月極家

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月極家(げっきょくけ)は日本有数の財閥である月極グループの創始者月極正太郎の家系の一族で、月極グループのオーナーである。

月極駐車場創始者、月極正太郎

月極家の歴史[編集]

月極家はその昔埼玉県に16代続いた大地主の一族であった。埼玉の広大な土地を最盛期にはおよそ10万町歩(埼玉県の4分の1にあたる)を所有し、その名を各地に轟かせていた。17世紀末には徳川家と縁戚関係を保ち、飛ぶ鳥を落とす勢いであったと言える。

明治維新が勃発すると15代目当主、月極正左衛門は膨大な兵糧および武器弾薬を新政府軍に提供し男爵の爵位を得、また後の16代目当主となる月極正太郎をイギリスに留学させる。イギリス、ケンブリッジ大学で不動産取引および土地開発に関する研究を行い帰国した正太郎は帰国して間もなく馬車を止める場所に困っていた貴族に駐車場を提供したことがきっかけで駐車場の可能性に気付き、その日のうちに父、月極正左衛門男爵の高輪の別邸へと向かい、自分に月極家の家督を譲って欲しいと直談判。月極正左衛門は類まれなる正太郎の才能と事業センスを見抜き、即日家督を譲渡し、それ以後は正太郎の事業を全面的にバックアップするようになる。

父の支援を受けた正太郎は「月極不動産開発」(後の月極駐車場)を創設。男爵の地位と父の広い人脈を以って『旧武家屋敷の切り売りで出来た中途半端な面積の土地』を次々に買収していった。そして事業規模拡大と共に駐車場の問題が次々と解決し、馬車および自動車が普及。また、それの相乗効果によって駐車場を作っていく……といった具合に瞬く間に規模を拡大していった。

第二次大戦時中には政府に埼玉の農地を『期限付き』で極めて安価に提供。政府はこれを農業用地を軍用基地・工場用地に転換し、月極家は元の小作人をその工場に従事させるなど戦争に積極的に貢献した。そのため1942年の時点で、一族が保有する埼玉の土地・資産は家督相続時の3分の1にまで減少。周辺では「月極家の当主は馬鹿正直すぎる」と陰口を叩かれ、誰もが彼の家の衰退を予想した。

しかし、この戦時提供は後の農地改革の際には有利に働いた。終戦と共に政府から土地が返還されたが、その土地が工業用地に転換されていたことを理由に農地改革の対象から外れたのである。こうして月極駐車場および月極家の被害は資産家にしてみれば考えられないほど最小限に食い止められたのだった。

戦後、農地改革の資産接収を免れた彼はその資産を以って焼け野原となった東京の遊休地を大きく買収。これはいつか日本が息を吹き返すと確信し、行ったことであった。そして高度経済成長期の到来でマイカーブームが到来。会社は爆発的に利益を上げ、現在の地位を築き上げた。しかし長い間会社を支えてきた正太郎は98という高齢で他界。1968年に二代目の月極正一郎が家督を受け継ぐ。

月極家の縁戚関係[編集]

月極家は代々高貴な家柄の者と婚姻関係を結んでいる。鷹司家や徳川家、三井家岩崎家をはじめとして政界・財界に多数の親戚が存在する。辿って行けば天皇家とも親戚関係であり、月極家の繁栄をうかがわせる。

月極家の代々の当主 ()内は当主在位年[編集]

初代 月極正太郎 (1903~1964)

月極駐車場を創設、現在の地位を築き上げる。母親は水戸徳川家の人間。

二代目 月極正一郎 (1964~1972)

正太郎の息子。堅実な経営で月極駐車場を一流企業に育て上げる。三井家当主、156代目三井八郎右衛門の娘と結婚。

三代目 月極勇一郎 (1972~1983)

正一郎の息子。フランチャイズビジネスを展開。「月極」ブランドを全国規模に拡大する。元秋葉原知事の麻生太郎の娘と結婚。

四代目 月極一朗 (1983~1988)

正一郎の次男。勇一郎の死後会長となるが、謎の死を遂げる。

五代目 月極勇作 (1988~2005)

勇一郎の息子。バブル崩壊の打撃を受け、経営難に。尾鷲の名家・土井家の当主、土井八郎兵衛のひ孫と結婚した。

六代目 月極曜子 (2005~2010)

勇作の妹で一朗の夫人。経営難となっていた月極駐車場を蘇らせる。フォーブスの世界長者番付で35位にランクイン。

七代目 月極綺神琉 (2010~)

勇作の息子。勇作がDQNネームを気に入り、綺神琉(きめる)と命名した。土地や株取引などの利益貢献が認められ、若干15歳ながらも当主に指名された。

関連項目[編集]

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月極家が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/架空の人物」へ収録されています。