洗礼

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洗礼(せんれい)とは、宗教団体が行う動機づけの儀式である。

概要[編集]

宗教団体の信仰に入ることを「入信」という。 何らかの信仰に入ることは、特定の人物の教えを信じることで、「解脱」や「救い」、「解放」といった目的を達成することを目指すことになるのだ。 だが、信仰に入ったばかりのころは、他者と自身を比較しても差異を見出すことができない。 そのまま信仰に基づく修行を続けていても決意が歪んでしまう。 そのために、

「私は信仰に入っていない彼らとは違うのだ。確たる『救い』を得るための道に入った正しき修行者なのだ。」

という自覚を持つための儀式が必要になるのだ。

洗礼を施される[編集]

洗礼は、団体に入信することを希望した人が、団体へ入信する際に行われる。 何故なら、いざ気合を入れて入信してみたもののやっぱり自分に合わないと思って即刻還俗してしまうということを防ぐためである。 団体からしてみれば折角の信者を確保して団体の力を拡大しようとしていたのにその力を削がれてしまうというトラブルを防ぐ狙いがある。 当事者からすれば「これから私は信仰の道に入るのだ。私は正しいのだ。」という自覚を得る機会となる。 既存の信者に取ってみれば、同じ体験をしたという連帯感と、穢れた因子がやってこないという安心感を付与するという効果がある。

洗礼を受ける[編集]

ではどのような洗礼があるのだろうか。

キリスト教の洗礼[編集]

パンと赤ワインを用意する。この内、パンキリスト肉体ワインはキリストの血液を意味する。 このパンをワインに浸してそれを食べるのである。

キリストは神の使いであり、の使いの肉体には神聖な力が宿っているという考え方は古くから存在していた。 パンを食べるだけの行為であるが、立会人となる教会神父牧師

「あなたはこれから神の信仰に入る正しき人間です。あなたはこのひときれのパンによって救われ、絶対的な力を手にするのです。」

と繰り返し説かれることにより、万能感にも似た力の胎動を感じると共に輝かしい信仰の日々を夢想するのである。

イスラム教の洗礼[編集]

二人のムスリム(既存信者)の前で「信仰告白の言葉」を口にする。その言葉とは

アッラーの他に神は無し。ムハンマドはその使徒」

というものである。文字通り多神教の考えを捨て、唯一神たるアッラーとその使徒であるムハンマドに絶対的忠誠を誓うことを誓うのである。

ムスリムが二人立ち会うことになるが、あなたはその二人からこのようなアドバイスを受けることになるだろう。

「我々が武装蜂起をしたり、独裁政治を肯定したり、車に大量の爆弾を詰め込んで高速道路を疾走したり、核兵器の製造に賛同したりといったことがあるかもしれない。だが、それは全て我々ムスリムが使徒ムハンマドの声を聞き実行しているに過ぎない。つまりは唯一神アッラーの意志であって絶対的に正しいことなのである。」

新興宗教の洗礼[編集]

最近になって現れてきた種々様々な新興宗教にも洗礼の儀式がある。例えばこのようなものである。

  1. 入信者を棍棒で殴打し、悪鬼を払う
  2. 熱湯に入り身体を清める
  3. 聖水を飲み精神の統一を図る

1や2でけが人や死者が出るかもしれない。だが、あなたは生きているかもしれない。そうすると教祖があなたにこう囁くだろう。

「あなたは神に選ばれたのだ。あなたには神の教えに至る力がある。亡くなった彼は悪魔の化身だったのです。あなたに悪い影響を与えないうちに神の処罰が来て本当に良かった。」

3については、儀式が終わった瞬間に気分が高揚してきて楽しくなってくることだろう。そうして教祖から

「あなたの内なる声が信仰に入った喜びを爆発させているのです。私達とともに歓喜の世界へ入りましょう。」

という歓迎の言葉を貰えるだろう。