気象庁が命名しなかった自然現象の一覧

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気象庁が命名しなかった自然現象の一覧(きしょうちょう-めいめい-しぜんげんしょう-いちらん)とは日本に甚大な被害をもたらした自然現象のうち、気象庁によって無視されるかのように名前さえつけれらていないものの一覧である。

気象庁は大きな災害をもたらす自然現象が発生すると、防災機関による対応、報道での呼びやすさ、教訓の伝承などを目的に命名を行っている。裏を返せば、防災機関が対応するに足りない、報道する必要もない、忘れられてしかるべき自然現象については命名を行わない。

命名の基準[編集]

気象庁では以下の基準を満たしたものを命名することとしている。つまり以下の基準以下であれば命名されない可能性が高い。とはいえ基準を満たしていても命名されない自然現象はたくさんある。

豪雨・豪雪・台風
損壊家屋1,000棟程度以上
浸水家屋10,000棟程度以上
地震
陸域ではマグニチュード7.0以上、震源の深さ100km以浅、かつ最大震度5弱以上の地震
海域ではマグニチュード7.5以上、震源の深さ100km以浅、かつ最大震度5弱以上または津波2m以上の地震
全壊家屋100棟程度以上など、顕著な被害が起きた地震
被害が大きかった群発地震
火山噴火
大規模な火山噴火

なお気象庁では1960年以降に正式に命名を開始した。それ以前はみんな適当に呼んでいたということだ。災害が起きたとしても、政府も火事場泥棒や朝鮮人の摘発、焼死体や溺死体の処理くらいしかやる必要はなかったので、命名する必要性もなかったわけだ。以下の一覧にも、1960年以降のみを掲載する。

気象庁が命名しなかった自然現象の一覧[編集]

豪雨・豪雪[編集]

昭和42年の羽越豪雨
1967年8月26日から29日にかけて、新潟県から山形県にかけての地域で集中豪雨が発生した。新潟県では30時間に700ミリの雨があり、下越地方の河川が氾濫した。このため家屋や農地が浸水して同地域のコメはほぼ全滅した。さらに国鉄羽越本線米坂線が路盤から流されるほどの被害を受けた。山形県でも河川の氾濫や橋梁の流失、住宅や農地の浸水により、20年分の予算が吹っ飛んだ自治体も出た。死者104人、住宅の全半壊2,314棟、浸水家屋83,372棟、被害額は2007年の価値にして4,000億円に達した。
現地入りした者には激甚な災害であることは明らかであったが、消防庁は被害をかなり過小に集計したために、命名基準を満たさなくなり、気象庁は命名を行っていない。実際は戦後日本でも屈指の大水害として知られている。
昭和49年の静岡県の豪雨
1974年7月7日に静岡県で発生した豪雨。静岡市では7時間にわたって平均63ミリという集中豪雨に見舞われ、24時間に500ミリ以上の雨が降り、市内の安倍川、巴川が決壊した。さらに土砂崩れも発生し、死者27人、全壊家屋32棟、浸水家屋26,124棟などの被害を生じた。
