毒饅頭仮説
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
毒饅頭仮説(どくまんじゅうかせつ)とは、人間の心理における行動抑制現象に関する哲学的考察と、これに端を発する心理学分野での研究のことである。
なお、2006年に脳神経生理学分野で同仮説に対する新しいアプローチが発生しており、今後の研究が待たれている。
[編集] 概要
この仮説は、茨城大学の民俗学者である洞吹檀太郎が1902年に発表した。正式な同仮説の名称は「最後の一個は毒饅頭仮説」である。仮説の概要は以下のとおりである。
この現象に着眼した洞吹は、その最後の一個となった饅頭を前にした者たちが、あたかも喫食に適さない饅頭であるかのように、無視しようとしたり、何がしかの強引な理由付けを行って食べようとしないことを指摘したのである。そしてこの現象を洞吹は、最後の一個には毒が混入されているためだと仮定した。
洞吹は更にこれの推論を進め、この毒饅頭として扱われる最後の一個は、人間の精神性に予め組み込まれた安全装置ではないかとみている。これは「最後の一個を手にとった場合に、他の者が後からそれを欲したとしても、これを皿に戻すのは躊躇われ、さりとて口に運ぶのも躊躇われる」という大変気まずい状況に陥るのを回避しようとしているためだとみなしている。
このあたかも毒饅頭のように扱われる最後の一個が残る理由に関しては、上に述べた洞吹の説の他に、ヨハン・ホイジンガおよびロジェ・カイヨワの説を引用して、これら饅頭の皿を前にした者たちの中で、暗黙のうちに「饅頭を取り合う」というゲームが行われており、最後に残った饅頭を手にしたものが負けだという遊びが成立しているとみなす説も存在する(Gottfried August Bürger『Last one is “Dokumanjyuu”』1961年)。
なおこういった理由に関する考察は別として、同一の複数ある物を不特定多数が任意に手に取る場では、しばしば同一の現象が観測されるため、これをさして心理学用語として最後に残った物品を指して「毒饅頭」といい、この現象が発生する心理作用を毒饅頭効果ないしDokumanjyu-Effect(DE)と呼ぶ。
[編集] 研究
毒饅頭効果に関しては、前述の「複数人数が任意に皿から菓子を取って食べる場」からコンビニエンスストアにおける商品陳列棚にいたるまで、様々な場で観測可能である。ことコンビニエンスストアの商品陳列棚では、アルバイト店員が商品補充を怠った場合に即座に発生し、棚の上の商品が一個だけ残された状況が形成される。
このため方々で研究者が存在しており、心理学的な側面からのアプローチによる説明が試みられているが、いずれも洞吹の推察を超えるものではなく、2000年代においても結論は出ていない。
この心理学的側面とは別に、1997年ごろから脳神経生理学分野でのアプローチが進められている。従来では脳の活動を生活状態で観測する方法がなかったため立ち遅れていた同分野であるが、観測方法の発達から被験者らを自由に活動させながら脳神経レベルでの反応状況を調べることが可能になってきたために活発化した手法である。この手法による研究では、視覚野と他の脳部位の活動が注目されている。
視覚野は目を通して得た情報を脳の神経回路に送り込んで処理するために視覚を映像として認識する分野だが、饅頭の山という同一の物品が複数積まれている状態を脳が認識する場合、それを一つの塊として認識する。つまり脳は皿に盛られた饅頭を、その各々の饅頭としてではなく、「饅頭の山」と認識する。これが一つ減り二つ減りしていき、最後に一つとなった段階で、脳は初めて「皿に載せられた一個の饅頭」と認識する。この段階で、饅頭は「自由に手にとって食べていい」という前提で目の前に置かれた「饅頭の山」ではなくなり、「一個の饅頭」というまったく別の存在に変化するのである。ここで脳は「これは自由に手にとって食べていい饅頭の山ではない」という判断を行い、運動野(体の動きを制御する脳の部位)へ「手を伸ばして饅頭を取ろうとするな」という指示を出す。従って、最後の一個は誰も手を伸ばそうとしないというのである(Baron Münchhausenらの研究による)。
同分野のアプローチは始まったばかりで「それなら最後の一個までなくなっている状態はどう説明するのか」という問いに対する答えは得られていない。ただその答えに関しては、前出の洞吹が発した最後の一個の饅頭の行方に関すしての端的な言及の内に、そのヒントが隠されているかもしれない。洞吹によれば、最後の一個の行方は「最後の一個は、毒饅頭でもとりあえず食ってみる厚かましい者か、あるいは社会通念など全くお構いなしのお子様の腹に収まる」とのことである。