本願寺顕如
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 本願寺顕如 について、アドルフ・ヒトラー
~ 本願寺顕如 について、織田信長
本願寺 顕如 (ほんがんじ けんにょ)は日本の僧侶・宗教家。そして石山本願寺という鉄壁の要塞に籠もる世界最強の「自宅警備員」。宗教オタク。通称「戦うNEET」。
NEETの宗教法人「本願G」の会長。自宅警備員の者たちにとって池田大作と並ぶ偉大なる教祖様として知られる。
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[編集] 少年時代
本願寺証如の子として生まれる。当時の本願寺は非常に堅実な教えを広めていたと言われ、顕如もそうしたまじめな環境の中で育てられた。しかし、まじめな環境がたたって、「外で遊ぶ」という健全な概念が徐々に失われていった。
[編集] 青年期
父の後を次いで教主となった顕如は教祖であるがゆえに働かなくても寄付だけで生活できるようになった。この時点からすでに顕如の引き籠もり生活はスタートしたといっても過言ではない。これ以降十数年にわたる引き籠もり生活が始まる。
また、この時引き籠もり中二病ウケするように「宗教法人・本願G」と改名した。
[編集] 第一次石山戦争
ついに信長が石山本願寺まで勢力を伸ばすと信長は「矢銭5千貫・石山からの立ち退き・とりあえず労働しろ」と要求した。
顕如は「働いたら負けかなと思っている・27歳男性」とハゲしく反論。信長はそれに対し「ちょwおま、すでに負け組www」と真っ向から否定。
ここに第一次石山戦争が勃発した。
第一次石山戦争は織田軍の精強さの前に敗北。野戦は剃髪した兵にとって夏は直射日光による熱射病、冬は寒すぎることからの士気低下というりゆうで籠城戦にシフトした。
[編集] 第二次石山戦争
第二次石山戦争は籠城戦が採用された。この戦いでは信者がよく戦ったが次第に士気が低下し、投降する者が増えた。そこで顕如は「絶対に外に出ない」無敵の戦士たちを採用した。いわゆる顕如の同志・「自宅警備員」たちである。確かにこの者たちは絶対に外に出ようとはしなかった。しかし、計算違いだったのは、この者たちは「絶対に戦わない」者たちでもあったのである。これによって戦力ではなく、ただ食料を消費するだけの者たちを引き入れてしまったのである。次第に兵力は減っていき、最終的には自分と同じくNEETの息子たち、そして自宅警備員の方々だけとなった。
[編集] そして降伏
こうして石山本願寺は自宅警備員に足を引っ張られ、惨敗を喫した。
無条件降伏の後出てきたのは顕如と息子たち、そして大量の萌えグッズ・ゲーム・漫画を携えた若者たちであった。
顕如は紀伊国の普通の隠居所・鷲森本願寺に送られた。顕如はそこで萌えグッズに囲まれて余生を過ごしたという。
[編集] その後の抵抗運動
その後抵抗運動は厨の人たちによって進められた。本願寺の残党「寺ーズ・フリー徒(日本語名:複数寺院・自由徒)」が結成され、なおも抵抗を続けた。総帥は戦国のデラーズ・下間頼廉。その中に出家中であったデラーズ閣下がいたことはあまり知られていない(現在も出家中であるが)。
[編集] 人物・性格など
極度の宗教オタクで知られ、阿弥陀如来の話をするとノーカット・無休憩で軽く3ヶ月は語れる。あー、ようやくオワタと思っても、「ところで、他の宗派なんだけどさ」とか来られたら、もう諦めるしかない。
信長包囲網が瓦解した後も粘り強く抵抗を続け、引きこもりを続けたことから、義昭同様かなり陰湿な性格であるといわれる。しかし、「センゴク」のように彼をファンキーな人物に描く漫画も存在しており、他の宗教法人同様に、詳細は不明。
引きこもり期間中に同じ自宅警備員に自らのアニメを作らせたことがある。布教用のアニメなので主人公は当然自分。中の人は前世の声が良く似ているという理由から子安武人。
[編集] 関連項目
- ウラジーミル・レーニン:ハゲがふさふさの連中に勝利した典型的な例として賞賛している。
- 毛沢東:同じく賞賛者
- 三千院ナギ:顕如の引きこもりっぷりを手本としている。
- 泉こなた:オタクという点においては、彼女と共通点がある。(ただし対象とするジャンルが違いすぎる)
| ハイル・ヒットラー! この本願寺顕如は、偉大なる我らがアーリア民族の築き上げた最高の文化的作品である! この記事を書き上げてこそ、ユダヤ人を殲滅できるのだ! この記事をつまらなくする者に宣戦布告を! ジーク・ハイル! (Portal:スタブ) |
