松坂大輔
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツ用人造人間18号。ポジションは投手。百年に一度の奇才だとか、松井秀喜以上の傑物だとか、はたまた過大評価で実際は大した事ないとか言われているが、まあとにかく日本の野球界で五指に入る有名投手であることは間違いない。日本の野球業界はマヌケな事に、この逸材が易々とアメ公共にヘッドハンティングされているのを看過してしまった。現在はボストンレッドソックスで如才無く活躍している。
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[編集] 概要
大輔の製作者は、王・長嶋が相次いで引退したプロ野球会について、「新しい怪物が必要だ」と考えるにいたり、考えられる限りの最高の野球性能を持つマシンの開発を決意した。当初の開発スペックは球速160マイル(km/hではない)、考えうる限りの変化球、3日連続延長18回完投できるスタミナなどを目標にしていた。
結局のところ、マシン開発は困難を極め、様々な失敗の中で、もっとも優秀な戦果を挙げたのが18号松坂大輔である。(「松坂世代」を参照)
命名の由来は製作者の「松阪牛大好き」との発言が訛ったもの。大輔完成直後、甲子園のアイドルとして君臨していた早稲田実業の荒木が、「僕も彼のようになりたい」と思って「大輔」と名乗るようになったのは有名である。
[編集] 横浜高校時代
完成時から数年の沈黙の後、プロ野球チーム横浜高校の選手として登場。3年目の春の甲子園大会で当然優勝。同じく夏の甲子園では同様に大阪のプロ野球チームPL学園高校を相手に17回250球を投げぬき完投勝利。大輔はその試合の後「もう終わりっすか?ようやく肩のオイルがなじんできたのに」と発言している。次の日の準決勝も当然完投。最終戦は調整不足でランナーを出してしまった。その後、「今日の相手はロッテより弱い」と発言し、物議をかもす。
[編集] 日本プロ野球時代
横浜高校から、その2軍である横浜ベイスターズに移籍するものと思われていたが、理子のパパが「ぜひ娘の婿に」と、背中に18とか書いてある婚礼衣装を用意したため、ホイホイ東のふにんきに入団。大輔自身も、人造人間51号のいるパリーグが希望だったらしい。
その後は開幕投手をやったり、160キロ投げたり、最多勝とったり、まあ適当にやってそこそこの成績を残した。
東尾の軽はずみな発言でロボットであることがばれたため、理子とはうまくいかなかった。その後、ロボットであることをひた隠しにして某女子アナと結婚。どうやらまだばれていないらしい。
[編集] メジャーリーグ時代
東尾もいなくなって、一応の義理を果たしたことから、大輔はイチローを追って渡米することを決意する。ポスティングシステムでもって、レッドソックスは60億円を提示。西武関係者はこれを60億ドルと勘違いしたために承諾。世界に誇る日本の生産技術をあっさりアメリカに奪われることになる。
ところで、西武の貰った60億円はどこに行ったんだろう。ジョンソン?誰それ。
アメリカに行った大輔は、オイルの種類が合わないとかマウンドが硬いとか球数制限とか、顔が四角いから「サイコロ」みたいなあだ名をつけられるとか、ソープ通いがばれて「マット」みたいなあだ名をつけられるとか、hydeの身長は156cmとかその他諸々の困難を乗り越えて、宿敵ヤンキースを倒すべく冒険を続けるのだった。