桧山進次郎

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桧山 進次郎(ひやま しんじろう、1969年7月1日 - )は、2009年現在、阪神タイガースに所属する京都府出身の野球戦手である。熱烈なファンからは、ひーやんの愛称で呼ばれている、強運の持ち主である

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り当初

京都平安高校東洋大学を経て1991年には関西から全国に波及した黄色いお祭り騒ぎを誘発する、おもしろ球団にドラフト4位で入れてもらえる。ただし入団当初は、驚異的な身体能力と、カンだけで野球を楽しむ人「炎のヘッスラ」で呼ばれるも、現在は武蔵丸親方という、おもしろ外野手に及ばないイマイチ選手だったので下積み生活を送る。

もっとも、入れてもらえた頃のチームは、2軍であってもたけし軍団に負けるくらいのウケが狙えるほど、芸達者の集まりであり、桧山が芸を磨くには長い歳月が必要であった。

[編集] 1軍定着

1996年、怪我で舞台に上がれなくなったヘッスラ選手に代わって、1軍で使ってもらえるようになる強運に恵まれると、最終的には22本塁打を放って、黄色いお祭りを盛り上げた。

1997年、監督に返り咲いたムッシュによって4番の座を託される。最終的には本塁打などで前年を上回る成績を収めながら、自己最多の150三振(152三振したプロのリハビリストに次ぐ、この年のリーグ2位[1])に象徴される低打率をウリとする、芸達者な選手を目指していた名残りを見せていた。その結果、チーム暗黒時代の継続および、ムッシュの華麗なる野球史の最後を黒歴史に塗り替える悪行に一役買っていた。

なお、ムッシュの善意を仇で返したという逸話がある。当時、助っ人外人の定位置とされていた3塁ではあったが、1998年に入団したデイブ・ハンセンがパッとしない成績どころか、度重なる失策でチーム暗黒化を推進する悪魔の手先として3塁に居座り続けていた。どうせなら不慣れであっても桧山に守らせた方が、来季以降に光が見えるといった3塁へのコンバート打診である。

4番を託すくらいだから、ムッシュの桧山への期待度は並々ならぬものがあったに違いない。もしかしたら、ムッシュは桧山に掛布雅之の姿を重ねていたのでは・・・という推察すらできた。ところが、肝心の桧山は頭髪まで掛布に似ることを恐れたのか、この打診を断っている。結局、チームは前年より10敗も上積みしたダメダメ成績、お約束の最下位で終えた為、この1998年限りでムッシュは退任となってしまった。

[編集] 野球の神様による、お仕置き

ムッシュに替わって、弱いと言われてたツバメのチームで日本一になったことのあるツンデレのジジイが監督に就任した1999年から、ようやく4番を外される。その上、翌2000年からは助っ人トニー・タラスコの加入で、代打を中心とした起用に甘んじることとなった。

これがもし、ムッシュの勧めに従って3塁手との二足の草鞋でも選択していたならば、3塁を競うライバルの助っ人と言ったら、攻守を含めてもドラクエスライムドラキーみたいな雑魚キャラであった為、桧山でも五分で戦えただろう。しかしライトのタラスコの守備力は、桧山にとってシルバーデビルやギガンテスであり、秒殺される水準である。ムッシュからの打診を断った罰を、野球の神様が下したのかもしれない。

ところが強運は桧山に味方する。

獲得すれども、すれども、一向に働かない助っ人外人たちがチームの低空飛行に大きく寄与する上に、2000年オフにアポロ計画で宇宙へ飛び去ってしまった新庄くんの不在によって、2001年には再び試合出場の機会が増え始めた。この年、ミートに徹した打撃が好転。28試合連続安打という、ウソのような球団記録を樹立してしまうのである。

[編集] 鉄拳監督の就任と、ようやく来たチーム黄金期

ツンデレジジイの突如の退任で鉄拳を振るう恫喝監督が就任した2002年から再び、5番で起用される。なお、この年のオフ、FA権を行使した。

度重なる強運が好転しただけなのに、実力を勘違いした不幸な1面を持っている模様。1流選手としての他球団移籍も頭をかすめたのだろうが、実際には何処からもお呼びが掛からず、残留という形で阪神に置いてもらう事となった。

