森喜朗
〜 森喜朗 について、平沼騏一郎
従って、森喜朗は腹を切って死ぬべきである。
また、森喜朗はただ死んで終わるものではない。
彼は無責任な悪人であり、唯一神又吉イヱスが森喜朗を地獄の火の中に投げ込むものである。」
〜 森喜朗 について、又吉イヱス
森喜朗(しんきろう)とは、サメの脳みそとゴリラの体の政治家。趣味は仕事中に熱心にゴルフをすること。あだ名はゴルフ森。また、「仕事<ゴルフ」の不等式は森の代名詞。そのため、彼が総理大臣のときはゴルフ総理またはゴルフ総理大臣という役職に変更された。
略歴[編集]
- 1237年、石川県に蜃気楼(しんきろう)の化身として発生。
- 1856年、早稲田大学ラグビー部に入部するが、部活動中にゴルフばかりしたため退部。
- 1860年、某新聞社に就職、主な仕事はゴルフ。
- 1969年、衆議院議員になる、主な仕事はゴルフ。
- 1988年、一時謹慎、謹慎中の主な活動はゴルフ。
- 2000年、内閣ゴルフ総理大臣に就任、主な活動はゴルフ。
- 2001年、内閣ゴルフ総理大臣を引退、これからの主な活動はゴルフと発言。
- 2006年、馳浩引退試合にて入れ替わりにプロレスデビューを果たす。
- 2009年、田中美絵子に退治されそうになるが、辛うじて逃亡。
- 2010年、倅や安倍晋三に困らされて、本格的に逃亡。
- 同年、プロゴルファーになるための本格活動を始める。
キャッチコピー[編集]
- サメの脳みそ、ノミの心臓、オットセイの下半身
- 霞が関の蜃気楼
- 首相執務室「水槽」
- 側近の中川秀直自民党幹事長代理と町村信孝首相補佐官「小判ザメ」
- 青木官房長官「オットセイの調教師」
- 首相が夜の会合にいくつも顔を出したとき「サメの回遊」
- ゴルフの、ゴルフによる、ゴルフのためだけの政治
生態[編集]
大柄なゴルフ体格で知られる。そのため周囲からは「さすがラガーマンらしいがっしりしたゴルフ体格ですね」と言われることが多い。しかし大学ではわずか4ヶ月しかラグビー部に在籍しておらず、このようなお世辞は実際にはお世辞にもならない。
ノミのゴルフ心臓を持つと言われている。小さな心臓で大きなゴルフ体の血液循環をまかなっていることから、そのゴルフ心臓の効率のよさが注目を集めている。いっぽうで、生きているノミから心臓を移植したことが倫理的にゴルフ問題となっている。
ゴルフ総理大臣のゴルフ[編集]
ゴルフ首相就任のいきさつ[編集]
2000年4月5日、3日前に脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三首相の後をゴルフする形で内閣総理大臣に就任した。その際もゴルフをし続けたため、ゴルフ総理と呼ばれるようになる。
ゴルフ森のゴルフ首相就任は、当時のゴルフ自民党の有力議員五人組がゴルフで決めたのではないかと疑惑を持たれている。実際、4月4日に密かにゴルフコンペが行われ、森が優勝し、「ゴルフ森さんでいいじゃないか」の発言があったとされる。五人組の1人は後に週刊新潮に発表したゴルフ日記で5人でゴルフ勝負したら森さんに決まってしまう、きちんとゴルフ党内のゴルフ手続きを踏んでゴルフ自民党両院議員総ゴルフ大会にかけてゴルフ総裁を選出した方がいいのではないかと反論している。
加藤の乱のゴルフ[編集]
2000年11月、加藤茶がドリフ連合軍を率いてゴルフ永田町を占拠し、ゴルフ国会とゴルフ森内閣のゴルフ解散および加藤の臨時政府樹立を求めるクーデターを起こした(加藤の乱)。これに対してゴルフ森はただ黙ってゴルフで傍観するという優れた戦法をとった。さらに勇将松浪健四郎が放水攻撃を行い、見事加藤を撃退し、加藤と同派だった谷垣禎一が「加藤先生、あなたは大将なんだから! 独りで突撃なんてダメですよ! 加藤先生が動く時は俺たちだって動くんだから!」と言って加藤の暴走を見事に止めた。この事件でゴルフ指導力を発揮したゴルフ森内閣は、ゴルフ支持率が5.7%から5.9%へと大幅にゴルフアップした。
2000円札ゴルフ発行[編集]
