森鷗外
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
森鷗外(Ogai Mori 一八六二年 - 一九二二年)は、明治の軍人および官僚にして、知性あふれる作品を数多く発表し、ゲーテやハイネなどのすぐれた翻訳により西欧の文化を積極的に取り入れ、日本の近代文学の基礎を作り上げた大文豪である。彼の作品は文学界に今なお大きな影響を与え続けており、その地位は至高にして神聖で、後の世の批評家のいかなる指摘をもってしても覆すことは不可能である。かの批判好きの芥川龍之介でさえも「森先生は(中略)人よりも何か他のものだつたと云ふ結論に達した」と証言している。彼の偉大な業績の前には、生涯において最も不遜なる年齢に達した高校生ですらひれ伏す。そして畏敬の念をこめて、その額に「肉」の字の装飾を施し、彼の自慢のカイゼル髭をより太くたくましく書き加えるのである。
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年表 鷗外少年期
一八六六年 六歳…近所の家で、きれいに彩色のしてある、人間が非常に複雑な姿勢をしたのが描いてある謎の絵本を発見する。 「おば様、それは何の絵本かのう」「あんたはこれをなんと思いんなさるかの」「足じゃろうがの」
一八六七年 七歳…小学校に行く途中にある木戸の番所にて、じいさんに問答を仕掛けられる。 「坊様。あんたあお父さまとおっ母さまと夜なにをするか知っておりんさるかあ。あんたあ寝坊じゃけえ知りんさるまあ。あははは」少年は逃走した。
一八七一年 十歳…父の留守中に蔵の二階にてまたもやきれいな彩色のしてある本を発見する。今度は手も足もはっきりと分かり、かねて知りたく思った秘密がほんの少し理解できたという。利発な少年は、ある体の部分がばかに大きくかいてあるのに気づいたのだった。これでは、もっと小さいときに、足でないものを足と思ったのも無理はなかった。
女友達を用いて実験を行う。「こうして飛ばんと、着物が邪魔になっていけん」と、裾をからげて縁側から飛ばせて見たが、白い足が二本白い腹に続いているだけで何にもなく、大いに失望する。
一八七二年 十一歳…買い物に出た東京にて、絵草紙屋のおかみと家従との会話を聞く。 「これをだまされて買っていくやつがまだありますか。はははは」「いっこうにつまらないことがかいてあるのですが、それでもちょいちょい売れますよ。おほほほ」「どうでしょう、ほんとうのを売ってくれませんか」「ご冗談を。当節は警察がなかなかやかましゅうございまして」
男女が樺太を両分したように寝ることや、Zewgungsglied やSchamやFurz などの様々な単語を知る。
学校の寄宿舎に寄り、先輩に親切にされそうになる。「君、ちょっとだからこの中へはいっていっしょに寝給え」断固拒否し、書物の包みとインク壷をくすねて逃走する。父より「うむ、そんな奴がおる。これからは気をつけんといかん」との忠告を受ける。
一八七四年 十三歳…東京医科大学に入学、寄宿舎に入る。舎内で一番若かった鷗外はしばしば貞操の危機を感じ、懐に短刀を忍ばすようになる。
一八七五年 十四歳…暇さえあれば読書をする。その合間に、これははなはだ書きにくいことだが、これを書かないようではこんなものを書く甲斐がないから書くと、あれをするようになる。親に美少年との関係を疑られるが、幸いにして鷗外にその素質はなかった。
一八七六年 十五歳…遊び仲間が定まってくる。十五歳 十六、七の『お召使』を雇い、机の下に『金瓶梅』を隠し持つ素敵な漢文の教師にも巡り会った。東大屈指の大淘汰も何処吹く風で、楽しく優雅な生活を送った。
一八八一年 二十歳…いったい何時勉強したのか知らないが、東京大学医学部を八番で卒業、初めて吉原に赴き、驚くほどのあっけなさをもって、少年期はめでたく終了する。
舞姫
一八八四年八月、陸軍省での働きを評価され、ドイツへの留学が決まっていた二十三歳の口髭凛々しい鷗外をじっと見つめる一人の美しい女がいた。この薄幸の女性の名はお玉といって、今度こそは長いこと心に秘めてきた思いを彼に打ち明けんとして、その日はいつもにもまして熱い視線を注いでいたのであったが、そんなことは鷗外はつゆほども知らなかった。恵まれぬ女が彼にかけた生涯にただ一度の望みをよそに、初めて行く異国への夢に胸膨らませ、行きがけの駄賃に不忍池の雁に石を投げて殺し、鷗外は二十四日に横浜から、官費での優雅な船旅に出発したのだった。
