆された文章量と実際の文章量が明らかに違う場合、記事を書く側の遊びが隠されていることを容易に判断できるというものがある。実際、加筆されたバイト数が1000バイト近くあるのに、本文のセンテンスが極わずかという事例が、そこそこ存在しており、そういった場合、Wikiの機能を利用し、わざわざ文章を隠してまで真意、もしくは悪意を残そうなどという意思が存在する。中には、この記事のように、明らかに狙って本文を読ませないという悪辣な意思の下で制作された記事も存在するため、最近の更新から単に記事へ飛ぶだけでは、そういった記事の本質にたどり着けない可能性もある。

そんなとき、大きな力になるのが差分である。前の版と現在の版の違いを表示するこの機能は、隠された悪意や隠した毒などを一発で表示する。なお、差分で読まなくても、記事の編集ボタンをクリックさえすれば隠された情報があるかどうか確認できる。


おもしろそうな更新に、今日も小雪の降りかかる[編集]

アンサイクロペディアにおいて最近の更新が活発になるのには、いくつかの条件がある。まず、夏休みなどの長期の休み、次に国家的なイベントや事件、災害、最後に、スポーツのイベントや季節の恒例行事などが該当する。最初の1つについては特に説明はいらないけれど、残りの2つについては、ほとんどの場合において情報が逐一送られてくる状態で更新が行われることが多く、更新=新ネタの存在を示す場合が多い。そのため、どこぞの九州の球団におけるクライマックスシリーズや、オリンピック、もしくはサッカーW杯などに則した記事が活発に更新されるとき、そこには多くの笑いが随時投下されていると見て良く、さらに、時と場合によっては、もはや笑うしかない現実という、最大レベルの笑いの種が仕込まれることも多い。

・・・最も、どこかで見たことのあるネタが書き込まれている場合も多いけどね。

ただし、そんな話がどうしてもスポーツ芸能、そしてみんな大好きに偏るのは致し方ない。もしここで事件やら災害、戦争政治といった記事が活発に更新されたりなんかすると、大体において歯止めが利かなくなる。選挙前の新党の旗揚げや、総裁選挙、総理大臣の辞任といった情報は、たとえ笑える話があったとしても、現実がひどすぎて笑えなくなる場合もある。そのため、こういった重いテーマについては、数多くの人間が関わってマイルドに落ち着いた記事と、少数の人間の孤軍奮闘で笑えるのか笑えないのかもはや分からなくなった記事の両極端に分かれる傾向がある。もちろん、面白いのは前者、というほど単純ではなく、世の中、危険な笑いほど面白いと思う人間は多いため、こればかりは読み手の判断が全てである。

ただし、こういったテーマでは少ないバイト数の連続更新という、記事を劣化させる行為が頻発することも多く、差し戻しが追いつかないまま、劣化し放置され、見捨てられることもある。そういったケースは、大抵、後者に当てはまっている。

ようは、関わった人間が多いほど、劣化させることは難しくなっていくてえわけだ。もちろん、その逆のほうが多いわけだ。たまらん話だ

関連項目[編集]