沙石集

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沙石集(させきしゅう)とは、鎌倉時代に、住所不定、無職の匿名の人間が無造作に集めてきた噂話や、自ら作った創作話を寄せ集めた説話集である。

題名[編集]

「沙石」はそれぞれ「砂」「石ころ」を表し、転じて「その辺に転がってる石ころ程度のもの」という意味を含意している。その名の通り、作者である住所不定無職の人物は、巷に流布していた風聞や、時には自分で作った完全な作り話をまとめて、沙石集というひとつの説話集を作り上げたのだ。

内容[編集]

「沙石」には、その辺の砂や石ころ程度の価値しかない、取るに足らないもの、という意味もこめられている。作者なりの謙遜であり、ひがみでもある。しかし、内容を通読してみると、人生の指針として模範となる話や、思わず涙ぐんでしまう話、人と人との絆の深さを実感する話など、含蓄に富んだ話がふんだんに含まれており、砂や石ころどころか宝石のような価値の説話集として現代では扱われている。さらには、鎌倉時代は史料が散逸しているものが多く、噂話とは言え当時の人物の生活や価値観が反映された話のこめられた史料は貴重であるため、一級とまではいかずとも、『歎異抄』『正法眼蔵』に匹敵する信頼性があるとして、史料としてもそれなりの価値がつけられているのだ。

仏教との関連[編集]

沙石集は、一応は仏教関連の書物である。しかし、その内容はギャグや作り話、噂話などが多く、仏教関連の書物にありがちな晦渋さがない。そのため、これは仏教の書物にあらずと、堅苦しい坊主からはカテゴライズされてしまっているが、その根底には仏教の思想がしっかりと根付いている。これは仏教の書物にあらずなどと言っている坊主達は、かえって自身の仏教への理解力のなさを露呈させているだけである。

沙石集が書かれた鎌倉時代後期は、仏教の宗派がいろいろ枝分かれし、互いに激しく排撃し合い、教義を複雑化させていた。沙石集は、そうして自分達の宗派の権威を高めるために、教義を複雑化させてゆく鎌倉の新興宗教達を馬鹿にするために、あえてギャグやおふざけを盛り込んだ。だが頭の硬直した僧侶達は、自分達が風刺されていることにまったく気づいていなかったようである。

執筆の目的[編集]

沙石集の筆者は、複雑化してゆく仏教を、無知蒙昧な一般大衆にもわかり易く教えることを目的として、沙石集を執筆した。当時はそれでよかったかもしれないが、700年以上も経過した現代では言葉遣いも価値観も何から何まで変容しているので、一般人が精読しても理解に苦しむことが多い。一般人にもわかり易く仏教を教えるという目的は、形骸化して久しい。

差別を助長している?[編集]

沙石集に収録されているエピソードの中にねずみの嫁選びという有名なエピソードがある。婚活中のネズミが様々な動物にアプローチをかけるが失敗し、結局ネズミ同士で結婚する、というのが話の内容なのだが、これが厳格な身分制度を支持していると批判を受けた。しかし、沙石集が書かれた鎌倉時代は身分制度がまだ根強かった時代なのだから、当然といえば当然である。現代の価値観から批判をするのは、おかしい。また好意的に解釈すれば、会わないものと無理やり歩調を合わせようとするより、愛称の良いもの同士と調子を合わせたほうが良いと、人々に柔和に解説しているようにもとれる。差別を助長しているという批判は、あまりにヒステリックかつ、悪意に満ちている。

ギャグだらけの内容[編集]

いずれにせよ沙石集はすばらしい文学作品なのだが、惜しむらくは、作者の住所不定無職の男はどちらかというとまじめな説法や教訓よりギャグを好んだため、沙石集に収録されている説話の内、半分以上がギャグで寡占されてしまっている。「隣の家に囲いができた」「布団が吹っ飛んだ」などの古典的なギャグも、沙石集が原典とされている。

だが、そういうくだらないギャグだらけの内容が半数以上を占めるからこそ、ギャグだらけの中にたまに挿入される正鵠を射た説話の説得性に磨きがかかるという効果もある。作者の住所不定無職の男は、沙石集の結びに「石ころを手当たり次第に集めてくると、その内何割かは宝石の原石だったりする、宝石がほしければ、手当たり次第に石ころを集めることだ」と自身の考えを開陳している。この結びの言葉から「玉石混交」という言葉が生まれていった。

玉石混交[編集]

「玉石混交」は沙石集の主題の一つだが、この玉石混交の教えを信じて、多くの人物が宝石をその手に収めるべく石ころ集めに夢中になった。当時の為政者である北条一族のひとり北条時広もその一人で、手当たり次第に石ころを集めたが、宝石を採掘することはできなかったらしい。当時は徳政令が発布されるほど不況であったこともあいまって、沙石集に影響されて宝石求めて石ころ探しをして一つも宝石にたどり着けなかった馬鹿不幸人が多く、彼らから、石ころを集めれば宝石が見つかるなどインチキではないかと、沙石集に対して厳しい批判が寄せられたこともあった。それでも、沙石集は、珠玉の説話集として、広く人々に読まれたのであった。

関連項目[編集]