エリーゼ・ヴァイゲルトは美しかった。華麗に舞う彼女の鳶色の髪は、ライトに照らされて金色に輝いた。舞台から降りて屈託なく笑うと白い歯がこぼれた。思わず彼女に微笑を返した鷗外もまた、郷ひろみに劣らぬ美男であった。こうして二人は恋に落ちた。とはいえ、二人の感情にはかなりの落差があった。エリーゼのほうは鷗外に心底惚れており、できることならドイツにとどまって欲しいとさえ思っていたが、鷗外はといえば、帰国後に海軍の中将の娘との婚約がほぼ決まっており、この許されざる恋愛によって今までの業績をふいにし、家の名を汚したと叱責を受けるのを恐れていた。彼自身が狭い舞台の上でふらつく踊り子のごとく、つま先で立ったままエリーゼを愛していたのであった。その後四年近く爪先立ちの恋をだらだらと続けるが、頭のいい人間はこういう風に追い詰められた場合、あらゆる可能性を考えた上で最終的に自己保身に走るものである。鷗外も無論そうした。決意を固めたとき、彼にはもはや一刻の猶予もなく、強硬手段をとらざるを得なかった。彼は留学先で知り合った日本人の友人にエリーゼとの別離の意を伝えた上で、頭から水をかぶり、そのままの格好で季節を問わず冷え込む夜のベルリンを走りぬけた。彼女の所へ着くころには、思惑通り体が氷のように冷たくなっていた。あとのことは友人がみなやってくれる。つらい役目を友に負わせ、鷗外は安堵の表情を浮かべてベッドに倒れこんだ。
鷗外が回復したときには全てが終わっていた。友人は日傘のようなもので突かれたらしく重傷を負っていたが、エリーゼのほうはいたって気丈な様子であり、平然として、鴎外を港にて送ることさえもしなかった。罪悪感を胸に出港した鷗外のもとに一通の知らせが届いた。彼女が極東に向かう船に乗り、彼を追ってきたのだった。これを知るやいなや鷗外のかりそめの罪悪感は吹き飛んだ。東京の高級ホテルにて二人は再会し、鷗外は約一月かけて彼女を説得し、ドイツに送り返した。「若すぎた」というそれだけが彼の全ての答えであった。エリーゼが帰国して万事うまく言ったかのように思われたが、鷗外は、純真無垢な乙女を欺いたときにかかった肺炎にその後一生苦しめられることとなった。
屋形船
屋形船はその上で宴会や食事をして愉しむための屋根付きの和船である。
時はおそらく東京で清澄公が政柄を執っていたころででもあったろう。雪の降り続く中静かに浮かぶ屋形船の中で、一組の家族が座敷に上がるところであった。男は拍車の付いた長靴をきれいに揃えて脱ぎ、それに続いてほっそりした女がその足駄を取り、子供の履物と並べて置いた。男は黒い肋骨の軍服をきちんと着た、日露戦争帰りの軍医であった。彼が胡坐をかいて座り、程なくして火の熾してある火鉢が二つ運ばれてくると、妻である女もほっとしてくつろいだ様子でそれに従った。目鼻立ちのはっきりした、肌の白い、美しい女である。やがて料理が運ばれてくるが、女は子供のほうを何度も見やり、いっこうに箸が進まない。
黒塗りの箱の上の大きな海老の天麩羅や貝柱の掻き揚げに夢中でかぶりついていた子供がふと目を上げると、父が自分を見つめている。箸を持った手をひざに置いたまま微笑む父の顔は、何か楽しいことを隠しているようだった。「うまいだろう?……もっと食え、もっと食え」あまり食べさせては、と母が軽くたしなめると「何、おまりはこれから丈夫になる」とにこにこと言った。母親は、娘が百日咳で余命いくばくもないと宣告されたときのことを思い出していた。あのとき夫が安楽死を断わってから三日ほどして、
愛娘が長じて、やたら美麗な比喩を用いて男同士の恋愛を甘味とえぐみとをふんだんに利かせて書いてのけ、お産をすれば「ウンコみたいに楽だった」と父上に報告するようなとんでもない女流作家になろうとは、パッパも母上もご存じなかった。この家族は、このとき確かに平和で、幸福で、あった。
参省大夫
奥様とお嬢様とが旦那様に会いに陸軍省へ行かれ、家に誰もいなくなったのを見計らって、女中が二人陰口をたたき始めた。年が少し上なのがお安、もう片方がお厨子である。