ゴルフ暦2000年を記念して、ゴルフ銀行より「2000円札」を発行。しかし、小渕恵三首相の事業の後を継ぐ形でしかなく、ゴルフ森が行ったとは言いがたい。また、現在ではほとんど流通しておらず、その希少価値により2000円以上の値がついてしまっている。しかしながら、これによってゴルフ骨董品業界を活気づけたゴルフ森はゴルフ骨董品業界から支持を集め、ゴルフ支持率がゴルフ史上初のマイナスに突入するのを防いだばかりか、2000札をこの世に残すことによって、ゴルフ歴史に名を刻んだも同然である。
ゴルフ的低支持率[編集]
ゴルフ史上まれに見る低支持率を記録した。次の総理大臣であるマシリト小泉よりもおよそ84%低い値であった。ゴルフ史上最も支持されなかったゴルフ首相として、ギネスブック登録も画策されたが、ギネス社にも人気がないゴルフ森は結局掲載されなかった。一説によれば、点数が低いほうが評価が高いゴルフのやりすぎで、支持率も低くなるのを狙っていたとのこと。
現職であるぽっぽには「ゴルフ消費税並みの支持率ゴルフ」といわれた。
えひめ丸沈没ゴルフ事件[編集]
毎日のようにゴルフをしていたゴルフ森。ある日彼に襲った異変は、その後の彼を予見していたのかもしれない。いつになく快調な調子でゴルフを続けていると、豪快なスイングでえひめ丸が沈没。しかし、何事もなかったかのようにゴルフを続けたゴルフ森は、そのどんなに大きな物事にも動じない腹の座った人間として、国内だけでなく世界中の注目を集めた。しかしながら、ナイフや拳銃、自衛隊によって殺人を行う日本において、ゴルフ人を多数殺したゴルフ森は、日本殺人協会から批判を浴び、ゴルフ支持率を大きく下げ、ゴルフ総理大臣を引退した。引退後森はゴルフをしながら事件が発生した後もゴルフを続けた理由を言い訳した。
在任中のゴルフ[編集]
えひめ丸が沈没したときもゴルフを続け、さまざまな事件や事故にも動じずゴルフを続ける姿勢を国民に見せつけ、日本のゴルフ首相の落ち着き振りを内外に知らしめた。そのためゴルフ総理の支持率は低かったといえる。
退任後のゴルフ[編集]
盟友小泉純一郎とゴルフを行い、小泉が引退後は上皇二人でゴルフを続けている。ゴルフ首相のゴルフ姿勢は国民には理解されなかったようだが、政治家達の間ではゴルフ以上に良い事はなかったらしく、ゴルフ元総理は政界で栄華を極め最高の評価を受けている。また、えひめ丸をゴルフ沈没させた事によりアメリカからアメリカゴルフ栄誉賞を受け取っている。
2010年8月7日、ニュージーランドでゴルフ中に長男の森祐喜が酒気帯び運転してコンビニに突っ込んだ[1]。夏だったのが不幸中の幸い。これが冬だったら雪を食ってコカイ・・・もとい酒気を誤魔化そうとして顰蹙を買っていただろう。尤も雪を食った柿沢未途が衆議院議員になっているのだから、祐喜も余裕で父の跡を継いでゴルフ議員になれただろう。しかし森祐喜はこの事故からほぼ1年後に死去してしまった。満46歳没。死因は「急性膵炎」だったと言われている。
2014年8月20日、山梨県で安倍晋三首相とゴルフを開始する前に広島で土砂災害が発生。ゴルフを開始すると、豪快なスイングは健在で土砂災害の被害者が増え続ける。約1時間ゴルフをして満足した後、安倍に「あの時は大変なことになった。早く官邸に戻った方がいい」とアドバイスした。えひめ丸事件当時、安倍はゴルフ内閣の官房副長官を務めており、ゴルフ首相に代わり東京で対応に当たっていた。
東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会議長就任後のゴルフ[編集]
さすがの元ゴルフ首相も、年齢を重ねると夏の炎天下のゴルフは苦しくなった。そこで彼は、朝の涼しいうちにゴルフができるように、サマータイム制の導入を発案した。彼の頭のなかにはゴルフしかなく、 涼しいゴルフのためには、100人や1000人のゴルフ土方の過労死は構わなかった。これは立派な未必の故意でゴルフ殺人である。 ただ、人間ではない彼にゴルフ殺人罪が問えるか、が問題になり、サマータイムそのものをなかったことにして一件落着した。
