横浜大洋銀行

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横浜大洋銀行(よこはまたいようぎんこう)とは、かつて横浜市に存在した銀行である。その後「横浜銀行→横浜DeNA銀行」と名前を変えているが、同じ名前の別の銀行が存在するため、本稿のタイトルは「横浜大洋銀行」とする。

概要[編集]

世界初の「球団に融資する銀行」として、1978年に設立された。ただし実態は、銀行というより多重債務者というのが正しいかもしれない。毎年貯金が必要な球団から星を借り(借金をし)相手球団に貯金を供給する経営手法で、設立当初は銀行の歴史を変える新たな経営手法として注目されていたが、取り立てがあまり激しくなかったこと、そしてバブル崩壊による景気の低迷により次第に経営は悪化していった。1997年以降は白星取引が不調に終わり、特に1998年には未曽有の経営危機に陥ったが、2002年にTBSが旧親会社・マルハより経営権を譲渡されて以降は経営再建に成功した。

2011年にDeNAが買収し、横浜モバゲー銀行と改称される予定だったが、財界の反発により横浜DeNA銀行に改称された。これ以降、白星取引額は再び減少傾向となっている。

歴史[編集]

  • 1978年 - 横浜市に設立。当時はまだ普通の銀行であった。
  • 1980年 - このころから球団に対する白星取引を始める。
  • 1989年 - バブル景気の影響などにより、白星取引額(=白星供給額80−黒星供給額47)が設立後の最高額「33」を記録する。
  • 1993年 - 経営陣の方針により名称を「横浜銀行」に変更。同年も白星取引額「16」(=73−57)を記録するが、このころからはバブル崩壊の影響を受け経営が低調になり始める。
  • 1994年 - 黒星供給額が61に達し(白星供給額は69)、白星取引額は「8」と一桁に転落。不安要素が大きくなり始めた。
  • 1995年 - 白星取引額が「マイナス2」(=64−66)となり、「横浜銀行」改称後3年目で初の赤字転落。
  • 1996年 - 白星取引額は「20」(=75−55)と大きく持ち直し、2年ぶりの黒字を記録。しかし、同年を最後に5年連続で混迷の時代を迎えることとなる。
  • 1997年 - 夏場以降に白星取引が相次いで低調に終わったことから白星取引額が「マイナス9」(=63−72)と大赤字を記録し、同年の山一證券自主廃業も相まって経営が不安視されるようになる。一方でこのころから某球団は黄金期を迎えることとなる。
  • 1998年 - 同行史上最悪の年1年早くノストラダムスが襲来新しく就任した頭取の経営方針がことごとく裏目に出て全球団への貸付に失敗し、白星取引額「マイナス23」(=56−79)と史上最悪の赤字を記録。空前の経営危機に陥る。10月8日には西宮支店で民事再生法適用を発表し、堤商店に救済を求めるがこれも拒否され、廃業まで噂される。
  • 1999年 - 経営再建元年。前年の悪夢を引きずりながらも例年通り4月に営業を再開し、同営業開始から6営業日連続で白星貸付に成功。しかし5月以降に業績が悪化し、最終的には3年連続の赤字(白星取引額「マイナス7」)に終わる。
  • 2001年 - 経営陣を刷新。新たな頭取の管理下で経営再建を図るが5年連続で赤字に転落し、親会社のマルハが経営権放棄を決める。
  • 2002年 - TBSがマルハから株式の51%を買い取って経営権を取得し、1996年以来6年ぶりとなる黒字(白星取引額「37」)を記録する。翌2003年には設立以来最高を更新する「49」もの白星取引を記録し、経営再建に成功した。
  • 2008年 - 同年から2010年まで3年連続で白星供給額が90以上を記録し、リーマン・ショックもなんのそので設立以来最高の好景気を記録する。
  • 2012年 - DeNAが買収し、「横浜DeNA銀行」と改称。

主な店舗[編集]

本店のほか5つの支店・6つの出張所を持ち、本店は年間71~72日営業している。支店は1店舗につき年間12~13日営業、出張所や営業所は3日または0日の営業となる。また、支店や出張所以外でも、臨時営業することがある。

本店[編集]

支店[編集]

出張所と営業所[編集]

得意先[編集]

取引先は他にもあり、どのチームにも貯金を供給している。

関連項目[編集]