朝鮮総督府

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朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)とは、不毛の大地朝鮮半島にあらゆる実りをもたらし、南北を問わず今日まで続くウリナラ精神を植え付けた大日本帝国の偉大なる文明化ミッション「プロジェクト・イアンフ」の本拠地である。

偉大なる立地[編集]

この歴史は、およそ2000年前に先進なる日本列島の民が入植してきた時に始まった。しかし、新羅の逆賊キム・ユシンが7世紀に国土を唐に売り飛ばし、残虐を尽くして日本の文物を焼き払って以来、半島は見る影もなき不毛の大地と化していた。

しかし近代、大日本のサムライたちがやまとなでしこ達を人形のようにいたぶっているのを見て、朝鮮王朝の両班たちは人を殴ることを知らぬお嬢様にさえ頭の上がらぬようになった自分の立場を反省し、日本を新たな宗主国とみなして朝貢活動を始めた。彼らは偉大なる三浦梧楼義士に「逆女の首魁」閔妃を切断してもらい、新たな主人を出迎えるべく王宮の前に統監府という建物を建て、自強運動と称して民族の父たる日本人に同化するための運動を展開した。手始めに彼らは迷信たる風水思想の運勢を断ち切るため、あえて自らの運勢が悪くなるように建物を立地し、南の要衝には神社を建てて、中国から流れ込む呪いを切断しようとした。

1910年、救国のバンド「ウルミ・ザ・ファイブ」からの請願を受け、「規則の教皇」寺内正毅公が大日本帝国議会で、赤字を無視してでも半島を征服せよという吉田松陰先生の大願を叶えるよう切腹パフォーマンスまでして訴えた。これに感銘した一進会など朝鮮の英雄的党派はあらゆる手段を使って、反対するお嬢様の意見を封殺し合邦の大業を達成した。寺内公は早速、統監府の名称を「朝鮮総督府」と改め、平民を大日本帝国の臣民とすべく、情け深い政策を開始した。

軍人精神を注入せし武断統治[編集]

こうして輝かしき総督府の統治が始まった。偉大なる寺内公は、本国が朝鮮人を徴兵対象としなかったにも関わらず、学校を軍の論理をもって統治することを決め、本土から派遣された教師に厳格そうな制服と軍刀を支給し、あらゆる体罰を許可して、学校に規律を与えた。これは、屈強な男たちがタマと棒状のモノを握って、それを叩いたり飛ばしたりするスポーツや、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツ屈強な男たちがタマを足でいじくりまわして目標物にブチ込み快感を得るスポーツを見ても何をやっているのか本当にわからなかった運動不足の両班の教師たちが行った罰よりもはるかに痛く、苦しく、ひもじいものだったが、東方の新たな空気を取り入れることに熱心な生徒と普通の親たちによって熱心に模倣され、10年も経つと生徒たちが後輩に向けて同様の行為を行うようになった。現代まで続く「厳格な上下関係の伝統」の本当のはじまりである。なお、韓国のムチムチとした肉体の男同士が裸同然の姿で互いに相手の腰に腕を回して抱き合い、押し倒したり一線を越えたりするスポーツであるシルムも、この時に授業科目に取り入れられてから盛んになった。

もちろん、寺内公は訓導に耐える報償も用意していた。軍事風のしごきに耐えた優秀な生徒には、あらゆる媚態を惜しみなく注ぐ現地人の美女集団をプレゼントしてやったのである。これが後世に名を残す総督府の偉業「プロジェクト・イアンフ」だった。総督府は自ら人を農村にやって、不細工でありがとうの声まで小さい優しきお嬢様の支配した前代の社会を全身で敵視する文字の読めなくても声の大きな利発的少女を選び出し、契約文書に署名させて古代ギリシアの某ポリスそのままの教育を施したのである。彼女らはすくすく育って絶世の美女となり、喜びながら成績優秀者に報いた。彼女らは要求への対価として、皇国軍直々に中国へも報償品として手渡された。最も有名なのは、大日本帝国から袁世凱に贈呈された娘たち「JIF21」だろう。半島の女性観が美人崇拝、整形礼賛へと大きく転換したのは、総督府のこのプロジェクトがきっかけである。

三・一運動への人道的介入[編集]

