武道

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武道(ぶどう、Marshall-arts)とは、互いの命を極限状態に追い込むことによる精神的昇華すなわち解脱を目的とする肉体芸術である。

概要[編集]

アベルとカインの時代より、人類(主に男性)は常に争い、傷つけ合い、そして奪い合ってきた。その動機や手段、そして結果は多種多様、当事者ごとに違うものであったが、その生命存続における極限状況、すなわち死のリスクを冒した上で戦いに臨まなければならないのは全ての事例に共通し、要求される「覚悟」である。それは文明が発達し、欺瞞的な事無かれ思想と雁字搦めの法秩序に毒されてしまった現代においてなお変わらない真理である。しかし暴力をもって欲望を満たし、自己実現を達成することは現代社会における絶対的な悪とみなされるようになったため、闘争本能を去勢された男たちは次第に「女性でない霊長類ヒト科哺乳動物」に成り下がって行ったのである。

そのような社会風潮の中で、どうしても暴力行使への欲求を抑えることができない一部の者が「殺し合う行為そのものによってではなく、その極限状況を疑似的に再現する事で暴力に対する欲求を発散させ、かつアトラクション(attraction)としての美的要素を最大限に引き出すことによって芸能としての存続の道を図ろう」と提唱したのはいつの事だったか、少なくとも天下泰平の世(江戸時代以降と推測される)の話である。かくして誕生したのが武道であり、その「武」(ぶ)とは「戈(ほこ)=争いごと」を「止=止める」という意味であり、それまではただひたすらに破壊と略奪のためにのみ用いられていた暴力の概念を、平和を維持するための力として転化させることに成功した日本ならではの平和精神の発露、およびその知恵なのである。

武器[編集]

武道には何よりも美しさ、特に極限状況下における人間一個の肉体から発せられる破壊への衝動と生存へのあくなき欲求を調和させ、昇華せしめる精神性が求められるため、わざわざ言うまでもない話であるが、用いることが許されるのは肉体の延長として認められる武器に限り、機械力によって攻撃力の発生するもの、あるいは強化させるものは認められない(勝ちさえすればいい、という考え方は武道において最も醜悪な思想である)。そこで是々非々あるものの、さしあたって武芸における武器類の使用に関しては以下を参考のこと。

  1. 飛び道具に関しては、投石、投槍、弓、手裏剣などは認められるが、銃(※ただしガン=カタを除く)、弩などは認められない。
  2. 機動力に関しては、畜力(馬など)か徒歩以外は認められない(戦車などは不可)。
  3. 助太刀に関しては、明らかな戦力差や大人の事情(仇討ちなど)がない場合は認められない。

美学[編集]

武道は極限状況における肉体表現に特化した芸術であるというその性質から、武道の表現者は同性同士がいいと言われている(異性同士で行うと、どちらが勝つにしても俗悪な服従プレイ又はいじめにしか見えない)。武道を執り行う際は女性×女性でも男性×男性でも構わないが、いずれにせよ以下の美学を全うすることによって表現が完結されることこそ武道の本質である。

  1. とりあえず礼に始まり、礼に終わること。礼の失念は武を只の暴力に成り下がる。
  2. 命まではとらないこと。武士の情けってやつだ。生命の美が、解剖したカエルから感じられることはない。
  3. 何事もスマートに。泥臭く勝利をつかむくらいなら、爽やかな敗北を選ぶこと。大丈夫、命まではとられない。
  4. 常に笑顔を絶やさないこと。たとえ殺意を秘めていようと。
  5. 全力で傷めつけあった後は、全力で癒し合うというのも悪くないだろう。

関連項目[編集]