浜松町

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浜松町(はままつちょう)は、東京にある空(天国)への玄関である(その理由は由来にある別説を取れば凡人でも納得できる)。


地名の由来[編集]

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一説にいわく、昔は、この辺りは江戸湾に面した東海道沿いの浜辺であった。漁業もそこそこ盛んで、漁師たちは他の地域と同じで、筋骨隆々としてたくましかった。

ある日、南蛮貿易で上陸した異人が江戸市中に向かう途中、漁師たちを見つけると、その体格に感心して「オー、マッチョマン! 」と叫んだ。

それ以来、この地は漁師たちに因んで「 浜のマッチョ 」→「 浜マッチョ 」と呼ばれるようになった。

後の世に鉄道が東海道を通ったとき、二日酔いの国鉄職員が、駅名を申請する書類を記述する際に「 浜マッチョ 」を勘違いして「 浜マツチョ 」と書いてしまった。さらに後世の国鉄職員が「チョ」を町(ちょう)の訛ったものと思い込み、とうとう「 浜松町 」にしてしまったのである。

また別説にいわく、市井の歴史マニアの云う所、某家に伝えられる希書籍『眞古事記』には、伊邪那岐神(イザナギノカミ)と妹である伊邪那美神(イザナミノカミ)が天つ神諸々の命にて天降りましたる場所が現在の東京都港区だったという記述がある。

二柱の神は大地に降り立ち暫くするとムラムラとある種の劣情を催してきた。(諸君らもそうであろう) イザナミノカミいわく「わが身には成り成りて、成り合わざるところ一ヶ処あり」

イザナギノカミいわく「わが身には成り成りて成り余れるところ一ヶ処あり。わが身の成り余れるところで汝が身の成り合わざるところにさし塞ぎて国土を生み成さんと思う」

イザナミノカミ衣のすそを捲り上げながら囁く、「嵌めましょう、嵌めましょう」

イザナギノカミ「はあ、はあ」

こうして人間の世界が出来上がったのであるが、この場面を見ていた漁民が「嵌めましょう」→「はままっしょう」と聞き違えして、やがて「はままつちょう」と訛るようになったという。

その証拠に紫式部も「おり立ちて乱るる人は、むべをこがましきことは多からむ」と書いている。その意味は、天から降りてすぐに『一物』を立てて妹と乱れる人はきっとオバカな目にあうことが多いざんしょ、といったことである。

余談[編集]

後に、この海岸に記録上日本列島最初の政権を樹立した一族があり、人類最初の『まぐはひ』が営まれた場所に宮殿を築いた。そしてここを『ハマリ宮』と命名し、世襲の大王が后を娶ると最初の『まぐはひ』をここで行う聖地とした。さらに時代を下ってこの一族は西征し関西に居を移し、自分たちを嵌める人すなわち『ハマト』と称し権力を振るった。現在知られている『大和』とは『ハマト』が訛ったものである。

やがて『大和』の版図が大きくなり、台頭してきた坂東武者の一族が『ハマリ宮』を簒奪し、下屋敷として夜な夜な『まぐはひ』に耽った。これに気づいた朝廷は聖地奪還の東征を敢行した。これが義務教育の歴史教科書に虚偽の記載をされている『明治維新』である。

明治政府は『ハマリ宮』の霊験を国民に隠すため改称し『浜離宮』とした。しかし歴史の真実は隠すことが出来ない。現代でも若者が男女出会い意気投合すると浜松町に連れ添い『ハマリ宮』に忍び込み、ムラムラと欲情し彼らの最初の『まぐはひ』をする聖地となっている。

なお静岡県にある浜松市とは親戚関係にある。浜松町が東京にあるのは生意気だと言うことで対立しているが、静岡県には聖地がないので男女の手合わせができない。

関連項目[編集]