当日は静岡県知事選挙が行われていたために、選挙結果に影響を及ぼしてはいけないと頓珍漢な配慮をした気象庁は、この豪雨について命名を自粛した。さらに7月7日だったためにマスコミは七夕豪雨と優雅な名前をつけたために、かえって豪雨の深刻さが吹き飛んでしまった。
平成11年の福岡・広島豪雨
1999年6月23日から7月3日にかけて西日本を中心に豪雨被害が拡大した。とくに6月29日は広島県広島市呉市では障害者施設などを相次いで土石流が襲い、多くの死者が出た。死者行方不明者40人、負傷者69人、損壊家屋750棟、浸水家屋18,585棟などの大きな被害があった。
この年は秋にも西日本で豪雨災害があり、死者30人、負傷者1,143人、損壊家屋89,344棟、浸水家屋18,001棟などの大きな被害が生じている。命名基準を明らかに満たしているが、気象庁は広範囲かつ長期にわたったこの災害をどう命名すればよいか悩んでいる間にうやむやになってしまったので、結局命名されていない。
平成12年の東海豪雨
2000年9月11日から翌12日にかけて名古屋市を中心とする東海三県を襲った豪雨。名古屋市中心部でも2日間で600ミリ近い雨となり、庄内川、新川、天白川、境川といった市内の主要な河川は軒並み越水・氾濫したほか、地下鉄はホームまで冠水した。死者10人、負傷者115人、家屋の全半壊203棟、浸水家屋は70,000棟近くに達した。また58万人に避難指示・勧告が出され、自衛隊海上保安庁が1万人単位で投入され、経済被害は8,500億円に達した。
しかし名古屋市中心部を走る東海道新幹線が当初特段の対応を取っていないのを見た気象庁は、実は大したことないのではないかと思い込んだ結果、命名はなされなかった。今となってはなぜ命名されなかったのか最も謎な災害のひとつである。
平成22年の奄美豪雨
2010年10月下旬に奄美大島を中心に集中豪雨に見舞われた。住宅や介護施設が濁流に飲まれる危機的な状況下で、国道が寸断されて住民は孤立し、電力ケーブル、通信ケーブルも寸断、警察無線すら使えない事態に陥った。最終的には死者3人、住宅の全半壊453棟を数えた。
奄美大島と言う狭い範囲ながら極めて甚大な災害になったにもかかわらず、気象庁は命名の基準を満たしていないということを理由に命名しなかった。この理屈で行くと、父島の9割の世帯(933世帯)が家を失うような想像を絶する災害があっても命名されないことになるであろう。
平成24年の豪雪
2011年末より、東北を中心に北陸から北海道にかけて大雪に見舞われた。中には毎朝2時間雪かきしないと車も車庫から出せないといった状況も報道された。雪かき中の事故に加えて雪の重さで家が潰れるなどの被害もあり、死者132人、負傷者は約2,000人、住家被害も500棟を超えた。
ただし平成23年の豪雪も死者131人、山陰地方では吹雪により自衛隊も災害派遣される騒ぎになったが結局命名されなかったので、気象庁は前例にならいこの豪雪についても命名しなかった。