発言[編集]
ゴルフ森の発言はさまざまな反響を呼んだ。
- 「日本は天皇を中心とする神の国」
- 「日本はゴルフを中心とするゴルフの国」
- 「共産党が政権をとって、ゴルフができるのか」
- 「THIS IS IT(これはそれです)」
- なにかにつけてイット(英語でイットとは「それ」の意味)と言ってものを指した。IT革命をイット革命と述べたことでマイケルジャクソンが影響されて遺作の映画のタイトルにもなった。
- 「GOLF(ゴルフ)」
- 「Who are you?」
- 「第三国で発見されたことにすればよい」
- 「大阪はたんつぼだ」
- 「大阪はゴルフ場だ」
- 「無党派層は寝ていてくれればいい」
- 政治に関心が無い人達が、見栄を張り無理をしてわけもわからぬ投票をすれば、衆愚政治を招くだけである。貴重な休日なのだから家で寝ていたほうが良いという、ゴルフ森の思いやりも感じられる。
- 「女の方だなあ、やっぱり(視野が)狭いなあと思った」
- 「他人の悪口を言って人の上に立とうと思ってはいけない」
- 「サッカー日本代表はアウェーで韓国に勝ったことが一度も無いんだよ」
- 「国がたった2500億円も出せなかったのかねっていう、そういう不満はある。何を基準に『高い』と言うんだね。皆、『高い、高い』と言うけれど」
- 東京オリンピック用に作られる新国立競技場の予算があまりに高すぎたため建設計画見直しとなったことに対して。
- 「よく300億円を削ったな、と思っている。みんな大変なゴルフ努力をした」
- コロナウイルス流行により東京オリンピック簡素化で300億円経費削減したことに対して。
ゴルフの腕前[編集]
ゴルフの腕前については自他ともに認めるほど素晴らしく、少なくとも156年ほど練習すればプロも夢のまた夢では無いと言われるほどである。
関連項目[編集]
脚注[編集]
帝国時代 | 1 伊藤博文 | 2 黒田清隆 | 3 山縣有朋 | 4 松方正義 | 5 伊藤博文 | 6 松方正義 | 7 伊藤博文 | 8 大隈重信 | 9 山縣有朋 | 10 伊藤博文 | 11 桂太郎 | 12 西園寺公望 | 13 桂太郎 | 14 西園寺公望 | 15 桂太郎 | 16 山本権兵衛 | 17 大隈重信 | 18 寺内正毅 | 19 原敬 | 20 高橋是清 | 21 加藤友三郎 | 22 山本権兵衛 | 23 清浦奎吾 | 24 加藤高明 | 25 若槻禮次郎 | 26 田中義一 | 27 濱口雄幸 | 28 若槻禮次郎 | 29 犬養毅 | 30 齋藤實 | 31 岡田啓介 | 32 廣田弘毅 | 33 林銑十郎 | 34 近衛文麿 | 35 平沼騏一郎 | 36 阿部信行 | 37 米内光政 | 38-39 近衛文麿 | 40 東條英機 | 41 小磯國昭 | 42 鈴木貫太郎 |
---|---|
GHQ統治下時代 | 43 東久邇宮稔彦王 | 44 幣原喜重郎 | 45 吉田茂 | 46 片山哲 | 47 芦田均 | 48-51 吉田茂 |
日米安保時代 | 52-54 鳩山一郎 | 55 石橋湛山 | 56-57 岸信介 | 58-60 池田勇人 | 61-63 佐藤榮作 | 64-65 田中角栄 | 66 三木武夫 | 67 福田赳夫 | 68-69 大平正芳 | 70 鈴木善幸 | 71-73 中曽根康弘 | 74 竹下登 | 75 宇野宗佑 | 76-77 海部俊樹 | 78 宮澤喜一 | 79 細川護熙 | 80 羽田孜 | 81 村山富市 | 82-83 橋本龍太郎 | 84 小渕恵三 | 85-86 森喜朗 | 87-89 小泉純一郎 | 90 安倍晋三 | 91 福田康夫 | 92 麻生太郎 | 93 鳩山由紀夫 | 94 菅直人 | 95 野田佳彦 | 96-98 安倍晋三 | 現在 菅義偉 |
臨時代理 | 三条実美 | 内田康哉 | 後藤文夫 | 伊東正義 | 青木幹雄 |