「この家の主人は頭が変なのではないか」とお安が言った。それはもうすでに何百回となく繰り返された話題であったが、不思議に飽きないのだった。ここの主人は文学をしているとかで、山ほど本を持っているのだが、その膨大なコレクションを女中に触らせることは決してなく、また禁じていた。分厚くて綴じの壊れかけた表紙に御大層な紋のついたような本を時々床に丁寧に広げて干していて、自分たちが誤って踏んだりしようものなら烈火のごとく怒った。そのくせほかの事になると至極穏やかで、甘やかされっ放しの娘がどんなにお転婆をしても笑っているし、自分たちが掃除をしないで放って置いたお菓子のくずや虫の死骸などを嬉々として箒で掃き清めているのだった。お安は一度、書き物机の上に開いたままにしてある書物を盗み見たことがあった。そこには独逸語だか仏蘭西語だか、とにかくよく分からない横文字が印刷されており、その間を赤と黒のペンで書かれた細かい字が埋めていた。日本語の本すらまともに読んだことのない彼女にとってはまさに吐き気を催す代物であった。それが翻訳作業であることをお厨子は知っていたが、そんなことで横文字が日本語になおるのが理解できなかった。ご主人はいつもやたら大きな帽子をかぶって、浴衣の上にマントのようなのを着てまっすぐな変な杖をついて意気揚々と歩いておられる。あの大きな頭の中には、さぞかしいろんなものが入っているのだろうとお厨子は想像した。
ここの主人は味覚も相当変であった。普通の食事の献立に加えて、いつも果物の甘く柔らかく煮たのを好んで食べている。先日、葬式から帰ったあといやに嬉しそうなので覗いてみると、葬式饅頭を四つくらいに割ったのをご飯に載せて煎茶をかけて、美味そうに啜っていたのである。その上娘たちまでもさも嬉しそうにそれを食していた。「胸糞の悪くなるような光景だった」とお安は言った。お厨子はといえば、あのときみんなあまり美味そうに食べるので、美味しそうに思えてしまったと言えずに困っているのだった。
変なところがたくさんありすぎて、このままでは自分たちもおかしくなってしまいそうだった。お厨子は長いこと会っていない母のことを思った。今頃母も私たちのことを思って、ほうやれほ、と泣いているのだろうか。それでも暇をもらって里に帰る気にはならなかった。お給料は悪くないのだった。
モリ一族
森一族が原稿を渡すまいと篭城めいたことをしていると聞き、日日新聞は討手の手配りを始めた。石橋気取半之丞友吉や坪内書生気質雄蔵といった、鷗外を敵に思う物書きを指揮役とし、それに幾多の雑兵を随わせた。
討手がついに屋敷に討ち入らんとしているのにまず気づいたのは他ならぬ鷗外であった。彼は台所で桃を煮て砂糖をかけたのを食っていたが、何者かが屋敷を囲んでいるのを感じると、残さず食い終えてから決戦の支度を始めた。他の者はすでに支度を終え、篭み入る討手の者を一人ずつ討ち取ろうとして構えていた。錠前が打ち壊され、貫の木が引き抜かれる音が聞こえた。鷗外は袴を落とし、片足ずつ脱いで奥の部屋に下がった。と、雑兵が一人駆け込んできて、森家長男の於菟の槍に衝かれ、続いて入ってきた坪内に倒れ掛かったが、「邪魔じゃ」と押しのけられて床に倒れ臥したところを、護謨紐の角を生やした小鬼のごとき形相の森家次女杏奴に捕らえられ、噛まれ、目玉をくじり取られた。あとは一気に何人もが手に手に槍を持して篭み入ってきた。鷗外の二番目の妻しげは和服姿で薙刀を振り回し、一度に五、六人の雑兵の首を飛ばした。森家長女の茉莉は、独逸製の鈍く光る鋏でもって討手どもの頚動脈を次々と断って、「ああ、猩猩緋のリボンの風にゆらめくようだ」とご満悦であった。森家四男の類はやってくる討手の足を払ってまわっていたが、そのうちに転んだ相手に押しつぶされて、頭がチビ太の様になって死んだ。倒せど倒せど討手は尽きない。ついに於菟が胸板をしたたか貫かれて倒れた。茉莉は絶好調であったが、飽きてしまって、ふと庭の木蓮を見に行った拍子に待ち構えていた半弓に眉間を射抜かれ、「もともとが不美人であるので一向に構わない」と言ったのち絶命した。杏奴や他の者もいつの間にか倒れていた。しげは薙刀を捨てて刀を抜いて切ってまわっていたが、明らかに形勢不利であった。と、奥の部屋から一人の軍人がゆっくりと姿を現し、それを見るとこの気丈な女は自刃してあっぱれな最期を遂げた。黒い肋骨の軍服を着て鼻の下に薄く髭を生やした軍人は、腰に提げたサーベルを鳴らしながらゆっくりと進み出ると、呆然と突っ立っていた雑兵どもに「
こうして森一族は全滅し、それらの死骸は後日引き出されて吟味せられた。中でも黒い肋骨の軍服を着た壮年の男の胸の創はたいそう見事であったので、この男はいよいよ面目を施したが、口髭が薄かったので誰だかよく分からなかった。