ところが、である。

「オレの事が嫌いか!?」と恫喝監督が言ったか言わないかは定かではないが、2003年からは制裁のように濱中治にライトの座を奪われ、1塁へコンバートされる。そこで、わずかな1塁起用機会でありながら失策を乱発、1塁起用に対して露骨な反発を示した。やがて、ここでも濱中の故障離脱という強運が作用し、何食わぬ顔でライトの守備位置に戻る。すると気を良くしたのか、サイクル安打を達成。この秋、チームは18年ぶりのリーグ優勝を果たした。

ただし、この優勝は小さくて赤い、ベース泥棒横山光輝マンガとは違って、リモコンを必要としない鉄人の攻撃力、いなかっぺ大将の投手力を中心とした勝ちっぷりの賜物であり、彼らに便乗しただけという桧山の印象度は5番にしては低かった。

2004年シーズンは、2軍監督から1軍コーチに昇格していたどんでん(桧山以上の強運で阪神の選手・監督になれた人)に監督職を禅定した恫喝の前監督による院政体制で迎えたチームでも、ライトで起用される。ある日、仲間が猛打を浴びせ続ける中、投手でもないのに1イニング2三振という離れ業をやってのけるなど、芸人的選手の名残りを垣間見せた。ただし、自己最多84打点は芸人としては不本意な成績であった。

下手とまでは言わないが、強肩や脚力を要求される近代野球において、物足りなく映る桧山の守備力。しかも、それを補って余りある打力を発揮する訳でもない。そこで、球団は桧山に勝る打力の助っ人獲得を目指す事となる。ここから、新たなる桧山の試練が始まる。

[編集] 代打業

2005年シェーン・スペンサーの加入により、どんでん監督からはライト併用という形で起用される。懸命さで下手を補うスペンサーの存在は決して高いハードルではなく、ちょっと奮起しさえすれば一蹴できる水準であった。ところが、桧山はスペンサーとのルームシェアならぬ、ポジションシェアを選択する。実は、これが間違いだった事を、翌年に思い知らされる。

なお、チームは桧山に頼らなくても優勝した。その証拠に、桧山の放った8本の本塁打よりも、中村豊が9月における味噌カツ球団との延長戦で放った、たった1本の本塁打の方が絶大であった事をファンは知っている。

2006年は、ようやく戦列復帰した濱中が20本塁打を放つ活躍を示したこともあって、代打定着が義務付けられたシーズンだった。それだけならまだしも、持ち前のスロースターターぶりがこの年にも炸裂。終わってみれば打率.180、2本塁打という崖っぷち成績。強運に陰りが見え始めた。

2007年は、濱中が不調に陥った上に、新加入のアメリカから輸入した自動車もドッチラケであった為、スタメン復帰のチャンスが何度もあった。ところが濱中を下回る、打率.191、3本塁打というお粗末な成績でシーズンを終えたため、デイリースポーツに阪神退団を報じられた。桧山本人は自身のホームページで否定したが、2年連続のダメ成績でありながら残留できたところが、まさに強運。強運だけは、サビついていなかった。

この年のチームはゴールデンウィーク明けの9連敗に代表される春先からズタボロの戦績で、早々と お祭り集団を諦めさせていた。ところが、リモコン不要の鉄人を始めとする「黄金時代しか知らない、正真正銘の戦士たち」の信じられない活躍で、一時は首位に躍り出た。しかし、オーバーペースが祟って失速。優勝を取り逃がした。なお、桧山の強運とは、桧山個人にのみ作用する為か、チームの窮地に作用する事は無かったようである。

入団17年目にしておそらく初めて、ようやく尻に火がついた2008年、一時は代打成功率4割を越す打撃を見せた。お祭り集団からは「代打の神様」として活躍した八木裕に重ねられるようになり、いつしか新・代打の神様と呼ばれるようになった。

