検非違使

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検非違使(けびいし)とは、平安時代京都で暴れていた妖怪の名前である。

概要[編集]

検非違使とは、平安時代の始めの頃から平安京に出現したという怪物、妖怪であるが、後には全国各地にも現れたらしい。非常に知名度が高く、京都名物の一つとしても知られていた。その一方、多数の役所などを破壊し、平安京をめちゃめちゃにした元凶とも言われている。検非違使は二つに分裂したかと思えば、また一つに融合したりしたが、それもまた妖怪であるが故である。

そのため平安京では「悪い子は検非違使に連れて行かれるぞー」と言って子供をしつけるのが一般的だった。

伴大納言絵詞」などの平安時代の絵巻物に、検非違使に怯える人々の姿が描かれている。

検非違使によって破壊されたもの[編集]

平安時代の300年以上に渡って暴れ続けた検非違使は、京都の町に甚大な被害をもたらした。

刑部省・弾正台・京職[編集]

これらの役所は表札だけを残してほぼ完全に破壊された。しかもただ破壊するだけではなく、検非違使はこれらの役所を飲み込んでさらに巨大化していったと伝わっている。

三審制・裁判制度[編集]

無法者の妖怪が暴れまわったせいで、こういう文明的な制度も廃れた。日本で三審制が復活したのは明治時代になってから。

律令格式[編集]

事実上、破壊されたも同然。

検非違使と死刑[編集]

検非違使が暴れまわったことにより、上記のようにまともに裁判が行われなくなったため、平安時代には死刑も行われなくなった。そのかわり検非違使による殺害が行われた。また死刑が廃止された理由の一つに、平安京の人々が怨霊を恐れていたからというものがあるが、この怨霊が検非違使を指していることは明らかである。

検非違使と武士[編集]

平安時代の中頃、この妖怪を退治するために武士が組織され、その結果、鎌倉時代から室町時代にかけて被害は急速に減少していった。しかし、その戦いの中で一部の武士は妖怪に取り込まれてしまうこともあり、検非違使化した源義経「九郎判官」という妖怪に変化してしまい、源頼朝の手で始末されたことはよく知られている。

検非違使が登場するゲーム[編集]

妖怪としての知名度の高さから、多数のゲーム作品に登場している。しかし妖怪ウォッチには登場していない。

関連項目[編集]