こうした善政を敷いた寺内公は総理になるために1916年栄転し、2代総督として長谷川好道公がやってきた。長谷川公は土地調査事業を行って難解な文章を農村に配布し、それをよく理解できなかった無能なる農民たちの土地を慈愛なる東洋拓殖株式会社に譲渡して、朝鮮を豊かな穀倉に発展させた。

こうした統治には何の瑕疵もなかったにもかかわらず、第一次世界大戦後のベルサイユで民族自決の建前が欧州の先進民族に与えられると、旧時代の感覚を残すお嬢様に頭の上がらない中二病の学生たちが自分たちも独立できるとの誤った妄想を抱いた。彼らは「梨花の乙嬢」柳寛順を表向きのリーダーに立てて、機会を伺った。すると講和の翌年1919年、閔妃に頭を上げられなかった廃王が亡くなり、国葬が執り行われることとなった。参加者は国葬の3月1日、パゴタ公園で独立式典を行い、数千人の参加者を集めた。

この集会は違法だったので、柳は途中で警察に出頭して、検察官に「法律を破ったこの私は、慈悲深いと聞く日本の裁判所に身をゆだねます。どうか私を公正に罰して下さい」と述べ、法を守りつつ平和裏に国家独立への国際アピールを行おうとした。これを聞き、後にコミンテルンをも操る情報将校となった若き日の石原莞爾は、このまま民主的な裁判を受けさせてはまずいことになると考え、柳に従わず逃げようとしてあっさり捕まった柳の仲間たちに以下のような離間策を講じた。

「そこの筋肉ムチムチ朝鮮人、崔南善(チェ・ナムソン)とかいったか、お前あの娘をどう思う?」

「独立宣言文を書かされた僕がこういうと何ですが、ちょっといい気になりすぎている気がします」   「そうだろう。お前、朝鮮が今独立したら大日本帝国が調教したイアンフ達は明日にもいなくなって、たちまちあんなのが再び社会を支配してしまうぞ。そうなってもいいのか?」

「そんなの嫌です。どうすべきでしょうか」

「裁判で裏切れ!大日本帝国の模範生たる僕達は彼女を喫茶店に連れ込むためにソウルにやってきただけですが、あの逆姫が目標を独立運動にすり替えてしまいました。僕達は大日本帝国の名にかけてあの逆姫に復讐してやります、と宣誓するんだ」

崔は仲間の李甲成(イ・ガプソン)と組んで裁判所に賄賂を贈り、3人で2晩監視つきの密室で一緒にいさせるという罰を宣告してもらった。収監されるやいなや崔らはムチムチの筋肉を生かして柳に暴力の限りを加えた。大人しき柳もさすがに怒って椅子を投げつけて反撃したがとても敵わず、そのまま絶命した。裏切りを吹聴したはずの石原莞爾でさえ、ここまでやるとは想像できなかったという。後に「白肌の小説家」李光洙(イ・グヮンス)はこの事件を評して、「崔は朝鮮男児の名誉を守った英雄だ。肉体と民族精神を改造してくれた大日本帝国の厳正なる教育方針に心から感謝したい」と書き、柳の存在意義を全否定した。

日本政府は必死になって「これは野蛮な朝鮮人同士の喧嘩」と打ち消そうとしたが、監視役が暴力を止めずに、白黒カメラで模様を面白おかしく撮影して声までつけて配信したため、この事件はさすがに国際的反発を招き、現地の男たちが画像を熱狂的に交換し合っていたのに、日本政府は武力中心の統治方針を改めさせられた。後にできたての国際連盟で常任理事国となった日本が人種差別に反対する国際決議を出そうとした時、否決された最大の要因はこれだった。

斎藤総督の慈悲深き文化統治[編集]

こうして統治政策が転換されることとなり、その年の内に海軍の斎藤実公が新たな総督としてやってきた。新総督は漢城到着早々武断統治の薫陶を受けた模範的人物から爆弾を投げつけられたが、寛大なる斎藤公は朝鮮人のもののふ化が着実に進んでいるとむしろ感動した。そして着任式で正史に残る名挨拶を行った。