2009年シーズンも、三振と思いきや、打ち直したポテン安打がサヨナラ打とか、走者がいなけりゃ平凡な遊ゴロという適時打といった持ち前の強運に頼り切った打撃を見せ付けている。

なお、どんでんの退任によって監督の職責をOBの真弓明信に託したチームは、全くのヨレヨレ戦績で、お祭り集団を毎日のようにバクハツさせていた。ただ、神宮に居座る、ツバメのふにんき球団8月からは逆噴射失速をやらかしたんで、『しょーもないプレーオフ』への出場権に手が届きそうになっちゃった。それじゃあ、って9・10月の戦いから、今更のように死力を尽くそうとしたチーム状況に変わったのだった。

しかし、そこでの桧山は、9月1日の適時打以降、代打のみとは言え6三振を含む13打席無安打というマイペースぶり。一応、切り札であり、勝負どころでの起用が多いというのに凡退の数々である。当然、チームの苦境に一段と拍車を掛けていた。それでいて林威助葛城育郎といった打力で存在価値を示し続ける、同じ左打者たちが桧山より軽度の不調でありながら1軍から外される事があっても、最後まで1軍に帯同した桧山。相変わらず強運が作用していた。
ようやく同月28日に焼け石に水のような負け試合での適時打を放ったのが、このシーズン最後の安打。ツバメとの最終2連戦を含む10月の正念場では代打の4打席だけで、3三振。やっぱり、チームのお荷物となった。それも、この年限りで引退する味噌カツ球団立浪和義とは同い年・同じ代打の切り札でありながら、打率や打点で大きく水を空けられてしまい[2]どちらが引退する選手なのか判らないほどの最終成績であった。でもシーズン終了時点では、引退なんて一言も発していない。←おそらく世間が、引退のレールを敷いてくれます。乗りなよ、桧山。