台風[編集]

昭和51年の台風第17号
1976年9月4日から14日にかけての台風。進路としては長崎県に少し上陸した程度であったが、9月9日から13日まで九州沖に停滞したため、四国地方を中心に記録的な豪雨となった。徳島県の日早では2,781ミリの雨量(これはエジプトアスワン市の5500年分の雨量に匹敵する)となり、日本全国で合計して東京ドーム原器67,300杯分の降水があったと推定されている。死者行方不明者171人、全半壊家屋5,343棟、浸水家屋534,495棟にも及んだ。
この台風は速度があまりに遅かった上に、秋田県沖で不可解なUターンを見せたことから、気象庁も調子が狂ってしまい命名するタイミングを逃してそのままうやむやにされている。
昭和54年の台風第20号
1979年10月6日から20日にかけての台風。中心気圧は870hPaまで下がり、世界最低気圧を記録した歴史的台風。非常に勢力が強く、最大風速は75メートル、暴風域は日本列島をほぼ覆い隠す大きさであった。その勢力はしばしば室戸台風第二室戸台風と比較される。普段は台風に襲われることが少ない北海道東部でも風速30メートル以上の風が吹き荒れ、漁船が多数遭難した。死者行方不明者115人、負傷者543人、住宅の全半壊1,426棟、浸水家屋56,100棟の被害を生じた。
この台風は日本に上陸したのが10月19日と遅かったことから、気象庁は今更1979年の台風を命名したくないと考えたのか、命名はしなかった。また、とくに大きな被害を生じた北海道に再上陸したときには温帯低気圧に変わっていたと言い張り、台風か一般の豪雨か微妙なので命名したくないと主張した。
平成2年の台風第19号
1990年9月13日から20日にかけての台風。一時中心気圧は890hPaまで下がり、和歌山県に上陸時にも945hPaと非常に強い勢力を誇った。九州から東海にかけて豪雨に見舞われ、近畿や四国の山沿いでは1,000ミリ以上の降水があった一方で、沿岸部では最大瞬間風速60メートル以上の猛烈な風も吹いた。死者行方不明者44人、損壊家屋1,056棟、浸水家屋66,362棟の被害が出ている。
損壊家屋、浸水家屋は命名基準を満たしているが、次の平成3年の台風第19号よりもさらに被害が小さいことから、気象庁は取るに足らない台風だと判断して命名しなかった。
平成3年の台風第19号
1991年9月16日から28日にかけての台風。九州上陸時の中心気圧は940hPaと戦後5位。九州、中国、北陸、東北と広い範囲で最大瞬間風速50メートル以上を記録し、北海道に再上陸したときにも955hPaと大変勢力が強い台風であった。また高潮による被害もあった。日本列島の広い範囲に被害をもたらし、死者62人、負傷者は1,000人を超えた。九州では200万戸以上が停電し、屋根が吹き飛んだ家も多い。また青森県では暴風により出荷直前のりんごがほぼ全滅してしまった。農業被害額だけで6,000億円にも達する。
マスコミによりりんご台風というなんとも可愛らしい名前がつけられてしまった(これほど可愛らしい台風名はキティ台風以来であろう)が、気象庁はこの程度の被害では特段の対応は必要なしと判断して命名しなかった。
平成16年の台風第23号
2004年10月13日から21日にかけての台風。強風域の大きさは1000km近くに達する超大型の台風で、四国、近畿、中部、関東を駆け抜けたために、広範囲で大きな被害をもたらした。死者行方不明者98人、損壊家屋19,498棟(うち全壊893棟)、浸水家屋55,558棟に及んだ。死亡したのは田んぼの様子を見に行った老人だけでなく、警察官や消防団員も殉職したほか、18メートルの波で防波堤ごと流されて死亡した者、一気に家が浸水してボートで命からがら逃げた者が出るなど各地で想像を超える被害となった。
この台風で気象庁豊岡測候所も浸水し観測不能になったことから、データに一部欠損があるためどのような自然現象であったのか判断しかねるとして、結局命名されなかった。
平成23年の台風第12号
2011年8月25日から9月5日にかけての台風。台風の勢力自体は並外れたものではなかったが、南から湿った空気が長時間流れ続けた結果、四国から東海にかけての太平洋側で記録的な豪雨に見舞われ、とくに紀伊半島では2,000ミリの雨量を記録した(これはエジプトアスワン市で、ツタンカーメン王が生まれた頃から降った全雨量よりも多いと推定される)。とくに奈良県の大塔町十津川村、和歌山県那智勝浦町新宮市、三重県紀宝町では被害が著しく、川の水位が10メートル以上も上昇して山津波状態となったほか、深層崩壊と呼ばれる大規模な地すべりや山体崩壊が頻発した。死者行方不明者92人、被害額は1,000億円を軽く上回る。
とはいえ同年に起きた東北地方太平洋沖地震に比べて被害はまことに小さなものであったため、気象庁はあまりのしょぼさに命名しなかった。

地震[編集]

