柿生駅

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柿生駅(かきおえき)とは、神奈川県川崎市麻生区上麻生五丁目字柿生村にあるらしい、小田急小田原線の駅。

柿生村は日本初の甘柿を生んだ、柿の聖地。今でも秋には甘柿の始祖である禅寺丸柿を崇め奉る祭りが執り行われる。また、原住民は甘柿と干し柿、禅寺丸柿ワインだけを口にして生きていると言われる。そんな柿生村のキャッチフレーズは、「柿と寺のまち」柿生。自称が「まち」ということでわかるように、もちろん町ではなく、もはや村以下の限界集落である。

百合族と金妻とローゼン殿下の街、新百合ヶ丘からわずか一駅のところにありながら、もはや甘柿教徒と原住民以外からは忘れ去られた存在となっている。

柿生駅

柿生駅への道[編集]

伝説の地唐木田ほどではないが、この駅にたどり着くのは困難を極める。

新宿方面からこの駅を目指すものは、ある者は急行に乗車し降車できぬまま町田へと連れ去られ、またある者は多摩線トラップ五月台へと飛ばされる。運良く準急以下の種別に乗車し、柿を心から愛する信心深い者のみが柿生駅に降車することを許される。

また、町田方面から各駅停車に乗車してたどり着くのも同様に困難である。柿を愛する心が無ければ一つ手前の鶴川駅で、通過電車待ちをしている間にふと睡魔にさそわれて、気がくと新百合ヶ丘の駅についている、という結果となる。

これらのトラップをくぐり抜け、柿生駅に降車した勇者は、ホームの外側に不自然な空き地が存在することに気づくかもしれない。そう、かつてこの駅は2面4線のそれなりに大きなホームを有していたのだ。しかし今は過疎状態を反映し、2面2線へと簡素化され、朝晩は駅員の配置すらない

また、2009年3月31日まで箱根そばの売店があったが、過疎で客が減りすぎたためかついに閉店してしまった

駅周辺の状況[編集]

さて、降りてみよう。北口のささやかな改札をくぐった君は、出口の選択を誤ったことに気がつくだろう。 北口は自動車通行不可能なドブ臭い路地にのみ面しており、ファミリーマートと最近出来た喫茶店の他には何もないのだ。

ちなみにバス停は、ドブ板の上を町田方向にしばらく歩いた右手側に、単なるアスファルト敷きの殺風景な空間として存在する。朝夕は桐蔭学園の輸送車が行き交うため、そこそこ広い。さらにその先には○越という市場があるらしい。また、新宿方向には女性ばかりでむんむんしているらしい百合ストアがあったらしいが、これはローゼン閣下の店に変わったらしい。

一方、南口改札を出た者は、少しは幸運だ。一応駅前広場らしき物もある。昭和半ばから何一つ変わらないような果物店(売り場の主役は勿論禅寺丸柿だ)、和菓子店、そして「柿と寺のまち」という色あせた小さな旗が迎えてくれるだろう。

ちなみにこの駅前広場、バス停らしき構造物はあるが、バスは来ない。昔は確かに来ていたのだ。その際には、車が1台通るのがやっとの道を川崎市バスが我が物顔で占領し、バックしながらバス停に止めるという斬新なスタイルをとっていた。そんな技を横幅の大きいノンステップバスで繰り広げていたところは、柿生町の無形物遺産に登録された理由がうかがえる。尚、東急バスは恐れおののき、大型のバスは投入していなく、別の場所に折り返し所を持っていた。しかし過疎化の影響か、現在では薬局の横に見えるトンカツ屋の看板の下をくぐり、路地を経由しないとたどり着けない処まで、バス停は移動してしまった。暫定であるものの、だいぶ本格的なバスターミナルとなっている。

主な産業[編集]

柿の収穫販売と干し柿の製造販売、禅寺丸柿ワインの醸造販売が主な産業。

また、「柿と寺のまち」という名の通り、寺と墓地が多い。病院も非常に多い。老人ホームもそこここにある。正に、需要と供給。

もはや、忘れられ、消えていこうとする柿生にふさわしい状況と言えるだろう。

柿生離宮[編集]

かつて柿生に、第二皇居とも言うべき天皇家の宮殿を建造する計画があった。現在の皇居は政治向きの儀典用として、皇居の本機能をすべて柿生の地に移転する予定であったらしい。しかし、1941年頃にたてられたこの計画、残念ながら未だに実施される気配はない。

天皇陛下も、柿ばかり食べて生活するのはいやであったのだろう。

関連項目[編集]



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