有田ドラッグ

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有田ドラッグ商会(ありだ - しょうかい)とは、かつて20世紀初頭に日本に存在していたドラッグストアチェーンである。当時まだドラッグストアのフランチャイズチェーンという概念がなかった頃に創立された、日本最古のドラッグストアチェーンとして知られている。本稿では、同商会で取扱っていたインチキ医薬品のプライベートブランドである有田ドラッグについても述べる。

概要[編集]

有田音松(ありだ おとまつ・1867年-1944年3月)が1908年神戸で創業。

まだ薬屋は個人商店が常識だった時代に現代でいうところのフランチャイズチェーン方式の導入と積極的な誇大広告戦略により、全盛期には当時の日本の領土だった北は樺太から南は台湾まで日本中の繁華街に必ず一店舗は存在するという今日のマツモトキヨシですら成し得なかったネットワークを確立するに至った。

広告戦略[編集]

有田ドラッグ商会の広告戦略は、以下のようなものであった。

新聞広告の積極的な出稿
主要大手新聞に月4回は一面全体に超誇大広告を出していたという。それ以外にも毎日広告を出すことを欠かさなかったばかりか、時には音松自ら意見広告を出稿して自らの国士振りを誇示した。とは言うが、国士であるかの如く錯覚させることで、告発や不満を封じていた側面もあるのだが。
体験談の導入
今日では当たり前の広告手法であるが、当時としては画期的だったのが、胡散臭い体験談を載せるというものである。表向きには全国から自社製品で難病が完治した旨を募集し、それを掲載していたというのはあくまでも表向きで、売れない俳優やらモデルやらライターを使って結構体験談を盛ったり時には全くのでっち上げを載せていた

店舗のスタイル[編集]

全国ネットを誇るフランチャイズチェーンらしく、各店舗は当時では珍しかった電飾の看板をつけ、店頭にはグロテスクで時にはオデキの類までもがリアルに再現された人体標本を飾っていたという。

プライベートブランド・有田ドラッグ[編集]

有田ドラッグ商会を一大ドラッグストアチェーンにまで押し上げたのは、広告戦略も有効であったが何よりもプライベートブランドとして独占販売していたインチキ医薬品・有田ドラッグであった[1]

当時の三大難病として結核梅毒淋病があったが、梅毒と淋病はアーン♥♥の結果感染するということもあり、発病してもなかなか人に相談できるものではなかった。加えて、当時はこれらの病気の治療法が確立しておらず、仮に医者の診断を受けても完治するかどうかは分からなかった。そんな時代にあり、梅毒淋病をいとも簡単に完治させてしまうと触れ込んだインチキ医薬品が有田ドラッグであった。

しかも、有田ドラッグは、当時の医療界では完治が困難だった他の病も完治させてしまうと触れ込んだ夢のようなと言うより大嘘のインチキ医薬品であった。当時の新聞広告には「どんな病気でもお困りの方は、最後の手段として有田ドラッグをお試しください」とまで書かれていたという。

疑問点[編集]

これだけ画期的な医薬品であったにも拘らず、有田ドラッグには幾つもの疑問点がある。まぁ、インチキなので、以下の疑問点は全て明確に解明するのだが。

なぜ製法特許をとらなかったのか
有田音松は、これだけ画期的な医薬品を開発したのにもかかわらず、その製法特許を取得した形跡が全く残っていない。製薬業界においては、バイアグラなど特許を取得する事で独占的に暴利を得て販売することは、今日では常識的なビジネスモデルである。なぜ、有田は独占的な製造権を獲得して利益を確保しようとしなかったのだろうか[2]答:そもそもインチキだったり、ちゃんとした薬でも既に市販されていたものばかりで誇大広告していただけなので、特許など取れる筈がなかったからです。
なぜノーベル賞が取れなかったのか
当時の三大難病のうちの二つである梅毒淋病を完治させる画期的な医薬品を開発したのであれば、間違いなくノーベル生理学・医学賞を受賞できたはずである。ところが、有田音松はノーベル生理学・医学賞の候補にさえ上がることはなかった。それどころか、イグ・ノーベル賞さえノミネートされることはなかったという。答:贋薬である以上、薬効に関する論文など書きようがなかったからです。
そもそも、なぜ今日入手できないのか
それだけ画期的な医薬品であれば、創立後100年以上経った今日でもマツモトキヨシ辺りで簡単に買えるはずであろうが、今日では有田ドラッグの商標さえ存在していない。答:インチキ贋薬なので、とっくの昔に消滅するのは当たり前だからです。

全盛期後の有田ドラッグ商会[編集]

全盛期には、北は樺太から南は台湾まで全国ネットを確立した有田ドラッグ商会であったが、新興企業につきものの誹謗中傷と言う名の告発だの糾弾だのが一部マスコミにて流された結果、創業者の有田音松は無実の罪なんかではなく詐欺そのものの容疑で警察の取調べを受けることとなった。

勿論、ただの風邪薬やら消化剤やらを万病に効くと誇大広告していただけで実はちゃんとした薬だったことにより詐欺が立件できなかったため有田は検挙されることはなかったが、有田はマスコミの風当たりの強さを察知し、ビジネスモデルを真似た同業者の台頭などで売り上げが落ちていたこともあって、次男にチェーンの経営権を渡して引退した。

その後、戦時体制に入りチェーンも存続できなくなり、結局有田ドラッグ商会はドラッグストアのフランチャイズチェーンというビジネスモデルの可能性を残して消滅してしまった。その数十年後には、有田ドラッグ商会の夢を追うドラッグストアのチェーンが林立したのは言うまでもない

脚注[編集]

  1. ^ 勿論、大手製薬会社の製品も多数扱っていた。その中には当時は堂々と個人で買えたヒロポン錠なども当然含まれていた。
  2. ^ 最盛期には、有田ドラッグ商会と同じビジネスモデルを持った有田合資会社(こちらは有田という苗字の薬剤師しか雇用しなかったことからこの名前になったという)と東京ドラッグ商会がそれぞれ設立され、全く同様のインチキ医薬品を販売していた。特許権さえ取得していれば、このような妨害はされなかったはずである。

関連項目[編集]

Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「有田ドラッグ」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

外部リンク[編集]

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