平成16年の紀伊半島南東沖の地震
2004年9月5日に紀伊半島南東沖でマグニチュード7.1と7.4の地震が発生した。これらの地震により、奈良県、和歌山県、三重県で震度5弱の揺れとなった。また津波を観測し、のちの調査ではその高さは4メートルを超えたところもある。
地震が発生した場所が東南海地震の震源に近かったため、気象庁では巨大地震の再来かと色めき立ったが、結局なんでもなかったために、命名しないでうやむやにすることにした。幸い死者も出なかったので好都合であった。実はこの地震の規模は地震学的にはマグニチュード7.3と7.5というのが通説だが、7.5になってしまうと命名基準を満たしてしまうので、気象庁は無理やり7.4だと言い逃れた。
平成17年の福岡県西方沖の地震
2005年3月20日に福岡県の西方沖でマグニチュード7.0の地震が発生した。この地震により福岡市で震度6弱の激しい揺れに見舞われるなどして(ちなみに政令指定都市が震度6弱以上の揺れとなったのは阪神淡路大震災以来のこと)九州北部を中心に大きな被害があった。死者1人、負傷者1,204人、全壊家屋144棟、半壊および一部損壊は9,691棟に及んだ。
全壊家屋は命名基準を満たしているが、テレビ東京が特番を組んでいないことを確認した気象庁は、被害は限定的として命名しなかった。
平成23年の茨城県沖の地震
2011年3月11日15時15分に茨城県沖でマグニチュード7.6(一説には7.9)の地震が発生した。この地震により茨城県鉾田市で震度6強、東京都区部でも震度5弱の揺れを観測した。
海域でマグニチュード7.5以上かつ震度5弱以上という命名基準を満たしているが、直前に起きた東北地方太平洋沖地震に比べれば実に小さすぎる地震であるため、気象庁は命名しなかった。そればかりか、この地震の規模では相応の津波が予想されるにもかかわらず、気象庁では津波警報すら出していない。
平成23年の長野県北部の地震
2011年3月12日未明に長野県北部でマグニチュード6.7の地震が発生した。この地震により、長野県栄村で震度6強、新潟県津南町十日町市でも震度6弱の非常に激しい揺れを記録した。とくに栄村では住宅の倒壊や地すべり、雪崩が生じ、村民が一時孤立するなどした。死者3人、負傷者67人、全壊家屋63棟、半壊および一部損壊は2,402棟に達する。
しかし東北地方太平洋沖地震の対応に忙しいとして気象庁ではこの地震をほとんど顧みることなく、命名もされなかった。そのため政府でもこの地震のことはほとんど忘れ去られているかのようである。そのあまりの不憫さに心優しいアンサイクロペディアンが執筆したのが栄村大震災という記事である。
平成23年の静岡県東部の地震
2011年3月15日深夜に静岡県東部でマグニチュード6.4の地震が発生した。この地震により静岡県富士宮市で震度6強という激しい揺れとなった。観測によればその揺れは1G(重力加速度)を超えたという。負傷者52人、損壊家屋327棟を数えたが、幸いにも死者および全壊家屋はゼロだった。なおこれは、静岡県が東海地震に備えて家屋の耐震化や避難訓練を行った成果であり、揺れ自体は破壊的なものだったことは既に述べたとおりである。
気象庁はこの地震についても、東北地方太平洋沖地震対応にかまけて命名しなかった。そればかりか、東海地震の震源域に近い場所で発生したにもかかわらず、そのことにも触れない体たらくさであった。
平成23年の福島県浜通りの地震
2011年4月11日夕方に福島県浜通りでマグニチュード7.0の地震が発生した。この地震により福島県いわき市などで震度6弱の激しい揺れとなり、死者4人などの被害を生じた。周辺ではその後も強い地震に見舞われ続けた。
この地震は、内陸でマグニチュード7.0以上かつ震度5弱以上という命名基準を満たしている。しかしながら、明らかに内陸の直下型の地震であるにもかかわらず、気象庁は東北地方太平洋沖地震の余震であるから命名の必要はないと言い張って、結局命名しなかった。

火山噴火[編集]

平成12年の三宅島の噴火
2000年6月23日に三宅島で群発地震が始まり、さらに神津島でも規模の大きな地震が頻発。7月には水蒸気爆発が起こり、8月10日には噴煙が高さ6,000メートルに達する大噴火を起した。居住地まで火山弾が飛び、火砕流が海まで達した。さらに大量の硫黄ガスが放出され、全島民は島を脱出し4年以上の長期避難を余儀なくされる事態となった。
同年4月に発生した有珠山噴火の対応で疲れきっていた気象庁は、この噴火について命名する事を忘れていたため、結局命名されなかった。なお噴火に先立ち発生した群発地震も、有感地震回数1万回以上、震度6弱以上の強い地震が6回も発生する第一級のものであったが、結局命名されなかった。
平成26年の御嶽山の噴火
2014年9月17日御嶽山で水蒸気噴火が発生。紅葉シーズンの休日正午ごろという最悪(何もなければ最高)のタイミングであったこともあり、死者・行方不明者63人という甚大な被害を生じた。これは、あの平成3年(1991年)雲仙岳噴火の被害をも超える戦後最悪の火山災害であった。この噴火を重く見た政府や大学により、わが国の火山対策が大きな転換を迎えようとしている。
しかし噴火規模そのものがあまり大きくなかったことから、気象庁は命名しないことにした。この程度の噴火で死ぬのは登山者の自己責任あるいは運が悪かったで済まして差し支えないと言う、気象庁の意思表示であろう。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]