「この地の子らを日本人に教育する。彼らを洗脳しなければならない」

上の演説が「洗脳」という言葉の初出である。当時は文明的な言葉だったのだ。

それはともかく、慈愛に富む斎藤公は上の件で一躍同化主義の英雄となった崔南善を文化政策のリーダーに指名し、半島の貧困なる歴史資料を収集する事業に着手させた。崔は早速作業に取り掛かり、儒学的男女関係にあわない文献を華麗になかったことに(スルー)しながら、男が女を当然のように従える朝鮮短歌、大陸のパクリにすぎない漢詩を収集する一方で、自分の三・一運動での行動を抹消すべく、史実として当然のように存在した「優しいお嬢様にすら頭を下げさせられない両班風俗」に関する決定的な記録文献を焼却していった。史実では新羅のイケメンホモ集団だった国営のファランが精鋭武装集団となったのは、太古に×女×を喜ばすための国家集団などありえなかったという崔の願望が相当程度入っている。この時崔が打ち立てた極端に男性主義的で儒学主義的な朝鮮の歴史は、今もなお現代南北朝鮮人の歴史通念を貫いている。また、崔は先進国日本から大量の高度な語彙を輸入した。現代韓国語で漢語表記が日本語と同じ単語はすべて、日本語からの流用なのである。これに対して、「朝鮮のエンゲルス」申采浩(シン・チェホ)は高句麗や渤海が朝鮮族の国などと吹聴したが、同時代の模範なる朝鮮人たちは誰一人相手にしなかった。

そんな折、朝鮮では自国のものをすべて捨てて日本文化に合わせていこうという運動が高まり、工房に対する組織的な破壊活動が行われた。それに対して、普通の民間人がつくる民芸品を高く評価する活動をしていた柳宗悦は、韓国の民芸品特に青磁をあえて本当の自分の感想よりも高く評価し、伝統的な窯が途絶えるのを防いだ。白磁で同様の活動をした役人の浅川兄弟も根本的な動機は同じだった。朝鮮人が自ら打ち捨てようとしていた青磁や白磁が民族の伝統工芸品と讃えられるようになったのは決して陶工ではなく両人の功績であり、特に前者は今日「宗悦はユ・ジョンヨルという朝鮮人だった」とまで唱えられているが、真相はこうしたところにあったのだ。

自発的なる民族の消滅[編集]

斎藤公の文化統治は円滑に進んでいたが1925年、東京での関東大震災で一部の不逞鮮人が実際に井戸の中に毒を入れ、大量殺人を行った。この時総督府から特別に派遣された水野錬太郎厳正かつ民主的かつ科学的方法で犯罪組織のネットワークを完全にあぶり出して、朝鮮人6500名を死刑判決にし、刑吏が足りなくなったので民衆にも一部の刑執行を代行させた。

斎藤公はこの莫大な数を聞き、責任を感じて切腹しようとしたが、半島の民は他民族のためにさえ腹を切ろうとする斎藤公の純心に深く感銘し、自分たちが早く朝鮮の民であることを忘れ、偉大なる皇国に心から同化しようと決意した。斎藤公はそこまで急がなくてもよいと、言語学会を通してそれまで訳わからん名前で呼ばれていた固有の文字を偉大なる文字と命名し落ち着かせようとしたが、民はそんな斎藤公に更に感謝し、自分の娘をどんどん軍部に献上して自らの栄達を狙った。斎藤公は1931年帰国したが、彼への感謝の心は永遠に残ることとなった。

こうして精神的同化が着々と進行していた1936年、ゲルマンの英雄ヒトラー公によりベルリンの地で世界運動会が開かれ、メーン競技たるマラソンにおいて孫基禎(ソン・キジョン)が一位の座を獲得した。当然民衆たちはそれに歓喜したが、左翼思想の猖獗するマスゴミ2紙が栄光の日章旗を黒色に潰すという暴挙を働いた。うち朝鮮中央日報は弁明を拒否して自主廃刊したが、東亜日報は「実はあれは印刷所のミスプリントで、本当はユニフォームの周りに“僕達朝鮮人は大日本帝国への同化を心より望んでいます。2000年来の朝鮮の父はシナではなく、一貫して大日本の偉大なる天皇陛下でございました”というメッセージを載せるつもりが、字が小さすぎてあのように真っ黒になってしまったのです」と弁明して、今日まで外国の思想に朝貢し続ける東亜日報の社論を確立させたのだった。

同化完成直前の挫折[編集]

上のようなことがあっても同化政策は順調に進み、1938年にはいよいよ学校での朝鮮語授業が廃止された。これは「永遠の日本人」玄永燮が「朝鮮人は朝鮮語を忘れなければいけない!」と総督府の前で朝鮮語授業の全廃を求めて1か月間のハンガーストライキを行ったのを、「鋼鉄の越境者」林銑十郎総理が特別指令を出して了承したものである。