[編集] 人物

  • 野球人生の度重なるピンチでは、持ち前の強運が作用する。ただし、その効果は味方ライバルの不調・離脱のような負の作用であり、自身をレベルアップさせる効果をもたらしている訳でもない為、キリギリスのようなプロ人生を送っている。もっとも、その効果は絶大で、デスノート並みの威力を秘めている。その一方で、打席に入った時の効果はライバルとの生存競争の時ほどの威力を持っていない。
  • 自分で強運に気付いていない為、実力で勝ち上がったと誤解している一面を持っている。
  • プロ入り以来、大きなケガに見舞われた経験が無い。身体のケアに優れている言えるが、21世紀のヘッスラ・ファイターのような無茶をやらないで過ごしてきた、とも言える。
  • 御立ち台では古参の大ベテランらしく、熱烈なファンバカ騒ぎ的な楽しいお祭りに誘うような旺盛なサービス精神あふれるコメントをする為、ファンも多い。
  • 代打という限られた登場条件も熱狂を助長する為に、期待の表れなのか、はたまた諦めと怨嗟の罵声なのか判別できないほどの声援の大きさは異様なほどである。
  • ダメ試合を重ね続けた暗黒時代の同僚たちが何人もチームを去っていく中、持ち前の強運でチームに居残り続けた。当時、笑って観ていたお祭り集団も、ダメ芸人の生き残りがこうして野球を続けていく事に対し感銘するのだろう。どんでん、掛布など「ウケ狙い無しで、熱狂を巻き起こした」往年の名選手並みの声援を送るほど、根強い人気で支えている。
    ところが成績においては掛布はおろか、どんでんの足元にも及ばない。その為、人気と成績のアンバランスさから、「なんちゃってミスタータイガース」と呼ぶに相応しい。
  • ヒッティング・マーチには「この1打に賭けろ」のフレーズが在り、黄色いお祭り集団からも熱い声援が送られる。ところが桧山には、ちっとも届いていない模様。代打で出場しながら見逃しの三振で凡退するように、何百打席もの機会を無駄に潰して、ちっとも1打に賭けていないのが現状である。
    かつて、代打業のみに生き残る道を求めた春団治の異名を持つ、正統派のおもしろオジサンに比べ、2009年シーズンで18年目を迎えた古参、生え抜きの大ベテランでありながら、何ともモノ足りない姿勢である。
  • 前述のヒッティング・マーチには、他にも「誰もお前を止められぬ」というフレーズも存在する。
    当たりまくっていた頃なんてあったかどうか…であればまだしも、近年に見られる『三振の山を無限増殖させている桧山』になると、もうファンの手では止められない。お願いです。監督が止めて下さい。何ならクビでも…バキューン
  • 若手の頃からベテランと呼ばれる今日であっても、芸達者な選手を目指していた性分がなかなか抜けない模様。開幕からしばらくは全く成績を上げられず、毎年の事なのに学習機能が欠落しているのでは?と思わせるシーズンが多い。
    珍プレーを持ち味としていた90年代のチームなら笑って済まされるが、真剣に優勝を目指している近頃なら、それは自殺行為に等しい。そのため、代打で出てきても結果が残せない場合には、さすがのお祭り集団であっても大目に見る人と、「どこが神様なんだ?」という人の2種類に分かれるようになった。しかも、後者の人の一部からは、神様は神様であっても貧乏神ではないのか?と、疑われる事が増え始めた。
  • 2007年のオフに明石家さんまのテレビ番組に出演した際、友人であった陣内智則の披露宴の日に本塁打を放って、祝ってあげたエピソードを話していた。ただし、この年は代打中心の為、3本塁打は仕方ないものの、打率が2割未満というみっともない成績であれば、本来はTV出演を自粛するのが普通の選手である。ところが、サービス精神旺盛な桧山は、お構いなしで出演していた。
  • 現役選手として初めて、人気番組「探偵!ナイトスクープ」に出演したのも桧山である。どうやら阪神の監督よりも、西田敏行の後釜を狙っているようである。
  • ムッシュの他にも、どんでん監督からの信頼も絶大。2009年から解説席に座るようになった どんでんは、チャンスの度に「ここで桧山を!」って言うので、イラッとうるさく感じられる事がある。
  • 2009年10月4日、このシーズン最後の甲子園での試合終了後。ちょうど対戦相手だった味噌カツ球団の、引退を宣言していた立浪和義にとっても甲子園最終戦だった事もあって、阪神としても花束を贈呈して長年の功労を称えた。そこで同年の桧山が、阪神を代表した贈呈者としてバックネット前で手渡した際には、球場内からも温かい拍手が巻き起こった。
    ただ、手渡した瞬間しか観ていない人たちからは、『えっ!!!桧山も引退するのっ!!!』なんて、てっきり立浪から手渡されたもんだと勘違いされてしまった。←何なら、ホントに引退してくれても良かっバキューン
  • 不甲斐ない成績で2009年シーズンを終えると、噂されていた今岡誠の退団が正式に球団から報じられた。
    ここ何年もチームの力に成れないままチームを去っていく、そんな35歳に対し「もうひと踏ん張りしたら出来る年齢」と、気遣う優しさを見せた。さすが、出身大学の先輩でもあり、当シーズンでも2軍落ちを経験しなかった桧山である。ただ、40歳になった桧山自身が、ひと踏ん張りどころか何回踏ん張ったのか、ファンですら分からない。しかも踏ん張っていながら、あの程度の成績(脚注を参照)である。その上、来シーズンも例年通りのマイペースで臨もうとしている姿勢については、どうなのか?それについては、全く気にしていないようである。

[編集] 脚注

  1. この年、セ・リーグのホームラン争いに名を連ねる松井秀喜などの猛者たちが90~110三振程度で収めている中で、桧山たち2人の150三振は突出した成績であった。
  2. この2009年での成績、引退する立浪が打率.318・打点17・三振7に対し、現役継続の桧山は打率.225・打点9・三振27である。

[編集] 関連項目


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