無宗教教

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無宗教教(むしゅうきょうきょう)とは、現代の日本において、一般に宗教に対して自由であると言われている日本国民の半数以上が裏で加入している宗教である。

概要[編集]

特に誓約もなく、お金もかからないというのが表向きの顔であるがその本質はある意味残酷なものである。

無宗教教は、日本国憲法で宗教の自由が約束されたことから始まった。その当時、戦争が終わり天皇はただのオッサンだったという真実を知らされた日本国民は信仰に対する興味を完全に失っていた。そしてその現状は次第に、宗教を信じないことで騙されているという不安を取り払うという考えを生み出し、そこから無宗教教が本格的に始動した。そして現在、無宗教教加入者は全国民のうちでも半数以上になり、日本の一大宗教と化したのである。 いかなる宗教も信仰しないものが無宗教教徒であるが、現在の日本国憲法では無宗教教にも属さない真の無宗教者(無宗教教徒とも無宗教徒とも呼ばずに単に無宗教者という)は存在してはいけないとの憲法解釈が有力である。宗教の自由は何人もいずれかの宗教に属していることが前提であるとの考え方によるもので学校の部活動における帰宅部も同じ考え方による。

また、サイレント・マジョリティーという言葉も、もとは無宗教教信者を揶揄して言われ始めた言葉だと言われている

思想[編集]

無宗教教は他の宗教に比べ他宗教を信用していない傾向にあり(もともとそういう人達が集まって始めたため)、考えの一つに「宗教に入ってる人は何をするか分からない」というものがある。オウム真理教の地下鉄サリン事件等宗教がからむ事件を槍玉に挙げ、他の宗教も巻き添えにして宗教に対して悪いイメージを植え付けるという事もしている。その膨大なる会員数を利用して口コミや噂で悪評や時にデタラメを流して評判を下げたりもしているが、その多くは受け売りや漠然としたイメージから悪意もなしにしている事である。Yahoo!知恵袋などに書き込んでいる信者も多い。これらは、宗教、信仰等は特別なものという一般のイメージ、そこからくる宗教に対しての警戒、猜疑の心をうまく利用してやっている事であり、どんな物か実態のつかめない物には自然と慎重になる本能を悪用しているとも言える。その隙に言葉を入り込ませることで、他宗教についてよく知らない人にも危険であることを理解させることができる。また、信者達は基本的に自分から無宗教教であることを名乗ることはしないが、全国に仲間がたくさんいることは確かであり、日本の国民性にマッチしたような特徴を持つ。

現代では宗教に対しての顕著な差別はだんだんなくなってきているが、これも無宗教教の意向によるものである。あからさまに批判しないことによって、表向きは差別をしないようにしているように見えるが、それでも心の底に居座る、宗教は危険だという思想はあえて取り払わない。この策略で自然にマスコミなどに宗教について取り上げさせ、直接手を下すことなく、他の宗教を貶めていくのである。

さらにタチの悪いことに、信者は子供にも他宗教は危険だとする概念を植え付ける。団塊の世代の人々は特に顕著である。

関連項目[編集]