これで元気を得た玄は翌年、中国のパクリに過ぎなかった朝鮮人の名字を日本風の名字に変えることを訴えて、数万の仲間を集めて3か月間総督府の前で人間の鎖をはった。時の総督は、偉大なる解放者、東南ア独立の唱道者にして仏印ビシー政権の兄たる永久の神将南次郎公だったが、その南公にしても特定民族の姓を自国のものに改造すれば国際的反発を買うだろうと躊躇した。それに対して、「韓兵の先駆」李覚鍾(イ・ガクチョン)は「我らは皇国臣民なり」と宣言して、次のように訴えた。

「総督、これは朝鮮族の完全なる自発的同化であり、決して強制ではありえません。しかし、改名を一度に執り行えば忽ち鬼畜米英と蒋介石傀儡勢力が必ずや糾弾するでしょう。そこで取り敢えずは暫定的に日本の名字と劣れる我らの名字を併記します。しかる後、我らの民族を徴兵して、来るべき米英撃滅の聖戦に参加させて下さい!総督府の偉大なるプロジェクト・イアンフもその規模を拡大して下さい。そして、聖戦が大日本皇国の大勝利に終わった後、我々は皇国の姓のみを本姓とし、劣れしこれまでの姓はキム・ユシンの誤謬以来1300年も続いた悪弊として完全に忘却いたします!」

そして同化は進み、イアンフを集めるために金活蘭(キム・グヮルラン)女史はこのように国民を鼓舞した。

「さあ朝鮮の女どもよ、戦地に行って皇国の兵士たちを慰めて来るがよい。汝らが行かねば進出先の娘が永遠の主人たる皇国兵を強奪していくぞ。朝鮮の男も聞け。我ら新時代のモダンガールはもはや兵役に行かぬ両班固陋など民族の男とはみなさない。進んで兵役に行け!行かないと決して結婚してやらないぞ!我らは本来なら皇国の主人にこそあの帰宅文句を唱えたいのだからな!」

そして南公の後朝鮮総督となった小磯国昭公が栄転して本国の総理大臣になると、いよいよ同化実現への期待は最高潮に達した。本国の工場や鉱山には万単位で朝鮮人が渡来し、日本軍の国際的代名詞たる「カミカゼ戦闘機」等を生産した。兵士となった朝鮮人たちも熱心に訓練して出世し、様々な功績を残した。最近の研究により、以下の行為はほとんどが朝鮮人兵士の英雄的行動だったことが明らかになった。

  • 泰緬鉄道の建設で英国の捕虜どもを最も激しく鞭打ったこと
  • シンガポール攻略時、現地軍にイエスかノーかとの最後通牒をつきつけたこと
  • ミッドウェー海戦で適切な兵器選択を行ったこと
  • マニラの街を防衛のために焼き尽くしたこと
  • サイパン島の邦人に万歳(マンセー)と叫んで崖から落ちるよう命じたこと
  • イアンフをスターリンの下に送り込んで、ソ連の参戦を遅らせたこと
  • 沖縄戦で集団自決指令をガマの中の離島住民に発したこと
  • 米軍機からの地方都市空襲の防衛を請け負い、多大な戦果を挙げたこと
  • 花岡鉱山の中国人の叛乱を鎮圧し、全鉱夫を拷問したこと
  • カミカゼ作戦を大西瀧次郎将軍に進言したこと

しかし、米国の悪辣なる皇帝ルーズベルトは「敗北隠蔽の達人」チャーチルや蒋介石と手を組んで奸計の限りを尽くしたので、義のためだけに戦って部下への体罰を惜しまなかった「蒼白き狼」大日本帝国は崩壊し、日本の下で繁栄した民族史上最高の時代は終わってしまった。

そして、半島は南北分断の時代へと向かっていく。ここに書かれた史実の多くは、南北朝鮮の朝貢民族主義者と日本の媚米主義者どもによってすべて「日帝の強制的行為」とされた。しかし、総督府の時代に叩き込まれた多くの価値観は強面的な側面を中心にほとんどが受け継がれた。特に男性中心、儒学至上の価値観は一貫しており、今も「怖い顔をしていれば、少しぐらい中二なことを言っても大丈夫」という世界共通の通念によって護られている。諸君もここに書かれた歴史の真実を語る時は、相手をよく選ぶべきだろう。

関連項目[編集]