死にたまふ母

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死にたまふ母(しにたもうはは 英:Mom's Adventure in Pastral) は、東京帝国大学(現在の東京大学)において大正2年(1918年)に制作されたローグライクアクションゲーム。

概要[編集]

大正期に農村部にて平均寿命が低迷していたことから、東京帝国大学が中心となり国民生活改善のため生活調査を行ったことが、このゲームの母体となった。

田舎のごく普通の農家に住む主婦や農夫を操作して、危険に満ちた田舎暮らしをエンジョイする内容である。象牙の塔にこもった大学生や大学院生、ポスドク、教員にとっては、日本の寒村は、まったく未知の世界であり、密かに人気となり現在もプレイ記録が残されている。

開発[編集]

当時、帝国大学の助教授であった斎藤茂吉氏らの尽力により、農村の生活調査事業にあたって、まず実際の農村における様々な事故や病気の実態が収集された。

次に当時実用化されていた蒸気計算機を使用し、農村シミュレータともいえる地域モデルを構築した。

システム中では、山形県南村山郡の寒村である堀田村をほぼ完全に再現した。テスターが操縦する農夫は、現実の156倍の速度で成長し生活し死んでいく。

テレプリンターに打ち出された農夫の生涯からは、農村の住人の平均余命や生活の改善につながる情報が多数見いだされた。しかし、地域の有力者や大地主、地元選出議員に多額の寄付を行った豪商などの圧力で、実際のデータを公開することは阻止された。

プレイ記録[編集]

農村シミュレータは、与党政友会の圧力もあって解体を免れた。その後、電算機室で稼働を継続し、大学関係者の娯楽として秘密裏に運用が行われた。

ついには156歳の長寿を迎えた村民も登場したが、当時の計算機ではパンチカードや紙テープとしてしかデータ保存が困難であった。東京大空襲で資料が散逸したこともあり、現在残るプレイ記録には、1回の試行あたり31文字の情報しか残されていない。そのぶんだけ情報量が濃く、31文字で「我がおかん、また死にやがったバカヤロー!!」とタンカを切る、プレイヤー斎藤茂吉の怒りが込められている。

  • いのちなき人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを
    • レベル37 ゾンビのぎっしり詰まった部屋に落下。21匹倒したが、あえなく脱出失敗し殲滅される。
  • わが母を燒かねばならぬ火を吹きし天つ神には目にもの見せるかし
    • レベル43 罠で飛ばされた先にあった、ご神体を割ってしまう。天つ神が火を吐いて焼死。
  • はるばると薬をもちて来しわれを守りたまへりわれし床なれば
    • レベル12 薬を薬局で買ってきて、1階上の宿屋で使おうとしたら床が割れ、下の薬局に落下。泥棒扱いとなり薬局の店主に殺される。

後年の評価[編集]

140文字どころか31文字で人間の生死、生き様につきタンカを切った傑作作品として、縛りプレイ大好きな日本人に大人気とされている。

中学生ごろ、近代文学史として日本人の多くが学ぶ、大正昭和の農村における生死を描いた名作とされる。しかし、中学生にとっては難解な文語表現と、読解力の未熟さから「斎藤茂吉の母は1回しか死亡していない」という誤答が、しばしばテストの答案で見られる。

斎藤茂吉の母、斉藤いくは「超特急燕号に轢かれて死んだ」という死に方が最も有名であり、のど赤き玄鳥ふたつ屋梁ひゐて足乳ねの母は死にたまふなりというプレイ記録が残されているが、他のプレイ記録については、母が死ぬ直前や死んだ後と解釈されてしまう例が多い。

「機械・電子技術が進歩し世界有数の先進国となっていた戦前日本」という史実は、日教組の格好の標的となったため、上記のように多彩な死に方の記録は、現代では巧妙に隠蔽されている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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